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高橋螢参郎さん

何でもいいから金と機会おくれ

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幻のオリンピック

12/08/29 コンテスト(テーマ):第十二回 時空モノガタリ文学賞【 オリンピック 】 コメント:0件 高橋螢参郎 閲覧数:2545

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1980年5月。俺の最後の夏は始まる前から終わりを告げられた。
ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻を受け、西側諸国はこの夏のモスクワオリンピックをボイコットした。アメリカの子分である日本もその例には漏れず、俺の100m走代表選手の内定は事実上取り消された。
それでも俺は、今日も市営グラウンドの端っこで独りウォーミングアップを続けていた。腿を上げ、腱を伸ばし、少しでも速く走るというその一点へ意識を絞った。人は求道者などと囃し立てるが、何も解っちゃいない。それしか知らないだけなのだから。
俺は物心付いた頃からずっと走り続けてきた。ただ走ってさえいれば後は何とでもなった。彼女、受験、就職。どれも勝手に通り過ぎて行った。だが世の中にはどうしても乗り越えられない壁がある事を、今更になって思い知った。
そして今年28歳の俺に後はない。体格と環境に恵まれた若い才能たちがもう既に、尻をちりちりと焦がし始めている。
……むしろ、俺の方が随分恵まれているのか。短距離走者としてのピークはとっくに過ぎている俺と、今まさに絶頂の時をふいにされた彼らでは。

これで良かったのか。
トラックを軽く数周流していると、俺は改めて自問してしまった。
今回もここまでは来られた。だがもうこれ以上、誰も俺に心の底から期待しちゃいないだろう。謙遜なんかじゃない。他の誰でもない俺自身がまず、そうなのだから。
勿論不安でない事などなかった。それでも全力を出すしかないという若さ故の我武者羅さがあったから、これまでは乗り越えてきた。まだ見ぬ自身の、秘められた可能性を信じてとことんやるしかなかったのだ。
しかし今は違った。目の前に立ち塞がっているのは、外ならぬかつての俺自身だった。過去の自分にだけはどんな嘘も用を為さない。
……一縷の、蜘蛛の糸の如きか細い可能性を引き換えに悲劇の主人公を演じられるのならば、それは随分と得な取引なのではないか。
国家レベルの理不尽に対する憤りの波が一通り去った辺りから、そんな風に考えるまでになっていた。記者会見の涙は本物だった。だがこの甘ったれた感情も、また本物だ。
体は十分過ぎる程暖まってしまった。やり場のない熱をどう逃がすか思案していると、その内に「すみません」と男の声がかかった。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが。オリンピックはどこですか」
よりにもよって俺にそれを聞くか。怒りを通り越し苦笑してしまった。「終わったよ」と相手の顔も見ずに答えると、「弱りましたな」と返事が返ってきた。
馬鹿にしているのかと思い振り返ると、そこに立っていたのは俺に同じくTシャツと半ズボン姿の青年だった。ここに練習に来る人間は大体見知っている筈だが、初めて見る顔だ。
「私、オリンピックとやらに出る為やって来たのですが……」
流暢な日本語を話してこそいるものの、いまいちオリンピックというのが何なのか根本的に解っていないような口ぶりが気になった。髪は黒髪でいかにもな日本人に見えるが、違うのだろうか。
ただ俺に言えたのは、こいつは走る、という事だけだった。
強靭なバネを産み出すであろう鍛え上げられた腿肉を中心に、無駄を極限まで削ぎ落とした身体。美しく伸びきった四肢は、沈みかけた陽の下で彫刻の如き陰影を浮かび上がらせていた。
「どこから」
「宇宙です。オリンピックは国家間の代理戦争と聞きました。ですので、地球の領有権を賭けて私と地球の代表者とで勝負させて頂きたいのですが」
俺は青年の戯言に溜息をついた。
「どこが宇宙人だよ。丸っきり地球人じゃないか」
「生物の棲める環境などどこも似たようなものです。となれば、進化の終着点も大体同じですよ」
「そういうものか」
「そういうものです」
内心馬鹿らしいと思いながらも、俺はオリンピックの事情を説明した。
「……では、今回は地球の代表者は正式には決まらないと」
「まあそうなるな。出ない国が多過ぎる」
「では致し方ありません。勝負は諦めましょう」
「随分あっさりと引き下がるんだな」
「はい。しかるべき相手と最高の条件で行うのがせめてもの礼儀ですから。出直します」
その一言が、俺に火を付けた。
「俺じゃ役不足か」
「……いえ、私の目算からしてもあなたはかなりの実力者ですが、いいのですか」
星ひとつか、と俺は空気を吸い込んだ。
「やろう」

俺は事情を伏せたまま、スタートの合図を顔見知りに頼んだ。
さっきまでつまらない事を考えていたのが嘘のようで、頭にはもはや何のもやもかかってはいなかった。ああ、何を取り繕ったって結局俺にはこいつしかないのだ。
――意地がある。
オリンピックだろうが、星間戦争だろうがそんなものは関係ない。同じ距離を、とにかく早く駆け抜ける。それだけだ。
「位置について」
グラウンドに跪き、ただただ神に感謝した。


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