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クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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壇ノ浦で、源義経は水夫(かこ)を射たのか――えっせえのようなもの

16/04/12 コンテスト(テーマ):第78回 【 自由投稿スペース 】 コメント:8件 クナリ 閲覧数:2481

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 歴史。
 それは私達の現在につながるものでありながら、どこかファンタジー性を含んで語られる、確かなはずなのに不確かな、不思議な物語。

 さて、クナリという人は日本史が好きなのですが、それは英雄達の生き様や丁々発止が好きなのであって、あくまで人間ドラマとして捉えているため、年表やら年号やらという分野においては小学生以下の知力を誇るので困ったものです(他人事)。
 そんな愚か者の胸を、幼き頃より切なさでギリギリ悶えさせた悲しいエピソードが、今回の後半で語る、「源義経 非戦闘員の水夫を射る」のお話。

 特に好きなのが幕末と、何と言っても平安末期――いわゆる源平合戦だったりします。
 で、一番好きなキャラクタが、かの源義経なのです。もはやキャラクタ呼ばわりです。
 大学生の時にオタク仲間から「君の萌えキャラは何なの?」と聞かれたことがあったのですが、オタクのくせにゲームやアニメに疎いクナリはこれという萌えキャラがいませんでした。
「特にいないなー」
「いや絶対いるって。そのキャラのこと考えると、胸がキュンキュンして切なくなっちゃうようなキャラだよ」
「あーいる!一人いる!」
「おお! 誰?」
「源義経」
「そういうんじゃねえ」
 などという愚かしい会話をしたのもいい思い出です。
 さて、この義経さん、日本史における最大の人気者でもあります。
 近年は坂本竜馬などがグイグイ評価を上げている感がありますが、少し前までは義経はもう無類の人気を誇り、歴史芝居などでは全然関係ないのに(場所どころか時代も異なるのに)義経が出てこないとお客さんが不満を言うことなんかもあったとか。
 この義経さんの魅力と言えば、見た目のカッコよさ(諸説ありというかありまくり)や静御前とのロマンス、弁慶らとの主従関係、悲しき兄弟愛、悲劇の最期、と様々です。
 しかし一番大きいのは何と言っても、軍略の天才として、当時圧倒的戦力差のあった平家を一方的に負かし続けて源氏の天下をもたらしたことでしょう。

 ところが、歴史学者さんや一部の識者さんからはイマイチ評価が低いどころか、毛嫌いされていることさえあるのがこの義経。
 どういうことかというと、こんにち、「彼は軍略の天才どころか卑怯者」とそしられてしまうことがままあるからです。
 各種文献によると、義経の戦い方は、とにかく奇襲に次ぐ奇襲のようでした。平家に対して、まともに正面から戦ったことなんてあったっけ? というありさま。
 で、この奇襲というのが問題で。
 「奇襲して何が悪いの? 勝つための作戦でしょ?」と、三国志や戦国時代の合戦を知る方々でしたら不思議に思うかもしれません。
 しかし一部の歴史学者や識者の皆様いわく、「日本の平安時代当時には、当時の合戦の常識というものがあって、義経はそれを知らないがために様々な作法やルールを守らずに平家を攻撃した。結果的に勝利はしたが、これを軍略と呼んでいいのか?」というわけらしいのです。
 クナリも実際、そういう論調の学者さんの書かれた本を読んだことがあります。

 確かに義経は幼くして平家の手にかかって父を亡くし、母は平家に奪われ、お寺で雌伏の時を過ごしたようで。
 頼朝に加わって初陣を飾るまで、リアルの戦場に出たことなどなかったのです。それじゃ合戦の作法なんて知るわけないと。
 これについて、
「知らなかったんだからしょうがないじゃん。卑怯者ってのとは違うでしょ」
 という意見もあれば
「いや、本当は知っていてあえてルール無視を逆手に取ったのでは?」
「さすが天才!」
「いや卑怯!」
「ルールとかきれいごと言ってどうする、戦は勝つのが全てだろ!」
 と、どんどん意見は細分化して行きます。
 ここでは義経の戦遍歴の中から、特に「一の谷の合戦」と「壇ノ浦の戦い」について少し触れてみようと思います。

