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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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一服の夢

16/02/15 コンテスト(テーマ):第101回 時空モノガタリ文学賞 【 お茶 】 コメント:7件 冬垣ひなた 閲覧数:964

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「あれは誰の夫人か?」
 第18代アメリカ大統領の任期を終えたグラント将軍が、日本を訪問したのは1879年、明治十二年の事であった。天皇に謁見した将軍は日本の名所を巡り、この長崎では華々しく搭乗艦リッチモンド号の艦上パーティが開かれていた。
 鎖国を解かれた長崎の港は、すでに貿易の特権を失っていた。そんな折からの米国重鎮の訪問である、屈強な軍人に囲まれ、このパーティーに国賓として招かれた名士は浮足立った。
 そんな中、際立つ一人の女の姿があった。
 年はもう盛りを過ぎていたが粋に着飾り、それは過ぎ去った長崎の栄華を偲ぶようでもあった。
 将軍は通訳を介し知事に尋ねるが、首を振る。
「彼女は誰の夫人でもありません。日本茶の貿易商です」
 通訳は知事から聞いた女の名を、将軍に伝えた。
 ケイ オオウラ……。
 その髪を飾る金の簪(かんざし)が、ひときわ美しく輝いた。


「お慶様は商いに興味がおありか?」
 店で算盤をはじいていた大五郎にそう言われ、お慶は手毬を隠した。
 年の十離れた大五郎は父親の養子であり、いずれはこの油問屋の一人娘・お慶と祝言を挙げ店を継ぐ、そういう事になっている。
「難しいことは大五郎がやってはくれぬか?」
「そういうわけには参りませぬ」
 生き馬の目を抜くような長崎の商売においては、正道も裏道も知りつくさねば生きてゆけない。女童相手にそんな事を説教する大五郎の生真面目さに、お慶はほとほと嫌になる。
 結局そばに居るのだったが、退屈になることもしばしばだった。
「大五郎、一服せぬか?」
「お嬢様。そんな事は私たちが……」
 店の者が言うのも聞かず、お慶は自分で大五郎の茶を入れてくるのだ。まだまだ拙いが、幼い娘にも将来の事を思う感覚が出てきたのだろうと、父親は顔をほころばせ、二人の為にうんと値の張る茶葉を買ってやるのだった。
「お慶様の入れる茶は美味いな」
 お慶の退屈を見透かしてはいたが、香ばしい茶の湯気を嗅ぎながら大五郎は褒めてくれる。
「珍しい菓子もあるのです、どうぞ」
「私は果報者でございますな」
 若い二人の笑い声に、店は明るい空気に包まれるのだった。


 禍福はあざなえる縄のごとしという。その年の暮の事だった。
「大五郎!」
 体調の悪化を隠していた勤勉な大五郎は、ついに病に倒れ死の床についた。
「お慶様……申し訳ありませぬ……」
 大五郎は小さな包みを差しだした。
 中から出てきたのは、見事な金の簪だった。
「この長崎で……一番の品です。本当は祝言の時に……お渡しするはずでしたが……無念でございます……」
 大五郎の亡きがらに縋りつき、お慶はいつまでも泣いていた。
 お慶、わずか十歳の事である。


 だが不幸はそれだけにとどまらなかった。次いで父親も亡くなり、大火に見舞われたお慶は一六歳にして店をも失ったのである。
 金の簪を握り、お慶は死に物狂いで働いた。すでに油の価値は低く、その代わりにお慶が目をつけたのが日本茶の貿易であった。
 当時列強の間で茶が高値で取引されている噂は、鎖国していても長崎にだけは聞こえ届いていた。
 後ろ盾も伝手もない。勝算もわずかだ。
 異国人に日本茶の見本を渡し、二十五歳のお慶には、ただ祈ることしかできなかった。
 三年後、英国の商人がお慶を訪ねた。
 その注文は莫大なもので、さらに三年後に船が日本茶を乗せアメリカへと旅立つと、お慶は一躍時の人となり、巨万の富を得た。
 坂本竜馬・西郷隆盛など幕末の志士もこぞって彼女の援助を受けたという……。


 しかし、彼女を女として幸福にする者はなかった。
 しまいには商いの神からまで見捨てられた晩年だった。
 栄華を極めた彼女は酷い詐欺に遭い、巨額の借金を背負ったのだ。
 艦上パーティも知人の計らいによる商人の花道といってよかった。
 

