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吉岡 幸一さん

性別 男性
将来の夢
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蜜蜂の雨降る時間に

16/02/27 コンテスト(テーマ): 第74回 【 自由投稿スペース 】  コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:734

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 雨が降っている。
麻里子はカーテンの隙間から空を眺め青いため息をつく。糸のように細い雨が空気をにじませ、公園の枯れ木の色を濃くしている。雨のせいか公園の真ん中でいつも体操をしている老人の姿が今朝はない。樹をゆらす風もなく、にぎやかな雀の姿もなく、公園の向こう側にみえる家々の窓にもまだ明かりが灯っていない。
 はやく起きすぎたかな、とつぶやきながら麻里子は長い髪を首からふわっと持ち上げる。そろそろ美容院にいって髪を短くしたいなと思いつつも、潤一から長い髪が好きと言われ切ることをためらわせている。
 冬の朝は寒い。暖房をつけても天井の方ばかりが暑くなり、いつまでたっても足元は痛く凍りついたまま。ベッドに腰をおろし、足の指をこすり合わせながら時計をみると午前六時三十二分、一瞬二度寝をしようかと思うが首を振り、水玉模様のパジャマを脱いでいく。胸の先がわずかに痛い。
 丸い水槽のなかで泳ぐ金魚が水面から口を出し針金のような声で話しかけてくる。「今日は休みだっていうのに早起きじゃないか。彼氏とのデートは昼からなんだろう」金魚は身体半分水面から飛びあがり、回転すると、尾を水の外で振りながら水槽の底まで潜っていく。底で止まって半分笑いながら麻里子をながめている。
 金魚は赤い、黄金色に近い赤さ。水槽のなかに一匹、敷き詰められた小石と一本の太い水草、カーテンから入ってくる柔らかな明かりを受けて水が揺らめいている。
半年前にふたりで行った幸運神社の縁日ですくいそこねた金魚だ。麻里子にいいところをみせようと潤一はがんばっていたが、一匹もつかまえることができず、オマケで露店のおじさんからもらった金魚である。
金魚をみるたびに金魚すくいが終わった後の情けないような潤一の笑顔を思い出す。けして悪い想い出ではない。額から汗をしたたらせながら不器用に金魚を捕まえようとした姿を思い出すたびに胸の底が熱くなってくる。
「あんまり張り切るんじゃないぞ。愛情の押しつけってのは重たいもんだからな」
こもってはいるが金魚の声は水の中からでも聞こえてくる。
「わたしたちべつに付き合っているわけじゃないんだから、好きとかどうとかそんな感情はないの」
「へえ、毎週ふたりで会っているっていうのにか」
「だってまだ付き合っていないんだもん。告白だってまだ・・・」
「中途半端」金魚はそう言うと背を向ける。
水槽は学習机の棚の上にある。潤一と並んで撮ったプリクラは引き出しの奥にしまっている。編みかけて止めた手編みのマフラーは熊の縫いぐるみの首に巻かれている。
ベッドから立ち上げると麻里子はカーテンを思いっきり開ける。雨空の甘い光が部屋の奥まで広がっていく。白い肌が光に浮かび、なめらかな影が曲線を描いている。外から見られるかもしれないことを意識しながらも麻里子は自然の光の内側で着替えたかった。

ダイニングキッチンに降りていくとまだ母の姿はない。休日の朝は母も少し遅めに起きてくる。普段は父と娘の弁当を作るために五時半に起きている母ではあったが、弁当の心配のない休日はゆっくりと寝ている。
通り過ぎ、先に顔洗い、歯を磨いてキッチンに戻った麻里子は冷蔵庫から卵を二個取り出し、サラダオイルをしいたフライパンをコンロの火であたため、その上に卵を落とすと塩胡椒をふり、長箸でまぜてスクランブルエッグを作りはじめる。卵が固まったところで火をとめて、からしマヨネーズをぬった食パンに乗せて挟む。手で圧力をかけて押すとパンとパンの間から卵とからしマヨネーズがはみ出してくる。
包丁で半分に切った後、皿に乗せ、牛乳といっしょに頬張る。熱く焼けた卵と甘辛く濡れたマヨネーズが口のなかで踊る。パンの柔らかさと卵の熱、冷蔵庫の中で冷えていたからしマヨネーズが舌の上で撥ねながら暴れている。
欠伸をかみ殺しながら母が入ってくる。眠そうに瞬きをしているが髪に寝癖はなく、うっすらと化粧の後さえうかがえる。頬は運動の後のように赤く染まっている。
「はやいわね、今日はなにかある日だったかしら」
母は冷蔵庫を開けながらまるで独り言をいうようにつぶやく。麦茶を取り出すとコップ半分に入れて一口口に含む、そして味わうように喉の奥に落としていく。
「今日お昼ごはんいらないから、友達とランチする約束してるから」
「夕飯には帰ってくるんでしょうね」
「たぶん・・・」
「たぶんって、あんたは推薦で大学に行くからいいんだろうけど、お友達は受験じゃないの。少しは相手の事も考えてあげないと駄目よ」
「わかってるって・・・」
麻里子は眉をしかめ押し込むようにパンを口に入れると牛乳を一口飲んで立ち上がる。皿をキッチンに運んで、まわりのゴミを片付け、つめたい水道の水で皿を洗う。
座った母はテーブルに肘をついて娘の顔をぼんやりと眺めている。麻里子を見ているというより麻里子の後ろ側を見ているような目をしている。溶けるような瞳、なにかの余韻に浸っているような淡い色、嫌悪感をもよおしそうになるが羨ましくもある。
「お母さん眠たいんでしょう。まだ寝てたらいいのに」
「そ、そうね」母は恥ずかしそうに頷くと、そそくさと立って寝室に戻っていく。薄手のパジャマの背中がわずかに湿っている。
母が残していった雌の香り、わたしも母と同じ香りを放っているのかしらと、麻里子は思いながら濡れた手をタオルで拭いていく。母の容姿がもし今のように美しくなかったらならば、きっと軽蔑していただろう。母と同じ四十二歳になったときわたしを女でいさせてくれる人は側にいるのだろうか。
麻里子は半分笑い顔になりながらドアの向こう側を見続ける。