 まずそもそもなのですが、上記のような「当時の戦のルール」は本当にあったのか? という疑問があります。
 戦争において「ルール」というものがどう扱われるのかは時により場所により様々ですが、現代日本に伝わるいわゆる「武士道」という概念は、江戸時代に成立したようです。
 つまり、それ以前にはほとんど体系立てられていなかったと思われます。
 戦いに、美しさだの礼義だの精神性だのフェアプレイ精神だのといったものが盛り込まれるのはこの「武士道」成立の頃で、それより前は「形式立てられて秩序的な、正々堂々とした古き良きニッポンの戦争」という、一部の歴史好きが夢見る概念はなかったのではないでしょうか(※そんな夢見てる人おるんかいと思われる方もおられるでしょうが、ガチでいらっしゃいます。「日本の戦は美しかった」と真顔でおっしゃる研究者様も)。
 源義経が武士道にもとるから嫌い、という声はネット上でもよく聞きます。
 しかし、義経の時代に武士道はありません(各武士の個人的なものは除いて)。
 生理的に義経のやり方が嫌い、ということはあるでしょうし、それを否定することはできません。
 でも、個人的に頭の中で育てた「特に根拠はないけど今も昔も普遍のハズの武士道っぽいもの」にそぐわないからと言って、少なくとも武士道を根拠に義経を卑怯呼ばわりすることは妥当とは言えないのではないでしょーか。

 一の谷の合戦は、かの有名な「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」があった戦いです。
 海の近くで合戦をしている源平両軍を、義経が崖の上から見下ろし、「鹿も馬も四本脚だし、鹿が下りるこの崖を我々の馬が下りられないわけないっしょ。ゴー!」というアレ。
 結果、崖の上からの奇襲によって大混乱に陥った平家が大敗、というのがこの戦の大まかなストーリーです。

 この流れ自体にも異論があり(この奇襲が源氏大勝の決め手ではないとか、義経が駆け下りたのは鵯越ではないとか、逆落としはあったけど義経がやったんじゃないとか。義経自身の報告で「谷の西の口からフツーに攻めました」なんてのもあったとかで)、なかなか一筋縄ではいかないのですが、まあ少なくとも真正面から平家と取っ組み合わずに奇襲をしたことにして話を進めます。
 ここで義経が抵触しているのは具体的にはどういうルールかといいますと、背後からの奇襲が武士道にもとる(当時はないけど)というのと、「大将(格)同士が名乗り出て一騎打ちを行う、というのに反してる」というもの。
 「やあやあ我こそは〜」というアレですね。義経は奇襲しているわけですから、こんなルール守ってるわけがありません。そりゃ平家は驚いただろう、全くしょうがない奴だ義経は! となるのもむべなるかな。
 しかしこの一騎打ちというルール、本当にあったとしたら、どんな風に運用されていたのか気になるところです。当時の資料で、それぞれの戦において一騎打ちが義務付けられていたという記述が残っているのでしょうか?
 『今昔物語』などに記述されている一騎打ち話もあるのですが、それは例えば領地や名誉を守るためなど、武士の私的な事情(西洋風に言えば、名誉をかけた決闘というやつですね。一対一で剣を持ち、見届け人を用意するというルールがあったり)に基づいた場合によるものです。あるいは、合戦中の成り行き。
 上記の今昔物語に載っている話はかなり爽やかというか男の友情の芽生え、みたいなノリなので、確かにいい話ではあるのですが、この一事を当時の万事のように扱うのは懸命ではないでしょう。
 戦場で戦う際に出会った敵将と組打ちというのはあるにせよ、そんなに律儀に「名乗り合って一騎打ち」が守られていたのでしょうか?

 そう、「ルールを無視した義経をどう思うか」の前に、「ンなルールがそもそもあったのか」という大問題があるのです。
 ありもしないルールに従っていないことの、何が卑怯なのかと。
 義経の奇襲は、江戸時代の「武士道」の美学に照らせば、褒められた行為ではないかもしれません。
 逆に言えば、「武士道」というたったひとつの価値観に照らすことをしないのであれば、褒めるの褒めないの、正だの邪だのという次元の話ではありません。
 ルールのない戦場で、最も勝ちやすい手段を選択しただけです。
 「勝てば官軍」ではありません。「そもそもルール違反をしていない(それなりの慣習はあってもルールなんてない)」のではないか、ということです。
 もちろんこれも、「いやもう奇襲とかする人が嫌い」「名乗りあげて一騎打ちしない人嫌い」ということであればそれまでなのですが。

