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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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花の顔

16/02/01 コンテスト(テーマ):第100回 時空モノガタリ文学賞 【 純文学 】 コメント:8件 冬垣ひなた 閲覧数:1041

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 ――文学は所謂煮こごりだ。味気もないゼラチンに優れた価値を与えるのは、美味い魚と煮汁、熱に冷たさに、料理人である。だが冷めた目で見れば煮こごりは添え物どころか、余り物に過ぎず、それを毎日の主食にする事は料理人ですら厭うであろう。煮こごりとなら死んでも構わないと云う奇天烈な料理人は居るまいが、その酔狂さこそ、文学者の本望なのだ。
                              (伊崎雅光『蝋梅』より抜粋)


 戦後間もなく住まいを此処と決めてから、30年といくばくか過ぎた。
 老いたかじかむ手で縁側の雨戸を開けた途端、突き刺す寒気に不釣り合いな、花の芳香が雅光の鼻腔をくすぐった。
 寝起きだったその焦点は、眼前に居座る古木に注がれる。それは庭の主であり、まさしく雅光の人生に形を与えてくれた恩人でもあるが、この数年は花など付けた事もなかったその捩じれ伸びた枝に、蝋細工のような黄色い蕾をつけ、今日ようやく花開いたのであった。
 艶子、蝋梅が咲いたぞ!台所の妻を呼ぼうとして雅光は止めた。昨夜喧嘩をした所であった。60を半ば過ぎ大学講師の職は続けてはいたが、妻に言われる間でもなく作家としてはすでに終わっていると、自分でも思っていた。
 この旧家を舞台に、一人娘だった艶子に婿入りした経緯を小説にした『蝋梅』では、栄えある文学賞をとり、あの頃は雅光の脳にも大海が広がっていて、書く事を喜びとしていた。しかし才能が振るわなくなると誰も雅光を見向きもしなくなる。
 それ以上に衰えたのは、モデルとして文壇からも絶賛された艶子の器量であった。雅光を虜にし文学に垣間見せるその美貌は、間近に見る者を否応なく惹きつけた。かつては衣紋の抜けた首筋に漂う気品と、和傘を持つ手の白さに惚れ惚れとしたものだったが、許嫁よりも雅光を選び、絶対的君主となった艶子のエネルギーは、仇敵が一人減り二人減り、子供たちが田舎暮らしを嫌って出ていくと、雅光ただ一人に向けられるようになった。昔ほど裕福でなくなった今は家政婦もいなくなり、愚痴と小言が多くなっていく。
 肉のたるみや皺といった、経年だけでない妻の変化に雅光は戸惑いを隠せず、魂は益々文学の内なる世界から遠ざかるのだった。
 艶子には頼まず、半纏を着込んで下駄を履き、杖をついて雅光は庭へ下りる。厳寒の季節を幾歳生きたかは分からぬ蝋梅は、重苦しい家風の中心にあって、伊崎家の根幹を成していた。
 二人きりになる。古い家が軋みを立て崩壊してゆこうというさなかに、まだ花を咲かす余力を残すというのか、蝋梅は時間を止めたように美しくそこに立っていて、慎ましやかなその居住まいは、かつての艶子を思わせる。
 当時、『蝋梅』の発表は波及を呼んだが、寡黙な雅光は世評にも多くを語らなかった。
 雅光は文学的には糾弾されてしかるべき道を選んだ。女を財産扱いするのか。そう野次られた事もあった。いや、これは社会に食いつぶされる女を数多く見てきた、伊崎氏の結論であり、旧く新しい家庭の形である。「羨ましい」、そう言う人もいた。
 世間の重圧に負けそうだったあの時、凛として艶子は言った。
「作家は文学と心中出来る、あなたも世間もそうお思いです。私はね、そんなことではいつか文学は死に絶えると思うのですよ」
 雪のちらつく雲の隙間から、か細い光が差し込むと、燭台のように立ちつくす古木の、百を超える蜜蝋のごとき花弁に明かりが灯り、凍て付く冬に煌煌と命を輝かせる。


 喧嘩をするほどに、心は痛む。
「人様に喜ばれるものではなく、」
 知己の大学教授に頭を下げ、職を探してきてくれたのは艶子だった。
「お役に立つものでもなく、」
 若い学生の未熟さに愚痴をこぼしたのは、雅光だった。
「一つあなたが教えられるのは、寒い夜に偶然出来た煮こごりを独り占めしたい、そんな欲は誰しも宿っている、そういうことでございます」
 愛くるしかった妻の面差しは、とうに朽ちていた。


