W・アーム・スープレックスさん

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将来の夢
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愛猫

15/12/24 コンテスト(テーマ):第九十九回 時空モノガタリ文学賞 【 失恋 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:986

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朱美は、賑やかな商店街を足早にとおりすぎると、途中路地に折れて酒場やクラブのけばけばしい看板の間をぬけ、やがて外灯の明かりも弱弱しい自分のアパートの前までやってきた。
うなだれたまま一階の自室に入った彼女に、猫のマゼンタがすりよってきた。
朱美はマゼンタを抱えると、ソファに座り、いままでこらえにこらえていたため息をついた。
「グルルル………」
マゼンタが嬉しそうに喉を鳴らして、彼女の胸に頬をなすりつけた。
そんな猫をながめながら朱美は、一時間まえ、彼から別れ話を告げられたときのことを思いだしていた。
これまで何万語を費やして彼と二人の未来を語りあってきたのに、その彼は「別れよう」のたった一言ですべてを終わらせてしまった。
朱美は、涙もでないくらい悲しみながら、マゼンタの待つアパートへ急いで帰った。
そしてマゼンタにむかって、おもうぞんぶんため息を吐きかけてやった。
マゼンタは、朱美が失恋してつくため息を、なにより好んだ。体調不良で、げんなりしていても、彼女のため息にふれればたちどころに元気を回復した。なんでもないため息だと猫はなんの反応も示さなかった。いまから1年半まえ、そして2年まえにも、やはり猫は失恋を繰り返した自分のため息を浴びて、喉を鳴らして歓喜したことを朱美はいまでもはっきり覚えていた。
朱美はだから、恋をなくしてどん底におちても、ただひとつ、マゼンタを喜ばしてやることだけはできるという、奇妙な楽しみをもつことができた。
「お前はまるで、私が失恋するのをまちわびているみたいね」
と語りかける彼女をマゼンタは、澄んだブルーの目でみあげてぺろりと舌なめずりした。
朱美はもう二度と恋などしたくないと思った。男の人になど目もくれないで、仕事にうちこもうと、自分を叱咤した。
その明美が会社に出入りする業者の男性と親しくなったのは、それから三週間後のことだった。よく焼けたいかつい顔つきの彼は、笑うと少年のようにあどけない表情になって、朱美の心を強くひきつけた。彼が独身だわかったときの彼女の顔が、にわかに輝いたのはいうまでもない。
毎日納品書を届けにやってくる彼がある日、事務机ごしに顔をちかづけて、朱美にそっと語りかけた。
「よかったら、今度の休みに、どこかで会いませんか」
朱美はすぐさま、駅前の有名なカフェの名を口にしていた。
その日、アパートに帰ってきた朱美は、なぜかちかづいてこようとしないマゼンタを、怪訝そうにながめた。いつもなら、黙って歩みよってきて、彼女の膝に体をすりつけてあまえる猫なのに。餌を用意してもマゼンタは、ふてくされたようにそっぽをむくばかりだった。
「あら、怒ってる」
朱美はマゼンタの目が、かすかに充血したように赤くなっているのをみた。本気で激怒するとそれは、文字通り炎のように真っ赤にかわった。マゼンタの名の由来だった。
「おまえにはわるいけど、あたし、今夜はご機嫌なの」
ひとりでににやにやしだす彼女に、マゼンタは小さく唸り声を発した。
最初のデートの日以来、すっかり意気投合した朱美と彼は、休日ごとに会うようになっていた。気さくで、思いやりのある彼に、彼女はすっかり魅せられてしまい、また彼のほうも控えめで、飾らない性格の朱美を気にいってくれ、こんど自分の両親にあってほしいとまでいいだすほどだった。
朱美は彼の両親とあうことにきめた。そのまえに、事前にいろいろ話しておきたかったので、一度彼を自分のアパートに招くことにした。
日曜の昼下がりに彼はやってきた。朱美の開けたドアに彼が、笑顔で一歩踏みこんだとたん、彼女の背後から全身の毛を逆立てた生き物がとびかかった。
悲鳴をあげながらしゃにむにひきはがしたマゼンタを、廊下にたたきつけた彼の顔面には、縦に3本の爪痕が赤々と走っていた。
朱美は、すぐにおきあがったマゼンタの目が、いまにも燃え盛らんばかりに真っ赤に輝いているのをみた。
「こいつは、なんだ」
敵意をむきだしにする猫を、殺意にひきつる形相でにらみつける彼に、朱美は何かぞっとするものを感じた。結局彼は、部屋に入ろうとすると牙をむいて威嚇するマゼンタにさんざん悪態をついたあげく、憮然として帰っていった。
この出来事があって以来、彼の朱美にたいする態度が変化しだし、再三マゼンタを捨てるよう懇願したにもかかわらず彼女にまったくその意思がないのがわかると、二人の間に急激に距離ができはじめた。
数日後朱美は、がっくりとうなだれて部屋に帰ってきた。
電気もつけずにソファに座りこんだ彼女の膝に、マゼンタが飛び乗った。
「おまえのせいよ」
怒ったようにいうと彼女は、深いため息をついた。
「グルルル………」
マゼンタが喉を鳴らすのをきいた朱美は、もう一度、ながながとため息をもらした。


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