 続きまして、壇ノ浦。
 これはもう、義経ファンが聞いたらたいてい一度は心に傷を負う、残念なエピソードです。
 どんなものかというと、……「義経が非戦闘員を殺しまくった(そう指示した)」という。

 簡単に顛末を記します。
 壇ノ浦決戦は、源平の最終決戦でした。海上での船戦となり、源平は現在の山口県下関周辺で激突します。
 合戦の前半は、潮流も味方し平家優勢。
 しかし、義経はここでなんと……「平家側の船の水夫を射殺せ」と指示したという話があります。
 非戦闘員である水夫を殺すことは、当時の戦ではルール違反。
 結果、潮目が変わったことと平家側の水夫がみんな死んで操縦不能になったこと、平家から裏切者が出たことなどで源氏に一気に優勢に傾きます。
 そのまま平家は敗戦し、滅亡した……と。

 これは、義経の軍略の話が出るとたいてい付随してくるエピソードです。天才的英雄か、勝てば官軍の非道な輩かと。
 ここで、当時のルール云々はさほど問題ではないという方も多いかもしれません。
 重要なのは、「非戦闘員を殺した」という義経の行為ですから。ルールがあろうとなかろうと、それはしちゃダメだよと。
 近年ではだいぶ有名になり、ネット上でも検索すると、このエピソードについては多くの方がほぼ史実として当たり前のように語っています(「義経は、劣勢を覆すために、なんと水夫を射殺すように命じました」というような具合で言いきられていることが多いです)。

 しかし、……しかしなのですが。
 源平合戦が好きで、昔から様々なエピソードを追っかけてきたクナリなのですが、実は。
 「「「このエピソードの出典元を、いまだに知りません。今日まで探しても聞いてもわかりませんでした」」」……。
 どうもそもそもは、とある鎌倉時代史研究の第一人者様がおっしゃったようなのですが、その根拠が分かりません。
 この話を史実として語っている方に聞いても、「昔からそう言われている」「昔何かで聞いたことがある」というだけで、どこのなんという史料に基づくものなのか、根拠を全く教えてもらえないのです。
 もしかしたら、上記の第一人者様の権威パワーによって史実化したのでしょうか…?

 「当時の戦では非戦闘員を狙うのは卑怯とされた」というのもよく聞きます。
 まあこれは、そんなことが書いてある史料を探すまでもなく、普通に考えて褒められたものではないでしょう。
 しかし問題は、義経がそれを指示したのかどうか。
 平家物語には、確かに壇ノ浦で平家側の船に乗る水夫や舵取りが殺される描写があります。でもそれはほんの一文、「優勢になって勢いに乗った源氏は水夫や舵取りをも殺しながら平家側へ殺到した」というようなことが書かれているだけで、それを義経が指示したなどとは書かれていません。
 原文(ほぼ)はこちら。

 平家物語 巻第十一 先帝身投
「源氏のつは物共(ツワモノドモ)、すでに平家の舟に乗り移りければ、水手・梶取(スイシュ・カンドリ。水夫と舵手のことでいずれも非戦闘員)ども射殺され、きり殺されてて、舟をなほす(=進路を立て直す)に及ばず、舟そこにたはれ(「倒れ」か)臥(フ)しにけり」

 これだけ。
 たった一文。
 義経のヨの字もなし。
 この後は、すぐに平知盛が「平家の世はもう最後か」と戦を締めくくらせるシーンに続きます。

 中には、平家物語の解説書のような本でも、壇ノ浦の合戦図の解説で「義経は水夫を射させた」と付記しているものもあります。
 そんなこと、平家物語には書いてないのに(じゃあ、解説書じゃないじゃん。創作物語じゃん。恐るべし権威パワー?)。

 源氏の兵士が行ったことなのだから、義経が指示したはずだ?
 いえ、天下分け目の戦場で、劣勢を跳ね返して相手の船に乗り込んだ兵士なら、水夫だからといって「おっ、いけねえ」と剣を引くでしょうか? 数十メートル先の船の上から、水夫だけを細心の注意で避けて矢を射るでしょうか? せいぜい「命が惜しくば海に飛び込め」と言って手当たり次第に攻撃するのが普通ではないでしょうか。
 源氏の兵士が行ったことなのだから、義経に責任がある?
 これもよく言われていることなのですが、論旨のすり替えというものです。責任はそりゃあるでしょうが(そんな価値観が当時あれば)、義経が積極的に「水夫を殺せ」と指示したのと、戦場だと分かっていて船を操っている戦闘の参加者(非戦闘員であっても)が戦闘の巻き添えで死ぬのとは、まるで意味が違います。「総大将としての責任があるんだから、史料に無くても義経が水夫を殺せと指示したことにしていいんだ」とはならないでしょう。

