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南野モリコさん

長い休眠から覚め、再始動しました。 よろしくお願いします。 ツイッター https://twitter.com/hugo_6892

性別 女性
将来の夢 一生文章を書き続けること。
座右の銘 非凡な花を咲かせるには平凡な努力をしなくてはならない。

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このドアを出て行く日

16/03/01 コンテスト(テーマ):第103回 時空モノガタリ文学賞 【 同棲 】 コメント:0件 南野モリコ 閲覧数:717

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20××年3月×日。
長い夜をバーで過ごした温子は、ようやく動き出した始発に乗り、
ふたりで暮らすアパートに帰り着いた。玄関を開けると、
朝日が差し込む部屋に光孝の姿はなかった。
温子は頭が真っ白になり、震えが止まらなくなった。

昨日から、メールも携帯も一度も繋がらなかった。
ふたりは、朝の出勤前、つまらないことで喧嘩をしてしまったのだ。
寝坊して遅刻しそうな苛立ちから始まり、
売り言葉に買い言葉の末に、これまでずっとため込んでいた思いを、
温子はついぶつけてしまった。

へなへなと床に座り込んだ。無事に帰り着いた安心感と
光孝がいない絶望感。温子は、お茶が飲みたくなり、
キッチンを探した。引き出しの奥からいつ買ったかも分からない、
よれよれのティーバッグを見つけ出し、
一昨日の夜、沸かしたお湯をマグカップに注いだ。

冷めたお湯の中で、ティーバッグから黄緑色の液体が
じわじわと抽出されていく。
カップのお湯の色が変わる様子をぼんやり見ていると、
昨日の朝の会話が蘇ってきた。
今では、頭の中で反芻しただけで、耳をふさぎたくなる。
思い出したくない、あの言葉。

「こんな生活、いつまで続ける気?もうイヤ。出て行く。」

ふたりでアパートを借りてから、2年が経とうとしていた。
もうすぐ更新の通知が不動産屋から届くだろう。
光孝はこれからのことをどう考えているのだろう。
ふたりの将来の話し合いは、このドアからふたりが
出て行く日を決める話し合いのような気がしていた。

どうせ壊れるなら、自分で壊してしまった方がいい。
それは大間違いだった。ああ、なぜあんなことを言って
しまったのだろう。それも、よりによって昨日という日に。

いつもはお茶なんか飲まない。朝、目を覚ましたい時には
熱いコーヒーだ。忙しく仕事した後のご褒美は
スパークリング・ワインかベルギー・ビール。

それなのに、なぜかぬるいお茶を飲みたくなった。
ひとくち飲むと、少しだけ気持ちが楽になった気がした。
一杯、飲み干すと、抱きしめられたように心がほどけていった。

その時、ガチャガチャと鍵を開ける音がした。
顔を上げると、疲れ果てた光孝がそこにいた。
ふたりは駆け寄って抱きしめ合った。押さえようとしても涙が止まらない。

「無事でよかった」


2011年3月11日、金曜日。
「こんな生活、いつまで続ける気?もうイヤ。出て行く。」
温子は、乱暴にドアを閉め、足早に駅に向かった。
「悪かったよ」と言いながら、光孝が追いかけて来ることを期待しながら。
しかし、昨日はその気配がないまま駅に着き、
電車は二人のアパートから遠く離れた駅まで温子を運んでしまった。

気まずい出来事から始まった1日。
あと少し頑張ればアフター・ファイブと週末、
という時に、それは起こった。

「メールも電話も繋がらなかったけどさ、
俺は、温子はきっと無事で元気だと信じてた」
光孝の存在の確かさを感じて、涙が止まらなくなった。
ふたりで暮らし始めた頃は、この人さえいれば、
欲しいものなど何もなかった筈なのに。

テレビを点けると、現実とは思えない風景が延々と
映し出されている。ふたりはもう一度、抱き合うと、
昨日、お互いどこで何を過ごしていたか、報告し合った。
光孝は、同僚の家まで歩いて辿り着き、一晩、泊めてもらったと言った。

「温子のお父さんとお母さんには、俺から電話しておいたよ。
温子とは連絡が取れてないけど、絶対、無事だから
心配しないで下さいって、言っておいた」

ふたりは互いを確認するかのように何度も抱き合った。

たった一晩で街は変わってしまった。
いや、街なんてものは、もうないのかもしれない。
街だけじゃない。昨日まであったものは、全て崩れ去ったのだ。

「お父さんもお母さんも、安心して喜んでいたよ。
お母さんから、今度、遊びに来て下さいねって言われちゃった」


この世で確かなものなど限られている。
ひとつでも確かなものがあるとしたら、それを手放してはいけない。

「早くご両親に挨拶に行かないとね」。
温子はわっと泣き出した。ふたりがこのドアを出て行く日が近づいていた。


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