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クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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スーラ・スールの咲かないザクロ

16/01/09 コンテスト(テーマ):第100回 時空モノガタリ文学賞 【 純文学 】 コメント:16件 クナリ 閲覧数:2411

時空モノガタリからの選評

「……痛みに怯えるということは、深刻に死を望んではいないということだ」
と揶揄され続けてきた主人公の感主人公が切実さ、痛みを持って伝わってきます。名言が多く、中身の濃い作品だと思いました。“死にたい”という感情そのものを描くのではなく、その感情を理解されない孤独をテーマにした点が光っていると思います。
 また純文学やフィクションの持つ力についての「小説家」の台詞も印象的です。「君がこれまでに味わってきた全ての苦痛をこの上なく正確に記したとして、それで君の苦しみは伝わるものかね」「孤独と寂しさはあるよ。この世で唯一、人を幸福にすることを目的としない創作物だからね。作者自身すら」という台詞は非常に印象的でした。人間の「孤独」「寂しさ」を描くこと、自分自身の闇と向き合うこと、それが彼の「純文学」であり、それは世間的な「幸せ」を目指すものではない、ということでしょうか。「幸福を目的としない」とまでの覚悟は衝撃的です。
 親から付けられた名前や、性別の縛り、さらにはこの世界さえも脱ぎ捨てようとしていた主人公が、「小説家」と出会うことで、「見つけてもらえた」と感じ、どこかで救われたように、「純文学」の役割は、彼女のような人間の痛みを「見つけ」ることにあるのではないか、それは「幸せ」とは違う形であっても人を救うことにつながるのではないか、と感じさせられる作品でした。

時空モノガタリK

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 スーラ・スールという名前は、十五歳の冬に私が自分で付けた。
 綴りが簡単で、女らしいが男かもしれない名前。

 昨日自転車を置き忘れた通りに行くと、既になくなっていた。
 辺りを見回していたら、冬枯れの木が並ぶ路地に痩せた家が建っており、そのドアの脇に私の自転車が立てかけてあった。
 家は、随分うらぶれている。空き家かもしれない。
 私は鍵のかかっていないドアを開け、玄関を覗き込んだ。人の気配はない。しかし、中は清潔に保たれているようだった。廃墟につきものの、人間の排泄物も見当たらない。
 理想的な場所を見つけたかもしれない。私は家の中に滑り込んだ。
 飾り気のない廊下。二階はない。私はひとつの部屋に入ると、コートの左袖をまくった。
「やめた方がいい」
 突然男の人の声がして、私は飛び上がった。とっさに、コートのポケットからカッターナイフを取り出す。
 痩せた男の人が、部屋の中の一角に立っていた。
「自分が気配なく立ち回れる人間だと思っていると、他人の気配を見落とすよ」
「すみません、空き家だと思って。すぐ出て行きます」
「他の場所でやるのか」
 彼は、トントンと自分の左手首を叩いた。最悪だ。見られていた。
「傷が、ひとつじゃないね」
「……本当に死にたい人は、一回で、縦に深く裂くそうですね。ですから、何度も笑われました。本当に死ぬ気なんかないんだって」
 ためらい傷は、負け犬の証だ。死にたいと叫びながら、痛みのせいで頓挫した、情けない烙印。
「痛いからね」
「ええ。痛いくらいで諦める程度にしか、思い詰めてないってことですよね。本当に死にたいなんて、思っていないんです、きっと」
「本当に死にたいと思ったことのない人に、そう言われたのか」
 彼がスタスタと歩き出した。私は身をすくめる。
「井戸のつるべみたいな脳味噌の奴らが多いからね。痛みに怯えるということは、深刻に死を望んではいないということだと、……そんな風に分かりやすい方が、幸福ではあるんだろうな」
「あの」
「喉が渇いた。何か飲みに行こう」
 彼は、私を通り過ぎて廊下に出る。
「私もですか」
「不法侵入をとがめない代わりに、付き合ってくれてもいいだろう」
 彼が理由を用意することで私のプライドを立ててくれたのだと、気づいたのは随分後のことだった。