 シャワーは熱いくらいが気持ちいい。紫色の湯が肌に突き刺さる。曇った硝子に写る姿は白い砂糖の塊、溶けていく肌、むき出しの骨、光の渦が回転しながら麻里子の皮膚を撫でていく。
鏡のなかの麻里子は泣いている。ころころと瞼の奥から落ちていく透明なあめ玉。
鏡の外の麻里子は微笑んでいる。ふにゃふにゃと震えている赤い頬の肉
「好きだってことがばれないようにしないといけないよ」と、鏡のなかの麻里子は泣き続けながら言う。
「ばれたっていいじゃない。自分を偽るのって嫌い」と、鏡の外の麻里子は近い未来に思いをはせながら答える。
「女の子は惚れるより惚れさせてなんぼのものよ」
「惚れられるより惚れる方がいいの。愛は惜しみなく与えてこそ愛なんだから」
「あなたって本当に馬鹿な女ね。夢を見すぎているのね」
「夢をみない人生より、夢のある人生のほうが素晴らしいって思わない」
「くだらない、はやく夢みる乙女を卒業することね。卒業したら・・・」
「カガミを割るわよ」鏡の外の麻里子は拳をあげて鏡をたたく真似をする。
鏡のなかの麻里子は機嫌を損ねたように背中を向けるとうずくまって頭を抱える。
浴室は紫色の湯気で満ちている。柑橘系のツンとした香りと消毒液の匂い、空の浴槽には黄色いアヒルの玩具が三匹入っている。アヒルはお湯がなくてつまらなそうに眠っている。アヒルの上からシャワーをかけて無理やり起こすと、麻里子は申し訳なさそうに「ごめんね」と言う。言葉と行動がきれいに分離している。シャワーを浴びたアヒルは驚いたように目を覚まし、口々に「お湯を溜めて、お湯をいっぱい入れて」と言いはじめる。
「うるさいわね。お湯は夜になったら入れてあげるから」
そういうと麻里子はシャワーを止めてドアを開くとバスタオルを取って身体をふきはじめる。浴室内で大雑把に体の水分を拭き取ると、タオルを体に巻いて洗面室へと出ていく。浴槽の底からは「いじわる、いじめっこ」というアヒルたちの黄色いがなり声が響いてくる。
ドアを開けた時、紫色の水蒸気が洗面室にも広がっていき洗面台の鏡は一瞬にして曇っていく。ドライヤーで髪を乾かし、曇った硝子にもドライヤーをあてて曇りをとばすと、鏡には浴室の鏡の中にいた麻里子が睨んでいる。
「今日のデートうまくいくといいわね。すこしだけ成功を祈ってあげる」
「ありがとう。素直に受け取っておくわね」
「あなたと彼が並んで鏡に写ったら私も彼に会うことができる。あなたは彼を知っているけど、わたしはまだ彼を知らない。わたしとあなたは同じ存在なのに、わたしの知らないところであなたは幸せをつかもうとしている。それが憎いし悔しいし、羨ましいのよ。でもあなたの幸せはわたしの幸せのはず、きっとそう、きっと」
鏡のなかの麻里子の瞼の奥からころころと透明なあめ玉が落ちていく。

お気に入りのワンピースに着替え、学生らしく薄化粧をし、まだ待ち合わせの時間にはかなり余裕があるので本屋にでもよって時間をつぶして行こうと思い、階段を下りていくと玄関に父親が立っている。
サルバドール・ダリのような髭をたくわえ、大江健三郎のような黒縁の眼鏡をかけている父は年齢不詳、職業不詳の得体のしれない存在。麻里子は父が苦手だったが、嫌っているわけではなく、ただ単にどう接すればいいのかわからないでいる。
「おお娘よ、こんなに朝早くからどこにいくというのだ。この老いぼれた父をおいて」
両手をひろげ、舞台俳優のような大げさな口調で話すのが父の癖だ。
「どこに行ったってわたしの勝手でしょ」
「この門の外は汚れた人間どもであふれておるぞ。うかつに出ると穢れがうつってしまうぞ」
「いい加減にして。お父さんめんどうくさいよ」
わっはっはっ、と父はのけ反りながら笑う。
靴箱のうえに飾られた胡蝶蘭の花たちがいっせいに父の後を追って笑いだす。白い花はゆれ、甘ったるい香りを垂れ流す。


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