 それなのに、何と罪深き事か。
 蝋梅の花を観て、雅光は文学者の宿命に震えた。
 艶子は、雅光の原稿用紙の上で生きる紙人形ではない――これもまた、艶子なのである。
 豊かな題材と構成、類まれな情熱と冷ややかな客観性、作家の筆力がそろって初めて文学は生まれるのである。今の雅光の情熱は若人への嫉妬であり、冷やかさは妻との反目か―― 雅光は、純正なる文学の産声を心の耳で聞いた。
 人は変わる。変わるから書き留める。自らの業の深さに怯えていた雅光を、艶子はうっすらと感じていたのかもしれない。
 お前を書けぬなら、筆を折っていいと思った。
 艶子。書いていいのか、ありのままに。
「あなた」
 食事の用意が出来たのか、艶子が古い家の縁側に顔を出す。
 それが今、雅光の老いた眼には花より眩しく映った。


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このストーリーに関するコメント

16/02/02 冬垣ひなた

<補足説明>
・蝋梅(ろうばい)は梅に似ていますが、植物学的には梅の仲間ではないそうです。

・画像は写真ACよりお借りしたものを加工しました。

16/02/03 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、拝読しました。

いやはやこれは! 凄い秀作ですね。
作者の凛とした気概を感じました。
これだけの文章を書けるということは、冬垣ひなたさんは相当な読書家なのでしょう。

素晴らしい! 文句なく、この「蝋梅」が気に入りました。
文学性が高いと思いました。

16/02/07 つつい つつ

作家にとって大切なのは単なる現実じゃなくて、視点なんだなってことに気づかされました。読みごたえがあって、おもしろかったです。

16/02/09 滝沢朱音

冬垣さんらしい、重厚で深い掌編ですね。
「お前を書けぬなら、筆を折っていいと思った」
すごい。凄絶な一文。

蝋梅の花から、蜜蝋、そして煮こごりのイメージとつながって、
ふさわしくないかもだけど、死蝋という言葉を思い出しました。

美しい妻をそのまま瞬間で閉じ込めた『蝋梅』とは違い、
雅光が最晩年に紡ぎだす、老いた妻の『花の顔』。
きっとそれは、年を重ねた雅光にしか書けない新境地で、
後に彼の最高傑作と呼ばれたのではないかと想像したり…。
面白かったです。

16/02/11 クナリ

肉体的なアクション性の無いストーリー運びの中に、激動の感情が、けれど静かに詰め込まれていますね。
文学とは何かということに向き合えば人間を描かざるを得ないと思うのですが、まさに奥深い苦悩と開闢がこめられた力作でした。

16/02/11 冬垣ひなた

泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

過分にお褒めの言葉を頂きありがとうございます。私の読書歴は「アンパンマン」あたりに遡るのですが、様々なジャンルを渡り歩いた割に、純文学を遠巻きに眺めていたというか……。
だから今回は純文学について自分の思う所を描きました。
書くというのは、コンプレックスに向き合うということかもしれませんね。


つついつつさん、コメントありがとうございます。

小説家になる人とならない人との大きな違いは、つついさんの仰るような事でしょうね。
時間・空間を含めて多角的に捉える眼力というのは才能なのかもしれませんが、時としてそれはつらい事で、でもその苦痛すらも糧にする、それが小説家なのだと最近思います。


滝沢朱音さん、コメントありがとうございます。

自分の思う純文学というのは孤独死みたいなイメージがあるのです。
なのでそこから抜けだそうと足掻く人を描きました。
死蝋や蝋人形のイメージは、自分も考えていたので汲んで頂いて嬉しく思います。
そこを強調してしまうと作品からぬくもりがなくなってしまうので、
家庭的な味わいのある煮こごりを前面に押し出した次第です。
年を経た分味わいも深くなる、雅光はその後素晴らしい作品を書き上げただろうと思います。


クナリさん、コメントありがとうございます。

今回はほとんど主人公が動かないので、構成には普段以上に気を使いました。激情などが表せているというなら嬉しいです。
人間を描く苦悩というのは創作者なら誰しも持っているのでしょうが、描き続けるというのは並大抵では出来ないもので、その精神性こそが文章を文学たらしめるのかもしれません。

16/02/15 光石七

拝読しました。
重厚で、静かでありながら深く揺さぶられるものがあり…… 老練の作家が書いたような、いぶし銀の味わいがありました。
月並みな言い方しかできませんが、素晴らしかったです!

16/02/16 そらの珊瑚

冬垣ひなたさん、拝読しました。

一昔前の文学者のイメージがと、文体が醸し出す雰囲気が、純文学というテーマにまさにぴったりだと思いました。
冒頭の抜粋の表記も、あたかも本当にそういう名前の作家がいたような
錯覚をしてしまいそうです。
艶子という女の存在が、ちょっと谷崎風かなあとも思ったりもしました。
煮こごりは寒いからこそ出来る。
作家の今の境遇と寒い季節を選んで咲く蝋梅の命と重ね合わせ、しみじみと上手いなあと思いました。

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