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夢森空間さん

路傍の石ころに甘んずることが出来なかった男の手記。好きなモノは哲学書と無菌室です。

性別 男性
将来の夢
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浅甕〈さらけ〉

16/03/02 コンテスト(テーマ):第104回 時空モノガタリ文学賞 【 映画 】 コメント:0件 夢森空間 閲覧数:779

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 甲高いブザー音が鳴った。それを合図に、先刻まであてどもなく彷徨っていた映写機の光が、スクリーンにびたりと照らし出された。

 映画館に来るのは実に久しぶりである。成人を迎えてからと云うもの、どうも休日の貴重な時間を割いてまでこういった娯楽場へ足を運ぶというのが億劫になってしまったのだ。その所為か、狭苦しい劇場内を煙霧のように漂うこの甘い匂いがとても懐かしく、また、一人で此処へ足しげく通い映画を貪り見ていた高校生時代へと舞い戻って来たような錯覚さえしてしまう。
 自宅の斜向かいにある寂れた工務店事務所の小脇を通り抜け、だらだらと長ったらしい下り坂を降り詰めた先が、此の映画館である。
 『小栗シアタア』と書かれた煤けた看板をでかでかと掲げているので、きっと一見でも一目でそれと分かる筈だ。年季の入った此の小さい館を経営しているのは老夫婦である。だが基本的に爺婆揃って不愛想の朴訥人間なので、私は高校時代に通っていた頃から一貫して一度たりとも挨拶どころか会釈すら交わしたことが無い。何回も通えば店側から常連扱いされる……なんていうのは全き根拠のない幻想なのだ。

 やがて本編が始まった。
 粗筋はなんてことの無い、平々凡々な恋物語である。――主人公の男子高校生と同級生の両想いが続くが、互いに想いを切り出すことが出来ないままに卒業を迎える……といったものである。
 ――ああ、きっと、最終場面で二人を偶然再会させ、そこで主題歌を流し、観客に感動を誘う魂胆なのだろう。
 全くご都合主義もいい所だ。それ以前に、物語自体が捻りもなく実にありきたりである。私は終盤に近付くにつれて、かくの如きイモ版映画の為に金を払った自分を恨んだ。 高校の時からそうだ。私が恣意的に選ぶ劇場作品はいつだって外ればかりである。


 だが他方で、内心そう唾棄しながらも、スクリーンを食い入って眺め見ている自分がいる事を、私は自覚していた。無論映画の内容に引き込まれていたのではない。
 私の意識が向けられていたのは、主人公の想い人である同級生――ヒロイン。

 嗚呼。
 確かに似ている。

 あの光景を明瞭に覚えている。
 私は、半開きの眼でスクリーンを凝視したまま、心ここにあらずといった態で、一人想起に耽る。
 ――放課後の校庭を走る君がいた。
 中学校。朱色の夕。白濁色の曇り日。南向きの窓から見ていたあの頃の光景が、頭の中でくるくると回り出す。
 ――遠くで私はいつでも君を探していた。
 名前さえ呼ぶことも出来なかった。無論、彼女が空気のような存在の私を知っている筈がないから。いきなりこちらから話かけても気味悪がられるのが関の山だ。そうなったらもう御終いだ、と懸念していたのである。
 年月は一刹那も止まってくれなかった。卒業式の日が凄まじい豪雨だった事を鮮明に記憶している。あの天候は『もう今生で二度と彼女に会うことは出来ないのだと薄々感じている反面、それを認めたくない』という煮え切らない私の想いが具現化されたものなのではないかと、今ながら思う。

 私も、この通りの有様だったのだ。

 ――何故声をかけなかった。きっかけなどどうにかして取り繕えた筈だ。他愛ない挨拶でもしておけば、仲良くなれるとまではいかなくとも、会話する位の事は出来た筈だろう。
 もう一人の自分が私を叱責する声を聞きとる。私は応える。
 ――そもそも私は彼女の身辺事情をいささかも知らなかったのじゃないか。知っていたのは彼女の走っている姿だけだ。いや待て、彼女には優等な恋人がいたのかもしれない。
 ああ。きっとそうだ。あんな綺麗な人に男衆が寄って集らない筈がない。だから、私は結果的にああしていて良かったのだ。彼女のような綺麗な人間と私とでは不釣り合いが過ぎる。下手にアプローチをして恥をかくよりも、ずっと良かった。
 日陰と日向は隔てられていなければならない。
 あれは、叶う筈もない、忘れ去らなければならない。不釣り合いな、背伸びをした、ご都合主義の立ち入る隙もない――つま先立ちの恋だ。

 ――頬を伝う涙の生暖かさが、私を一挙に現実へと引き戻した。
 同時にうら若い追想の幻視もまた、ほつりと何処かへ消え失せる。
 残されたのは暗く深閑とした劇場と、スクリーンを流れる白文字のエンドロールだけである。
 いつの間にか本編は終了していた。結局、私はずるずると過去の些事を回想していた為に、肝心のラストシーンを見逃したというわけか。

 私は寂寥たる想いを胸にしたまま、夢見心地で会館を後にした。
 館前は人気も風もなく、ただ、大気は香しさに満ち満ちていた。
 夕映えの空はあの頃と同じようなあんず色で染められている。

 願わくばもう一度、彼女の走る姿が見てみたい。
 今度は、日本酒でも片手に引っ掛けながらが良い。


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