 想像するのは、悪いことではありません。でも、出典のない想像をさも史実のように唱えるのは誠実ではないと思うのです。
 だって何でも想像で言い出したら、もしかしたら義経は「水夫を殺すな」と指示したのに、乱戦のさなかで行き渡らなかったかもしれないじゃないか……とも言えてしまいます。
 「義経が水夫射殺を命令したことを直接表している史料はないけど、当時を表す他の資料から総合的に考えたら義経が水夫を射たと言えるのだ」というのも、昔見た言説にありました。
 でもそれは、確たる史料が見つからない限り、あくまで「想像」であり、それを表現したものは、想像だと断らなければ「仮説」ですらなく「創作」と言うのではないでしょうか。

 近年、源平合戦を扱った漫画などでも、義経が非情にも水夫を射ろという命令をして、部下や味方までもがその冷徹さに慄然とする、というシーンはよく見られます。
 あまりにどの漫画でも当たり前のように扱うので、あたかも史実であるかのように見えてしまう(作者様もそう思っている)のではないかと、ちょっと気になります。
 いや、それは別に個人の自由なんでいいんですけど。
 インパクトはあるかもしれませんが、これは「残酷だけど史実に基づく義経像」でもなんでもありません。「作者様の創作」、あるいは「誰かの創作を史実として扱ったうえで、あるいは史実かどうかは知らないけどストーリーに採用して、創作者として独自の味付けをした創作」です。
 そもそも源氏の兵士たちは船戦になど普段縁のない坂東武者。「水夫といえども死を覚悟して戦場におるのだな。オーケーその意気やよし!」と思ったかも……。
 水夫を射てはいけないというルールがあったとして、それは船戦が盛んな西日本=平家側だけだったかもしれませんし。
 だから、二次創作などで源氏側の兵が「水夫を射ろというのですか!?」と狼狽するシーンがあれば、現代的な視点で見ればもっともですが、それはあくまで「現代者の想像による創作」です。
 もしかしたら家来たちは、「ですよねー!」「あんなん普通水夫撃ちますよねー!」と口々に言ったかもしれません。
 よく漫画のノドや欄外に書いてある、「この作品はフィクションです」というのは、伊達でもなんでもありません。

 決して、「二次創作の際には史実以外を盛り込むべきではない」と申しているのではありません。
 そんなことしたら、さぞかし歴史を題材にした物語はつまらないものばかりになるでしょう。
 独自の発想で、かつてない解釈で、現代人が面白い歴史物語をどんどん作ればいいのです。
 そもそも、どんなに史実に忠実に作ろうとしても、そこには必ず現代の作者の創作性が入ってしまいますから、完全に史実通りに歴史小説や漫画を描くのは不可能でしょう。
 ただ、「史実ではない創作が史実として流布される」ことに抵抗があるというだけなのです。
 以前、「平家だって源氏側の水夫を狙えば良かったじゃないか」という論旨に対し、「平家側は、海の戦を知る者として敵とはいえ源氏の水夫を射るようなことはできなかったのです」と答えている人を見たことがあります。
 何を根拠にした見解なのか、いまだに分かりません。けれど、これを自信満々に言いきられれば史実だと信じる人も出てくるでしょう。
 想像による自説に自信を持つのは、悪いことではありません。何が本当か嘘かなんて分からないし、平家物語にだって創作の部分はあるでしょう。なら、現代に生きる人が想像で創作を行って流布したって、別に責められるいわれはないのかもしれません。
 でも、なんとなく寂しいような気はします。
 一応は現存する史料に基づいて、オヒレハヒレはあるにせよ共通認識としてある程度確立されることが出来た「源義経像」が、情報社会で説得力を持ったもっともらしい語り口の風説により、史料の根拠もなくどんどん「史実」として変容してしまうのは。
 フィクションだ――と断って現代向けエンタテインメントを展開する歴史漫画の、なんと潔いことか。

