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吉岡 幸一さん

性別 男性
将来の夢
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名刺ならべ

16/02/14 コンテスト(テーマ):第73回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:647

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 ベッドから起き上がったタケシは大きく背伸びをすると、カーテンを開けて日光を浴びた。二度寝の後に時間を気にすることなく起きるのは気持ちがよかった。会社をさぼった日はなおさらだった。
ゆっくりと顔を洗い、時間をかけて歯をみがき、砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながら、欠伸まじりにポテトチップスをつまむ。心地よい昼前の時間、仕事を忘れ、だらける喜びに浸れるこのひと時が好きだった。
玄関の鍵が外れドアの開く音が聞こえた。合鍵を持っているのは婚約者しかいなかった。
あらっ、と部屋に入ってくるなりケイコは声をあげ、手に持っていた買い物袋を落とした。
「いや、ちょっと具合が悪くって、今日は会社を休んだんだ。熱もあって」
急に咳をし始めると、ケイコは呆れたように「めずらしいわね」と笑った。
「どうしたんだい、突然。今日は仕事がある日だろう」
「私、会社辞めたのよ。それで自分の会社を起したの。ごめんね。言ってなかったね」
ケイコは胸のポケットから名刺を取り出すと、すこし頬を赤らめながら差し出した。代表取締役社長、田中ケイコと書かれてある。白いケント紙に会社名、役職名、名前、住所、電話番号が印刷されているだけの簡素なものだ。
「へえ」と、タケシは軽く受け流したが、動揺していたのか指先が震えていた。
「顔色よくないね。今日は寝ていたほうがいいわよ。カレーでも作ろうと思って寄っただけだから。作ったらすぐ帰るね」
ケイコは買い物袋を持ってキッチンに向かうと手際よく料理をはじめた。対面式なので、ベッドに腰をおろしていてもケイコの上半身は見えていた。
具合が悪いと言っているのにお粥ではなく、そのままカレーを作ろうとするあたりケイコらしいな、とタケシは思いながら手にした名刺を眺めていた。
「結婚しても仕事を続けるんだろう。会社作ったくらいだから」
「タケシ君が家庭に入って欲しいっていうのならそれでもいいわよ」
「そう。じゃ、逆に僕が家庭に入ってもいいかな」
「お好きにどうぞ。そうなったら私がいっぱい稼いできてあげるから」
料理の手を休めて、ケイコはまっすぐタケシを見つめながら言った。目に迷いはなく、声に震えはなかった。
カレーの香ばしい匂いがしてくる。
タケシがカレーの匂いに胃袋をゆるめていると、ケイコは料理を終えてキッチンから出てきた。
手をふきながら近づくと、手のひらをタケシの額にあて「熱はないみたいね」と、うなずいた。
「私はこれから仕事だから帰るけど、また夜に来るわね。それまで大人しく寝て、早く良くするのよ。調子がよくなったら、カレーを食べてね」
ケイコが帰った後、すぐにタケシはカレーを温めて食べ始めた。あきれるほど美味しかった。
差し込む光がテーブルの上に置かれた名刺を照らしている。
タケシは自分の名刺を横に並べてみた。役職名の欄は空欄だ。
思い立って自分の名刺をテーブルにすき間なく並べていく。端から端まで、一枚一枚丁寧に並べていく。最後に残ったスペースにケイコの名刺を置いた。
テーブルいっぱいの名刺をしばらく眺め、飽きるとまとめて重ねてトランプを切るようにきった。そして一枚一枚上から順番に捲っていき、また端から順に並べていった。
「違う、ちがう」
捲るたびにタケシは吠える。最後の一枚まできて、ようやくケイコの名刺が現れた。
「これで、よし」
そう言うと、タケシはテーブルの上に名刺を置いた。そして並べた名刺を端から一枚一枚破っていった。最後の一枚はとくに細かく千切っていった。
「だめだ、婚約破棄しよう」
タケシは勢いよく立ち上がると、大きく背伸びをした。


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