 日が沈みかけの頃に店を出て、二人で川べりを歩いた。
「あそこ、ジュース出してはくれましたけど、バーじゃないんですか」
「さっきのスタッフが住み込みでね。俺が行くと、いつでも開けてくれる」
「迷惑な。女の人だったじゃないですか、いきなり行ったら悪いですよ」
「男だよ。体はね。そして、俺の遠慮のなさを喜んでる。遠慮され続けて生きてきたからね。首を絞める真綿のような善意も多いから」
 私は、絶句した。全く気づかなかった。
「あなたは、何者なんですか」
「小説家だよ。純文学専門の」
「作り話の作り手ですか。それで稼げたらいいですね」
「フィクションだから伝えられるものもあるさ。君がこれまでに味わってきた全ての苦痛をこの上なく正確に記したとして、それで君の苦しみは伝わるものかね」
 風がひとつ吹く。
「……詭弁ですよ。私、純文学は嫌いです。現実的な温度と痛みがないから」
「孤独と寂しさはあるよ。この世で唯一、人を幸福にすることを目的としない創作物だからね。作者自身すら」
 さすが作家は口達者だと胸中でこぼしながら、そう言えば他人と会話が成り立ったのは久しぶりだな、と思った。
「これも世の中にひとつだけ、『生る』ではなく『咲く』と言われる果実がある。知っているかい」
「いえ」
「人の手首に咲くザクロだ。俺ら三人は、仲間さ」
 私の足が止まった。彼の、木製の大きな腕時計がはまった手首に、目が釘づけになった。それに、さっきのスタッフの余り気味の袖も。
「だから、私に構ってくれるんですか。共感してるつもりですか」
「俺も昔、子供だったことがあるしね」
「女ではなかったでしょう」
「どうかな」
 彼の家が、近づいてきた。
「フィクション作家の俺でも、現実の自傷の痛みは分かる。死後に罵倒されることが分かりきっていても列車に飛び込む理由は、分からない人には死ぬまで分からない。そんな連中に、傷つけられるいわれはない」
「……はい」
「手首が切りたくなったら、またおいで。俺の、昔の傷跡の写真を見せてあげる」
「すんごそうですね」
「すんごいぞ」
 茶化した言い方の陰に、彼の決意を感じた。
 作り物の張りぼてを、作り物だと誰もが笑っている裏で、本気の叫びは声もなく響いている。
 私は、見つけてもらえたのだ。
 出会ったばかりの他人にこんなに簡単にほだされて、本当に自分が嫌になる。
 でも、まあいいか。

 こんな夕暮れ、ずっと続いたらいいのにな。


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このストーリーに関するコメント

16/01/09 霜月秋介

クナリさん、拝読しました。

痛いくらいで諦める程度にしか思い詰めてない…ですか。本当に死にたいと思ったことのない人に言われても、たしかに説得力は無いですね。しかしなるほどと思いました。

16/01/09 クナリ

霜月 秋介さん>
これ、けっこう聞いたことあるんですよね。
「ためらい傷作るだけで死なない人は、痛いくらいであきらめちゃう程度にしか死にたがっていない=本気で死にたがってなんかいないんだよ」
みたいなの。
でも、それとこれとは別だと思うんですよ。
痛みによるブレーキが強力であるから死なずにすんでいるからって、「もう死にたい!」という気持ちが取るに足らない程度に軽いなんて、言えないと思うんですよ。
「本当に〜じゃない」とか「本気で〜ではない」っていう言い方で人の気持ちを否定するって、かなり残酷なことなんじゃないかなあ…なんて。
まあ、えらそうなことも言えないんですけどね。
何度ももう死にたいって思っても、自分だってまだ、死んでないので…。

16/01/09 梨香

咲かないザクロ……咲いたら困りますね。
思いがけない出会にほだされる。そんな事もありますよね。
辛くなったら、また会いに行ける相手が出来て良かった。

16/01/12 クナリ

梨香さん>
作中ではすでに何度か試みてしまっている主人公ですが、「もうこれからはやらないっぽいよ」という前向きな印象にしたかったので、そうしたこともあってこういうタイトルになりました。
これまで何年も付き合いのあった家族や友人にも言えない悩み、他人にしか言えないようなことを、言える他人との出会いというのは幸運だなあと思います。
近しいからこそ言えないことって、たくさんありますもんね。
自己評価が低い状態だったりすると「いきずりの人に依存して、自分って、簡単なやつだなあ。しょうもないなあ」と思いながらも、それでも気分は救われる。
その程度の幸運が、もっと世の中に殖えればいいのですけども。