 「実は天才ではなく卑怯者だった源義経」という切り口は、今では珍しくありません。
 ですが。
 平家物語。
 吾妻鏡。
 源平盛衰記。
 義経記。
 愚管抄。
 玉葉。
 現代にわずかに残る史料の中には、義経を「卑怯」と表現する箇所はありません。
 義経と対立する立場で書かれた書物の中にも、です。
 彼は、何を持ってこんにち、「卑怯」とされるのでしょうか。
 そもそも、彼は水夫を射たのでしょうか。
 それは、何を根拠にしているのでしょうか。
 歴史に対する新たな切り口は評価されるべきだと思いはしながら、それがセンセーショナルであればあるほど、「本当は○○だった!」という言葉に、時々恐ろしさを感じるのです。

 義経は、水夫を射たのか?
 どうしても、イエスorノーで答えなくてはならないとしたら。
 それでも、「分からない」という答しかないのです。
 「どの書物にも、そうは書かれていませんね。だから、そうかどうかは不明ですね」
 あるいは、
 「そう書かれている書物が残っていますね。もしかしたら本当かもしれませんね」
 そこまでが限界だということを認識しなければ、時に情報は不幸な事故やいさかいを生むことになると思うのです。

 われわれもまた、今を暮らしながら、知らないことの方が圧倒的に多い世界に生きているのですから……。



参考文献:平家物語四 岩波書店(校注者 梶原正昭 山下宏明)
     2008年11月14日初版発行


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このストーリーに関するコメント

16/04/12 クナリ

記述内容の誤り等ありましたら、コメント欄等でお知らせください。

16/04/13 泡沫恋歌

クナリさん、このエッセイ興味深く読ませていただきました。そして、クナリさんの義経LOVEがひしひしと胸に伝わってきましたよ。
私も歴史は好きで、詳しいというほど知識はありませんが、自分なりに歴史小説を読んだり、調べたりはしました。
宮尾登美子の「平家物語」を読んで以来、実は平家のファンなのです。
負け武将ですが平知盛の潔さが好きです。後、敦盛なんかも。関係ないけど平家の守護神である厳島神社にも二度参拝しています。
さて、クナリさんの説についてですが、義経が非情にも水夫を射ったことについて、歴史的に検証されていないということですがたしかに・・・。劇的勝利を収めた義経に対する梶原景時あたりの嫉妬がみえます。
義経は奇襲戦の天才だったし、勝っても印象を悪くするために、源頼朝にそういう風に伝えたのかもしれませんね。
戦いの最中、誰が非戦闘員かどうか、判断するのは難しいし矢なんか何処に飛ぶかわからない。クナリさんがおっしゃる通り、そもそも源氏の兵士たちは船戦になど普段縁のない坂東武者ゆえ、「水夫といえども死を覚悟して戦場におるのだな。オーケーその意気やよし!」と思ったかも……。クナリ説(禿同!)
非戦闘員を殺したことが批判されるなら、広島長崎に原爆を落とした米国がもっと批判されてしかるべきでしょう。
どんなに美しい言葉で飾ってみても、しょせんは戦、勝てば官軍なのです。清盛から始まって平家の武将たちは詰めが甘いというか、お人好しのチキンだから、源氏に完敗したのです。
天下の名軍師義経は賞賛とともに、あらぬ批判も受けるものだとファンとしては覚悟しなければならないのでしょう。
ともあれ、義経によって日本の歴史は大きく変わりました。彼が偉大であることに異論を持つ者はいません。
だからこそ、モンゴルでジンギスカンになったなどという奇説もあるのです。
この件については、クナリさんとお酒でも飲みながらじっくりお話したいですね♪(=´▽`=)ノ

16/04/14 にぽっくめいきんぐ

 とても面白いエッセイでした!

