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吉岡 幸一さん

性別 男性
将来の夢
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流れる林檎のうえに

16/02/26 コンテスト(テーマ):第103回 時空モノガタリ文学賞 【 同棲 】 コメント:2件 吉岡 幸一 閲覧数:932

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 川面に浮かぶ光の玉が右へ左へと揺れながら遊んでいる。
 小魚の群れは仲良く列になって廻っている。
 水は山から海へと向かってながれ、雲は西から東へと泳いでいる。
「今日からあの家で暮らすのね」
 彼女は少し恥ずかしそうに見上げる。
 五階建てのマンションの三階の角部屋、川に面していて景色もよい。
 川向うに高い建物はなく、田んぼと一軒家と小学校がみえるだけ。
「この町に馴染めたらいいな」
 彼は乗って来た軽自動車に寄りかかりながら腕時計を見つめる。
 引越し屋のトラックが来るまでにはまだ時間がある。

 学校帰りの小学生の集団が通り過ぎていく。
「今日、先生が来るから帰ったら掃除しなくちゃ」
「うちなんか、お菓子用意しないといけないって言ってたよ」
「なに言われるのかな。気になるな」
 どうやら家庭訪問があるようだ。
 小学生らは新しい住人に興味などない。
 小石を蹴りながら賑やかに歩いていく。
 川に落ちた小石は水を跳ねあげ小魚を驚かす。
 亀が濡れた石の上で首を伸ばしている。

「デザインの仕事だけでは食べていけないから、子供相手にイラスト教室でも開こうかなって思って居るんだ」
「意外と年配の人たちが習いに来るかもしれないわよ」
「君も明日からは仕事だろう。気が休まらないね」
「町役場の臨時職員だから、たぶん大丈夫よ。前も役場で働いていたんだから」
 彼らは川を眺め、未来に想いをはせている。
「仕事が安定したら籍を入れようか」
 彼が何気なく言った言葉に彼女は赤く頷く。
「楽しい毎日になったらいいな」

 車が何台か通り過ぎた後で引越し屋のトラックが到着する。
 道に迷ったとかで予定よりも三十分遅れている。
 荷物は多くはない。二人を入れて五人もいればあっという間に荷物は部屋のなかに。
 部屋の中は段ボールの山と僅かな家電と家具があるだけ。
 引越し屋が帰った後でベランダに出ると涼やかな風が頬を撫でていく。
 雲の色は薄く、空の色は濃い。
 彼は首に巻いたタオルで汗を拭きながら背伸びをする。
 彼女は綺麗に折りたたんだタオルで額の汗を拭きながら微笑んでいる。

「日が暮れたら近所に引越しの挨拶にいこう」
「お蕎麦は多めに買ったから、夕飯はお蕎麦ね」
 段ボール箱を開くたびに過去と未来が溢れてくる。
 これは実家から持ってきた物、これは新しい生活のために買った物。
「ねえ、もしお父さんがふたりの同棲を反対したらどうしてた?」
「そのときは、かけ落ちでもしていたかな」
「かけ落ちしてみたかったな」
「馬鹿言うなよ」
 ふたりは顔を見合わせて笑い合う。
 視線と視線が溶けながら絡み合う。
 外からは子供らの声、バイクの走り去る音、聴きなれない小鳥の鳴き声がきこえてくる。

 夕日が窓の奥に差し込んできて、部屋のなかを朱色にそめる。
 早目の夕飯をすませ、隣近所に引越しの挨拶をし終えて外に出る。
 川辺の欄干から夕焼けに色に染まる川を並んで眺める。
 草葉は頭を垂れ、川の流れは緩やかで、なぜか熟れた林檎が流れている。
「ごめんね」
 彼女は肩をふるわせ両手で顔をおさえる。
「いいんだ、大丈夫だよ。泣かないで」
 彼は優しく彼女を抱きしめて涙がこぼれるのを堪えている。
「幸せになっていいだよね」
「ああ、幸せになろう。あの子だってきっとそれを望んでいるよ」
 夕日がふたりを包み込む。しだいに暗くなる空をいくつもの星が瞬きはじめている。
 小学校の体育館からは明かりがもれて、賑やかな吹奏楽の音が町の底を満たしている。
 ふたりは見つめ合い、そして頬笑み合う。


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このストーリーに関するコメント

16/03/07 クナリ

失われた命、ということでしょうか。
静かに流れる空気感が印象的でした。

16/03/29 吉岡 幸一

クナリ様
コメントをいただきありがとうございます。
とても嬉しく思います。
クナリ様が書かれている通りです。
今後ともよろしくお願いします。

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