W・アーム・スープレックスさん

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将来の夢
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茶代

16/01/19 コンテスト(テーマ):第101回 時空モノガタリ文学賞 【 お茶 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:912

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茶を一息に飲み干したその武芸者は、深編笠をかぶり直すと、すっくとたちあがった。
そのまま何もいわずに歩き出すのを、後ろの床几に腰かけていた商人風の男が見て、茶店の親父に呼びかけた。
「あのお武家、茶代をおいていかなかったよ」
茶店の親父は笑顔でふりかえると、
「あの方はいいんですよ。試合がすんだら、また寄られるから」
「試合」
「ご存じないので。あのお武家さんは、小野派一刀流の達人で、世の多くの武者修行者から試合をのぞまれては連戦連勝をつづけておられる凄いお方なんですよ。いつも、あたしの店でお茶をのまれては、試合場に足をはこばれるのがつねでね」
「景気づけのお茶というわけかい」
「まあ、そんなところです」
「しかしそれじゃ、商売にならないね」
「いえ、いえ。お武家さんは、あとでまた、かならずうちにたちよって、もう一杯、お茶を飲まれるのです。茶代はちゃんといただきますよ」
「つまり、いいお得意さんだ」
「そういうことで」
茶店の親父と商人は、顔をみあわせて笑った。
いまの親父の話に、もってうまれた好奇心をつつかれたとみえ商人は、仕事の方はすでに片づけていたこともあり、親父の言葉どおり武芸者がお茶を飲みにもどってくるのを見届けたくなった。猫の死骸をみても怖気をふるう彼ゆえ、試合場にまで足をのばすだけの度胸はもちあわせていなかった。
「おやじさん、もう一杯お茶をくれないかい。それと、名物の団子ももらおうか」
客商売のながい親父には、すぐに商人のおもわくが読めたふうで、
「へい、へい。いくらでも床几を暖めていてくださいな」
笑いながら奥にはいっていった。
実際商人は、それから一時間あまりのあいだ、茶店に居座り続けた。そのあいだにも、旅装束の人々や、町人、職人風の連中がいれかわり休憩にやってきた。茶店がある峠からは、あたりののどかな風景が一望でき、暖かな春風もふいてきて、いつのまにか商人は座ったまま居眠りをはじめていた。
ふと芳ばしい香りが鼻先をかすめて、彼は目をひらいた。
みるとさっきの武芸者が座っていた床几の上に、湯呑が一個、薄緑の茶をのぞかせている。
商人は辺りをみまわしてから、
「お武家は」
「もうじきお見えになられます」
盆を前掛けにおしつけて言う親父の言葉には、あきらかな確信がうかがえた。
案の定、それからいくらもしないあいだに、峠をこちらにあがってくる深編笠の武芸者の姿が見えはじめた。
商人は、祝福の言葉をかけようとしてまちかまえたが、武芸者にしみついた殺気の名残りに、到底そばにちかづくことなどできそうにないのをさとった。
編み笠をはずして武芸者が座り、口につけた湯呑を二度三度傾けるころになって、ようやく張りつめていた肩口に柔らかさがにじみはじめた。
「おめでとうございます」
空になった湯呑を武芸者がおいたときを見はからって、親父は声をかけた。
彼はただ、ちいさくうなずいたきり、おもむろにふところからだした小銭を床几上におくと、編み笠をかぶりなおして、たちあがった。
商人が大きく息を吐いたのは、去って行く武芸者の姿が茂みの向う側に隠れるのを見届けてからのことだった。
「ああ、恐かった。うっかりしたことをいえば、いまにもばっさりやられるかと思ったよ」
「武術家の試合は、生死を賭したものだからね。そう簡単にはもとにもどらないんじゃないですか」
「われわれには逆立ちしたってわからない世界に生きているんだね」
商人はいまだに身震いがとまらなかった。
「あのお武家さんは前に、こんなことをおっしゃってたな。試合の勝ち負けは、はじめるまえからすでに出ている。ただそれは本人にはわからなくて、しらないうちに、行動にでるのだとか」
「行動って、どんな」
「さあ。それはあたしにもわかりません。ただうちで試合前にかならず飲まれるお茶も、もしかしたら、そんなあらわれかもしれませんね」
商人はしばらく、親父のいったことを考えていたが、そのうちあきらめたように首をふると、煙草盆に煙管の先をぽんとうちつけ、
「長居したね」
たちあがって、まがった腰を手でたたいてのばした。
それから二月ほどして、あの武芸者が茶店をたずねてきた。
また試合だな。親父は直観した。
「いらっしゃいませ」
いつものように武芸者は、床几にふかく腰を乗せると、落ち着いた態度でお茶を飲みおえた。
彼が茶店を出てから、空の湯呑を片付けようとした親父は、なぜか今日に限って茶代がそこに置いてあるのを見て、その場にきょとんと立ち尽くした。
その日、あとで親父が用意したお茶は、いつまでたっても手がつけられなかった。武芸者は茶店にもどってこなかった。
そのときの試合の相手が、新免武蔵という名の武術家だったことを親父が人づてに知ったのは、それから数日後のことだった。





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