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ツチフルさん

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彼女の、いつもの朝

15/11/24 コンテスト(テーマ):第九十六回 時空モノガタリ文学賞 【 奇人 】 コメント:4件 ツチフル 閲覧数:1277

時空モノガタリからの選評

典型的すぎる平凡で幸せな家族の会話に、微妙な違和感を覚え、その後ストーリーが進むにつれその違和感が大きくなり、オチにそうきたかとうなりました。架空の家族の中に生きる「彼女」の、異常性、荒涼とした心を思うとやりきれません。しかし「彼女」程ではなくても、我々凡人は多少なりとも家族、会社員、幸せな私、不幸な私、などの役割、物語を作り上げて生きているのかもしれません。禅の世界に「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉がありますが、これは「事物は本来、空(くう)であるから執着するものはなにもない」というものだそうです。少々強引に“空=孤独”とすると、人間は本来何ももたない存在で、孤独なのだということを受け入れたとき、少し楽に生きられるのかも、と感じました。かなり皮肉が効いていて、どこか身につまされるところのある物語でした。

時空モノガタリK

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 目を覚ますのは、いつも目覚まし時計が鳴り出す十分前。
 もう少し、あと五分とすがる自分を説得しながらのろのろと這い出して、愛しいベッドと決別する。
 眠い目をこすりつつカーテンを開き、朝の光を取り入れて大きく伸び。深呼吸。
 次にクローゼットをあけて、その日の気分にあったコーディネート。今日は白の上下にミントグリーンのカーディガン。
 着替えを済ませたら洗面所へ行って顔を洗い、髪をとかして身だしなみを整える。
 それから部屋に戻って、化粧台に置いてある携帯音楽プレイヤーを手にとり、イヤホンをつけて再生ボタンを押す。
 これで、朝の準備は完了。
 彼女の一日が始まる。

 部屋を出てキッチンまで四十秒。正確に。
 ガスの元栓を開き、フライパンをコンロの上におく。少し考えてから、今日の朝食はハムエッグに決めた。
 薄く油をひいて最初のハムを投入する頃、まずは娘の寝ぼけ声が聞こえてくる。
「おはよー」
「おはよう。お父さんは?」
「知らない。まだ寝てると思う」
「起こしてくれればいいのに」
「やだよ。お父さん、寝起き超悪いし」
 椅子をひいて腰を掛ける音。微かに聞こえるあくび。
「朝ご飯、なに?」
「ハムエッグ」
「えー、また?」
 うんざりしたような娘の口調に、彼女は少しムッとした顔を作る。
「文句があるなら自分でどうぞ」
「ないですないです。私、それ大好き!」
 慌てて取り繕う調子の良い声に苦笑する。こういうところは誰に似たのかしら。
「お母さん、今日も仕事?」
「そうよ。だから早く食べてほしいんですけどね。お父さんにも」
「もう起きてくるよ」
「起こしてきてって言ってるの」
 わずかな沈黙のあと、椅子から立ち上がる音がした。それから、いかにも渋々といった足音をさせて部屋を出て行く音。文句は言っても、結局は優しい子なのだ。
 ハムがふつふつ焼けてきたところで卵をおとす。黄身がハムにかからないようにするのが綺麗に仕上げるコツ。
 ここまでは全ていつも通り。
「起こしてきたよー」
「まだ寝ててもいいだろ。俺は早く行く必要ないんだから」
 娘の声に夫の不機嫌そうな声が重なる。だから、彼女も不機嫌な声を返す。
「私が忙しいの。ほら、席について」
 ご飯と味噌汁、簡単なサラダにドレッシングを振りかけ、出来上がったハムエッグをテーブルに置く。飲み物は牛乳。
「いただきまーす」
「はい、どうぞ。…あなた?」
「いただきます」
 いつもの朝の食卓。いつもと同じということが、彼女にはとても大切なことなのだ。
 だから、テレビもつけない。テレビは新しい情報を無神経に提供して、彼女の朝を乱すから。
 静かな時間が流れていく。
「学校はどう?」
 彼女はゆっくりと三十を数え、タイミングを見計らって娘にたずねる。
「まあ、普通」
 少しの間をおいて、素っ気ない返事。
「最近イジメの話とか聞くけど、そういうことはない?」
「うちのクラスはないなあ。騒がしいけど、まとまりはあるんだ」
「そう。きっと先生がいいのね」
「生徒がいいんだよ。ほら、私とかさ」
「あら。じゃあ、そんなあなたを育てたご両親はさぞ立派な方でしょうね」
「…ああ、そうきたかあ」
 おどけた娘の声に彼女もおどけて答え、二人で笑いあう。微かに混じる夫の含み笑い。聞いていないふりをしながら、ちゃんと会話に参加しているのだ。
「今日も帰りは遅くなるの?」
 その含み笑いを合図にして、夫に話をふる。
「そうだな。十時ぐらいには帰るつもりだけど、仕事しだいだ」
「あんまり無理しないでね」
「ああ」
「残業したって、どうせお父さんの給料は変わんないんだしね」
「そうそう」
「いや、ちょっとは手当がつくぞ」
「ちょっとね」
「ほーんのちょっとね」
「お前らなあ」
 二つの笑いと、一つの苦笑い。
 穏やかな時間と、変わらない会話。
 彼女の、いつもの朝。
「今日は良い天気だな」
 夫がぽつりとつぶやく。
「そうね」
 彼女も頷く。外は雨が降っているけれど。
 
 やがて、壁掛け時計が八時のメロディを奏で始める。
 彼女はおもむろに立ち上がると、食べ終えた食器の洗い物を済ませ、仕事へ行く支度を整えて玄関へと向う。
 そこで、しばらく二人の声を待つ。
「もう行くの?」
 まずは娘の声。
「ええ」
「お母さんもさ、あんまり無理しないでよ」
「そうね。ありがと」
「気をつけて行けよ。お前、運転下手だからな」
「はいはい」
 娘の声には丁寧に、夫の声にはおざなりに答える。
「行ってきます」
「ああ」
「行ってらっしゃーい」
 靴を履いて、玄関ドアを開ける。
 それから、ポケットの携帯音楽プレイヤーの停止ボタンを押して、耳からイヤホンを抜き取って。
 
 彼女はいつものように、誰もいない家を出て行く。


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このストーリーに関するコメント

15/12/04 つつい つつ

 こんな生活をしていたら心が壊れそうで怖かったです。
 まだ、妄想の相手と話してるほうが、ましなんじゃないかと思うくらい、妙に現実的な音楽プレイヤーに頼ってるとこが、より危なく感じました。

15/12/11 ツチフル

読んでいただき、ありがとうございます。
奇人のテーマに沿っているのか不安でしたが、少しでも楽しめていただけたなら幸いです。

15/12/17 光石七

拝読しました。
平和な家庭の朝の光景かと思いきや…… 最後の一行に驚きました。
読み返してみれば、確かに冒頭とつながっているし、娘や夫は声の描写しかない。計算された文章に感服しました。
何故主人公がこんな朝を繰り返すのか、想像を掻き立てられますね。怖いような哀しいような……
素晴らしかったです!

15/12/30 ツチフル

読んでいただき、ありがとうございます。
温かな家族の光景からの落差をどう表現するかでずいぶん迷いましたが、
楽しんでいただけたなら幸いです。

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