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宮下 倖さん

宮下 倖です。 楽しくたくさん書いていきたいです。

性別 女性
将来の夢 誰かの心にひとつでも響く言葉が紡げたら幸せです。
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ビールと雑誌と塩からあげ

16/02/29 コンテスト(テーマ):第102回 時空モノガタリ文学賞 【 ギャンブル 】 コメント:6件 宮下 倖 閲覧数:820

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 ひとりぶん進んだスペースを二歩で詰める。香ばしい匂いが鼻先で遊んで、ふっと風に散った。人々の背中が重なる先には『塩からあげ』の幟がはためく。「絶品」と評判の惣菜店を目指す列に埋もれた私は、爪先立って前方を窺った。
 きっと無理だ。こんなに並んでいるんだもの。人気のからあげは、きっと自分の番がくる前に売り切れてしまうだろう。
 そう思ったのに順調に列は進み、結局なんの問題もなく欲しいだけの塩からあげを買えてしまった。仕事帰りのこの時間に買えるなんてめったにないのにと提げた袋を覗きこむ。食欲を刺激する匂いだ。ビールに合うに違いない。

 さて、それなら次だ。これは自信がある。絶対、先を越されている。
 私はからあげの匂いを引きつれて本屋に入った。まっすぐにレジに向かう。

「すみません。中川ですけど、定期購読の雑誌を……」

 中川様ですね、と笑顔で復唱した店員さんが「いつものですよね」と真後ろの棚からすんなりと雑誌を引き抜いた。
 うそ、今日はまだ来てないの? あの人、いつも発売日には必ず寄って、嬉々として買ってくるのに。この時間に帰宅していないはずがないから、なにか用事でもあって今日は来られなかったということか。
 私は紙袋に入れられた雑誌を複雑な思いで受けとった。ずいぶんなイレギュラーだ。

 次で最後。これは大丈夫。この先の酒屋さんに、春限定の缶ビールの在庫は昨日の時点で半ダース。絶対もう売り切れてる。残っているはずがない。
 ところが、少し引っかかりながら開いた自動ドアの真ん前に山積みの限定ビールが見えた。大きめのポップには『緊急入荷しました!』の文字が躍っている。
 あれ飲みたいなあとコマーシャルを観ながらあの人が言っていたビール。諦めにも似た苦笑とともに、六缶パックをレジに運ぶ。横から見える桜色の缶が目に鮮やかだった。

 とても人気で夕方には売り切れる塩からあげを買えたら、言う。
 あの人が定期購読している歴史雑誌を、あの人より先に受けとれたら、言う。 
 あの人が飲みたいと言っていた限定ビールを買えたら、言う。

 私の勝手な賭けだ。みっつとも勝率は低かったはず。自分勝手な勝負ごとを、あの人が好むものに託したら、すべてがゴーサインを出している。
 雑誌を鞄に入れ、からあげとビールを提げて、私はあの人の待つ家に足を向けた。

 玄関先で投げた「ただいま」はいつもより小さくなった。茶の間のほうで「おかえり」と機嫌のいい声が応じる。ひとつ深呼吸をしてパンプスを脱ぎ、普段通りまず仏間に向かう。小さな仏壇の前に正座し、お線香をつけて、明るい笑顔の母の遺影に「応援してね」と手を合わせた。

「遅かったなあ」
「うん。ちょっと」

 あの人との会話は短い。むかしはそれに対して変な罪悪感があったけれど、今はもうあたりまえのリズムだ。鞄から雑誌の入った紙袋を出して渡す。一瞬、怪訝な顔をしたあの人は、中をちらりと検めると「ああ」と破顔した。

「ありがとう。今日は県庁で会議でなあ、そのまま直帰したから寄れなかったんだ」
「そっか」

 嬉しそうなあの人の前に、塩からあげと限定ビールを置く。「おっ」と目を瞠ったあの人から少しだけ視線をずらして私は一気に言った。

「運よく買えたんだ。一緒に飲もうか、おとうさん」




 十年前、母が再婚した。当時中学生で思春期真っ只中だった私は、素直にその人を父とは呼べなかった。「ねえ」とか「ちょっと」とかひどい呼びかただったのに、何も言わずに微笑んでくれたのが痛くて申し訳なくて、長いこと意地になってしまった。
 成人式を迎え、これじゃあいけないと奮起した矢先、母が不慮の事故で他界した。悲しみだけに目が向いて、もうそれどころじゃなくなった。それから一度もちゃんと呼べないままだ。
 でも今日は、あの人が「父」になってくれた十年目の日だ。私は密かに賭けをした。背中を押してくれる何かが欲しかった。

 とても人気で夕方には売り切れる塩からあげを買えたら、言う。
 あの人が定期購読している歴史雑誌を、あの人より先に受けとれたら、言う。 
 あの人が飲みたいと言っていた限定ビールを買えたら、言う。


「おとうさん、大きいグラスでいい?」
「あっ……ああ。うん」

 大きく見開かれたままの父の瞳が潤むのがわかった。「おとうさん」と声に出してみれば、照れくささだけではない、あたたかな気もちを自分の中に見つけることができた。一瞬で十年前に巻き戻った時間が、ちがう色に染まって目の前に広げられた気分だった。

 ビールをグラスに注ぐ音が心地いい。向かい合わせに座って、なにに対してかの乾杯をする。ぐっとグラスを呷り、美味いと笑った父に私は微笑んだ。桜色の缶が、二本寄り添っている。





―― 了 ――


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このストーリーに関するコメント

16/03/07 光石七

拝読しました。
こういう自分の中での小さな賭けは、経験がある人も多いと思います。
ようやく親子になれた二人、温かくじんわり広がる読後感でした。
素敵なお話をありがとうございます!

16/03/08 宮下 倖

【光石七さま】
「〇〇できたら△△する」というような小さな賭け。自分の中では答えが出ているのに、後押しが欲しいときにやってしまいます。
「おとうさん」と呼べたことで少し我儘が言えるようになったりするかな……とふたりのその後を想像して嬉しくなったりしています。
作品を読んでいただき、またコメントを残してくださりありがとうございました!

16/03/23 宮下 倖

【小狐丸さま】
はじめから「父」とわかるように示すか、「あの人」とぼかすか考えて2パターン書いてみたのですが、後者の方がしっくりくるように思えてこちらの方を選びました。彼女の「まだどこか素直じゃない」感じが出ればとも思いました。
描写を褒めていただきありがとうございます。引っかからずにすんなりと読んでもらえるような書き方をしたいと思っているので嬉しいです。
作品を読んでいただき、またコメントを残してくださりありがとうございました!

16/03/27 滝沢朱音

わー、とても素敵!感動しました。
「塩からあげ」の匂いから始まる出だしからは想像もつかない、
美しくてはかない刹那の掌編ですね。
私たち読者の「あの人」の謎解きの時間は、主人公にとってまさに
「あの人」から「おとうさん」に変わる瞬間でもあったのだなと。

16/03/27 宮下 倖

【滝沢朱音さま】
素敵な感想をありがとうございます!
コメントを読ませていただいて、自分でもはっとしました。頭の中でぼんやりと考えていたことを、ずばり文章にしていただけた感じです。
読み手の方が2000字を進む間に、彼女が階段をひとつ上がるような感じで。
作品を読んでいただき、さらにコメントをくださりありがとうございました!

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