16/01/12 石蕗亮

拝読しました。
わからない人にはわからない。当人でなければはかれないものがある。
それを文体で表現する。当に純文学ですね。
クナリさんの描く人物にはいつも熱を感じます。
うらやましい。

16/01/13 クナリ

石蕗亮さん>
分かったような気になった時が、もっとも多くのことを見落とす危機でもある…と思います。
同じような経験は飽くまで「ような」であって、同じ経験ではないけれど、似ているけど違うということが大切でもあって…難しいですね。
作中で純文学とは、ということにも触れていますが、作品全体の文体やエピソードを含め、純文学というものを意識して書いた作品でした。
書いてるやつは生きることにいい加減ですが、登場人物には生命のエネルギーを感じていただければ嬉しいです(^^;)。

16/02/04 草愛やし美

まずは、クナリさま、「マイナビeBooks大賞」
受賞おめでとうございます。

やはり私が思っていたとおり、実力のある方は、
いつか頭角を現されるということですね。

純文学、私にはとても難しいテーマでした。
でも、どんなテーマでもさらりと書きあげ
素晴らしい作品で対応されるクナリさん、
ほんま嫉妬しますわ。苦笑

凄い! そんなクナリさんと一瞬でも
同じ時を共有できるサイトにいられましたこと
誇りに思っています。

こらからもますますのご発展を祈念いたしております。


16/02/04 光石七

純文学というものが未だによくわからない私ですが、作品全体の雰囲気・文体に純文学を感じましたし、作中の純文学についての言及が衝撃的で……
“フィクションだから伝えられるものもあるさ”という台詞も説得力があり、(素人だけど一応)書き手として考えさせられました。
本気の人を本気じゃない人が笑うって嫌ですね。
この出会いで主人公の心が軽くなったようで、よかったです。ザクロが咲くことが無いように……
素晴らしかったです!

16/02/05 クナリ

草藍やし美さん>
ははっ、恥ずかしくも受賞いたしまして…ありがとうございます。
実力は…どうか分かりませんが(^^;)、少なくとも読んでいただいた方に、費やした時間分くらいは楽しんでいただけることを目標として書いていきたいものです。
テーマに対しては毎回うんうんうなりながら考えつつ、たいてい悩める中高生が悩んで終わるというパターンに陥りがちなので、もっと新機軸な書き方ができるとよいのですか〜。
こちらこそ、草藍さんはもちろん、切磋琢磨できる投稿者様がたに助けられております!

光石七さん>
純文学が何なのかなんて、クナリだってわからなわかるわけなゲフンゲフンッ。
幸い、純文学を語ってくれる登場人物が見つかったので任せてみましたが…なんやこのヒト(^^;)。
登場人物の価値観と筆者の考えはイコールではありませんが、フィクションだから伝えられるものがあるというのは事実だと思います。
ノンフィクションだから事実どおりにコトが伝えられる、ということはないですよね。情報を取捨選択し、何を主題としているかで、既に人の志向性=作家性が盛り込まれており、その時点で広義にはフィクションとなるわけですし。
書き手の思いが物語として結実するフィクションに、価値がないはずがないと思うんです。

笑われ続けて生きてきた身には、うれしいお言葉ですッ。ありがとうございます。

16/02/05 冬垣ひなた

クナリさん、拝読しました。

何というか、半ば病院暮らしの私は現実でこういう世界にいます。リスカに薬の過剰摂取、目の前で人が飛び下りた事もあった(助かりましたが)。
とやかく言う人は「命を粗末にする」という点で、そっちの方が酷い。他人の命だからどうでもいいのでしょうか。死ぬ側は自分の命だし、何十倍も色々考えてると思うのです。
言い返せずに悔しいのでなく、言葉にはもっと違う道があるはず。
フィクションだから伝えられるものもある、そう言いきれる小説家に私もなりたい。
ともに生きる仲間が見つかって良かったですね、前向きなラストに救われました。素敵な作品をありがとうございました。