「夢を見ていたようね」
 今はお慶自身が死の床にいる。彼女は胸に簪を抱いた。
「まったく、茶も落ち着いて飲めない人生だった」
 いまわの際だが、お国から褒章を頂けた。
 ありがたい話だ。
 そうだ、これを持って大五郎に会いに行こう。褒めてくれるだろうか?
『お慶、一服せぬか?』
 西日が差しこみ金色に輝く庭の池のほとりに、お慶は大五郎の声を聞いたような気がした。
 大五郎、いえ大五郎様。
 この世はまこと夢のようでございました……。

 
 明治十七年(1884年)大浦慶、永眠。
 幕末・維新の激動の時代、五十七歳の生涯を独身で貫いた。
 日本茶は、生糸と共に輸出業の一角を担い、欧米による植民地化の防波堤にもなった。
 慶は男狂いであったとか、密航説もあるが、そのほとんどが講談による脚色で、現在にして3億円もの借金も死ぬまでに返済したという、女傑の真の姿はいまだ謎に包まれている。


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このストーリーに関するコメント

16/02/15 冬垣ひなた

≪参考文献≫

・竜馬が惚れた女たち (原口泉・著)ほか

この作品は講談師による既存の好色なエピソードを排した上で、大浦慶の実証的研究をされた本馬恭子氏の説をもとに史実に基づき、小説化しました。ご了承ください。

≪補足説明≫
・この画像は「写真AC」からお借りしました。

16/02/16 クナリ

日本茶が貿易で大きく扱われたというのは知りませんでした。
実在の人物を扱う際の情報の取捨選択は難しいと思いますが、読みやすくまとめられた作品でした。

16/02/18 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、拝読しました。

大浦慶という女性のことは知りませんでした。
冬垣ひなたさんのこの作品で初めて知りました。とても勉強になりました。

よく本を読んでおられるのですね。感心させられました。

16/02/20 滝沢朱音

大浦のお慶さん!ぼんやりとは知っていても、詳しくありませんでした。
でも、こうやってひなたさんのフィルターを通して、
関わったお茶も落ち着いて飲めない人生を夢中で生き抜いた彼女の姿に触れて、
とても興味がわきました。参考文献も読んでみたいなあ。
この掌編、長編にもなりそうですね。

16/02/24 冬垣ひなた

クナリさん、コメントありがとうございます。

今回は一作だけのつもりでしたが、たまたま読んでいた坂本龍馬の本で彼女を知り、知った以上書かねばと頑張りました。しかし資料も少なく子孫が絶えた現在、ほとんどの歴史本がフィクションを根拠にしているというのには、さすがに衝撃を受けました。通説に頼ってはいけないですね、今回は色々勉強になりました。


泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

書きたいと思った時も一から始める事が多く、今回は特に1週間ほどしか時間がなく大変でした。でも、こうしてようでいただけて嬉しく思います。
通説では男狂いとされる慶は、こうしてみると没落後も多くの人の厚情を受ける人柄であったことは間違いなく、生涯独身だった理由を「大五郎の事が頭にあったのでは」とする本馬氏の説も頷けるものがあるのです。


滝沢朱音さん、コメントありがとうございます。

密航説については、晩年に慶が言った事もあったそうです。どんな女性なのか、本当に気になりますよね。
本馬氏の著書は絶版でプレミアついて6千円ですが、上記の大学教授が自分の本にうまく纏めてくれています。今データみたら『翔ぶが如く』や『篤姫』などで時代考証された方でしたΣ(・口・)道理でやけに奥行きとボリュームのある本だと思った……。

16/02/25 光石七

拝読しました。
坂本龍馬を援助した女商人がいたということは漠然と聞いたことがありますが、この方なんですね。
ひなたさんが描かれたお慶、とても魅力的です。激動の時代に女の身で道を切り開いて駆け抜け、でも大五郎への想いが純粋でかわいらしくて……
素敵なお話をありがとうございます!

16/03/03 冬垣ひなた

光石七さん、コメントありがとうございます。

慶の事はこういう機会でなければ掘り下げて調べなかったので本当に良かったです。金持ちの彼女の周りに良い男がごろごろいたのだから、説を全ては否定しませんが、話に尾ヒレがついたまま現代にいたるというのも、少々怖い気がします。
魅力的、そう言っていただけて恐縮です。ノンフィクションの領域で斬新な説を出されると、小説家が想像力で負けてちゃいけないと最近思うのです。これからも頑張りたいです。

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