 以下は、クナリさんのエッセイを読んで思った私見です。

第一に、
 私は歴史資料には詳しくないので、その点についてはコメントを控えます。

第二に、
 「証拠に基づいた考察」に一番近いのは、学問として歴史を扱っている歴史学の方なのかなあと思います。

 私の職業は、弁理士といって、特許出願の代理や、たまーに著作権法についてのアドバイス等がお仕事です。著作権法つながりで小説を書き始め、4ヶ月になります。
 最近、著作権法を専攻なさっておられる大学教授のお話を良く聞きます。
 私のような一般人と、大学教授との違いは、「頑健性」にあると感じています。
 というのも、大学教授は、憶測を廃して、客観的な資料に基づいて物事を考察し、また、それを徹底する。
 この客観性が担保できていない場合、上の教授連中に叩かれる、そういう日常のようです。
 だから、大学教授の意見は、社会からも有意なものとして尊重されているのだ、と私は考えます。

 義経のふるまいについても、歴史学の観点から出来る事は、当時の文献等に基づいた考察までが、限界だと思うんですよね。タイムマシンでもあれば別ですが。
 憶測を含めた瞬間に、史実ではなく創作になると思います。

 まあ、証拠として用いた歴史資料自体に、「叙述トリック」とか、「信頼できない語り手」とかが含まれてたりするかもしれませんが(笑)

第三に、
 脱線しますが、
 「奇襲」や、「水夫を射殺す」という行為は、人道やら武士道やらはともかく、効率的で合理的ですね。実務者向きというか。ホリエモンっぽい匂いを感じます(笑)

16/04/15 クナリ

泡沫恋歌さん>
厳 島 は 羨 ま し い … !
考えれば考えるほど、坂東武者が水夫を射ることに「義経さまは非情じゃー恐ろしい方じゃー!」ってなる気がしないんですよね…「ですよねーやっちゃいやしょ! 戦場に来てんスから!」なんじゃないかなあ…(ド偏見)。
平家物語は、平家へのスポットの当て方がいいですよね…壇ノ浦のラストシーンなんて安徳天皇と大人達のやり取りの切なさを想像したらもう…!
教経は、武力無双・男前・切符がよくて判断力もあるイメージで、話の転び方によっては源平合戦の主役はこの人だったのでは…と思ってしまいますし、知の知盛もいるしで、かなり魅力的なメンバーなんですよね。
それでも重盛の欠番は痛かった…!
敦盛はかなり好きなエピソード…! 猪突猛進のイメージある源氏軍の中での熊谷のとっつぁんの人間味と武士としての板挟み、若き敦盛の武士としての己が道のまっとうの仕方、これ絶対知盛も教経も泣いたよ!(涙)
惟盛や宗盛はどうしても無能とか凡将のレッテルを貼られてしまうと思うんですが、でもこの人たちたぶん家族の中ではめっちゃ愛されてるんじゃないかなあ…と思ってもいます。
絶対和むと思うんですよね…。
平家って、その名のとおり「家」「家族」って感じがして、一族皆仲よさそうだなって思うんですよ。頼朝と比べてるからかもしれないですけど(^^;)。かの巨人・清盛入道すら、どこか人の良さが消しきれませんし。
だって、源氏と平家どっちの家族に入りたいかって言ったら断然平家ですからね〜。人間味があるというか。。。
源氏三代の後を継いだ北条氏は平家に連なるらしいですが、北条さんの感じは、あの平家のアットホーム感が感じられません…。
お酒飲んだら、クナリはきっと「義経はね、美形なんですよ! 美形に決まってるんですよ! ネズミとか反っ歯とかいうなあああああーーーー!」と絡み酒ですが、よろしければ(^^;)。

にぽっくめいきんぐさん>
勢い任せの文章ですが、楽しんでいただければ何よりです!
これまでに歴史学者の方の本などを読んでいると、けっこう私情をはさまれているイメージなんですよね。
とにかく、武士道ラブ!の方が多くて、ご自分の美学を準拠枠にして論を展開されていることが多くて(もちろん、そうでない方もたくさんおられますけども)。
最近はそうでもないのかな〜。
とにかく近年、「本当は○○だった!」という歴史の本がよく目について、本当はってアンタ見たんかい、と苦々しく思ってしまうことも多くて。
まあ、売り上げを作るためのひとつの方便とは知りつつも…。
義経なんて後付け設定のオンパレードだと思うので、「史料にそう書いてあるから本当なんだ!」なんていうつもりもありませんし、義経の名前を冠した「義経記」なんてもの自体が完全に創作…など、なかなかどんな立場でしゃべっていいのか分からなくなることもあります。
そんな悩ましさに対抗できるものはただ一つ、「萌え」なのです!(握り拳)(←大間違)
義経はかなりハートは熱く心はクールだったようで、奇襲の天才というイメージがあると思うのですが、「退路を断っておいて奇襲して相手は大混乱」とか「伏せ勢を使って攻撃力アップ」とか「相手と本拠地の連絡をあらかじめ断つ」といった、それはイヤらし…もとい、ヤな奴…もとい、周到で効果的な攻撃をよく実施している感があります。
やられる方は、たまったもんじゃないでしょうね〜(^^;)。
それが、史料上は「猪武者」みたいに扱われても「卑怯者」とは扱われないというのも、不思議な気がします。