16/02/06 クナリ

冬垣ひなたさん>
拙作なんぞのことよりも、冬垣さんのお暮らしぶりに気が行ってしまいますが…!
死というものをどう感じてどう扱うか、近年考えさせられることも多いですね。
「何があっても死ぬのはだめだ!」というスローガンに、日ごろは同調しながらも、時折見る特徴的なケースを目の当たりにしては、小さな疑問符も生まれてしまう今日この頃。
スローガンが単純になるほど、それを目の前の人間に当てはめようとする人は思考停止しているのではないかと思うことも多いです。
なるべく悲劇的な結末を迎える主人公は控えるようにしていますが、「書かない」だけであって「いないわけではない」というのが悲しいところです。
コメント、ありがとうございました!

16/02/07 つつい つつ

痛みや苦しみはなかなか伝わるものじゃないですが、その感覚が共有できたときのささやかな喜びが感じられて読後感が良かったです。
でも、小説というのは幸福じゃなくても絶望でも不快であっても成り立つ懐の深い分野だなと改めて思いました。

16/02/08 宮下 倖

はじめまして。拝読いたしました。
誰かにわかってもらえる、ということの静かな喜びが伝わってきて、読了後にふっと心に灯りが燈ったように感じました。
『作り物の張りぼてを、作り物だと誰もが笑っている裏で、本気の叫びは声もなく響いている。私は、見つけてもらえたのだ』
この一文が心に残りました。見つけてもらえてよかったねと嬉しくなりました。

16/02/09 クナリ

つつい つつさん>
共感というものをどう扱うか、この感覚が登場する物語ではいつも悩むのですが、大抵は登場人物任せなので(おい)書き手の意志が入ることもあまりなく、彼女らの人生に光を感じていただけたら嬉しいです。
小説は、映画や漫画と比べても、アンハッピーエンドに対する敷居が低いメディアだと感じています。娯楽性より、芸術性や精神性が優先されやすい土壌があるのかもしれませんね。
コメント、ありがとうございました!

宮下倖さん>
「一人じゃない」「一人じゃなくなる」というテーマは、使い古されている感もあるものの、その実普遍的なテーマだと思います。
自分としても、孤独とツナガリというのはストーリーテリングの根幹となるテーマでして、それをどうお話に落とし込んでいくか…というのは永遠の課題なのだと思います。
必死さと嘲笑、というのも個人的に大きなテーマなので(やなテーマだな)、消化できるように頑張ります。
コメント、有難う御座いました!

16/02/11 泉 鳴巳

拝読しました。
クナリさんが“痛み”を抱えた人物を描かれると、読み手に迫るリアリティがあっていつも圧倒されます。
またテーマが純文学だから特にそう感じるのでしょうか、「井戸のつるべみたいな脳味噌の奴ら」ですとか、比喩のセンスが光りますね。

余談ですが、「本当に〜じゃない」って言い方、「本当に美味い酒を飲んだことがないから〜」とか「本当に美味いラーメンを…」とかいう話法(食にしか例示できず恐縮ですが…)は耳にする度にうんざりします。

16/02/11 クナリ

泉 鳴巳さん>
たぶん、「弱者」を書くのが得意ということなのかもしれませんねえ…自分がよわっちいからかも(^^;)。
井戸のつるべについては、けっこう日常で思うことがあって。
たとえばある女性会社員が結婚して退社が決まったとき、後輩が「あの先輩にはいつまでも社内にいて欲しかったなあ」とこぼしたのですが、別のOL様が「それは、幸せになるなってことだよね」と言っていて、いや、その「〜ってこと」の論理部分おかしくない? と思ったりしたときに浮かんだりします。
あと、自分も「本当に〜ない」って言い方あんまり好きじゃなくて、作中で登場人物が皮肉っているのはその表れかもしれません。
言いたくなる気持ちは分かるんですけどね。
クナリはコーヒーやお茶などの飲み物関係が好きなのですが、「本当のコーヒーの入れ方を知らないね」とか言われるともう聞く気なくなります(^^;)。

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