16/04/17 あずみの白馬

とても面白いエッセイでした。
源義経は、卑怯者であると言う描写をされてしまうことが多いが、それが史実である証拠は無い。このことがよくわかりました。
私は権力の座について贅沢三昧していた(と、言われている)平家の方こそどうなんだと思っているので、クナリさんに同意です。
乱文失礼致しました。

16/04/20 クナリ

あずみの白馬さん>
ありがとうございます。
なるべく読みやすく、楽しめるように書いたつもりでございます。
史実との向き合い方、難しいんですけどね。「こう書いてある史料が残ってます」が限界かなあと…。
平家は、平家物語見ると愛着湧くかもしれません〜。
贅沢三昧するシーンの後、義経と闘いながら自分たちの矜持を貫こうとする平家の方々のサムライぶりはかっこいいですし。
一応、「平家にあらねば人にあらず」といった人は平家の上の方からは「何言ってんのアイツあほじゃないの!?」という扱いになったとかなんとか。
やっぱり、どの組織も一枚岩ではないんですねえ…。

16/04/22 冬垣ひなた

クナリさん、拝読しました。

私の萌えは三国志なのでまさに「奇襲して何が悪いの?」なのですが(汗)、楽しいエッセイでした。
そんな位に日本史に疎いですが、武士道が平和になった江戸時代に作られたという話は聞いたことがあります。それでも揉めるのですね。
壇ノ浦の戦いについては「応戦した平家側の矢が射つくされた結果、無防備な水夫から犠牲になった説」がウィキぺディアに載っていましたが、実際の所はタイムマシンでもなければ調べようがないのかもしれません。
とはいえ義経卑怯者説が、まるでお茶の間のワイドショー並みに語られることは私も気になりました。
史実ではない創作が史実として流布されていたというケースは、つい先頃私も体験したのですが、情報が独り歩きを始めるのは怖いですね。創作者として色々考えさせられました。
そして機会があれば、源平の話にもどっぷり浸りたいです。

16/04/25 クナリ

冬垣ひなたさん>
三国志、いいですよね。
自分の知識はかなり演義寄りですが(^^;)、行き交う権謀術数と戦場の雄、最高です。
平家の矢が撃ちつくされた説は、説得力あるんですよね。正確な資料が手元にないのですが、壇ノ浦当時は平家が本拠地である九州へ逃れるルートを源氏側(一説には義経の兄の範頼さん)が抑えてしまっていて物資の補給もままならず、兵站バッチリの義経軍に物量で押され(ていうか途中から平家の矢が尽きて)て、結果平家側の水夫らは射られまくってしまった…みたいなやつでしょうか。
これ、説としてはかなり有力みたいですね〜。
歴史を元に創作すること自体はいいことだと思うんですよ。多分それがないと、日本史ってどんどん先細りますし。それが面白ければ一人歩きする時もある、それもある意味自然現象みたいなもので、仕方ないかなとは思うんです。
ただ、「本当は○○だった」という語り口で風説がもっともらしく語られるのが悲しいな、と。その「本当は」って何を元にしているのかと。史料?出土品?偉い先生の説?どれも、「本当」ではなくない?と思っちゃうんですよね。
歴史を扱う創作物は史料通りではなくてはならない、とは全く思いません。漫画による影響力で創作部分が広く有名になるのを、苦々しく思う研究者様はおられるかもしれませんが(まあ、小説がさんざんやってきたことではあるんですけど…)。作者様による創作の妙味を楽しめばいいと思います。
ただ、歴史を専門に扱ったブログや、研究本のたぐいで、断りなくオリジナル要素を入れないでほしいというのは、どうしてもあるんです。
義経のことを知ろうと思って見てみた歴史コラム、10個中9個で「義経は水夫を射た」って言い切られてたらそりゃ普通信じちゃいますもんね。

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