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seikaさん

かつては女子中学生でした。

性別 女性
将来の夢 生まれ変わること
座右の銘 朝、一杯のコーヒー

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恩なの旅

15/10/21 コンテスト(テーマ):第六十六回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 seika 閲覧数:696

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学生時代、私は団地マンションにひとりで住み、そこから大学に通っていた。一人で部屋が三つもある団地に住むってやはり淋しかった。だから団地自治会管理組合の集まりなんかは結構救いになっていた。団地の中で私と歳が近い若いママさんなんかと仲良くなり、そしてママさんたちの部屋に行ってラザニアをご馳走してもらうなんていうこともよくあった。そんな彼女たちに私はよくこんな夢を話していた。
「あたし、一人旅に行きたいなぁ…ヨーロッパとか、廻って来たいな…。」
当時魔女の宅急便っていうアニメが流行っていて、皆は
「それって魔女の宅急便ね。」
といってくれたことは覚えている。そして大学を出て会社に少し勤めて、そしてついに決意した。私が良く洋服を買っていた古着屋店長のマコ姉さんも一発起してアパートを引き払って成田から飛び立ったからだ。
「今しかないわね。」
小さな子供を寝かせ終えた若いママさん、水野さんが言う。
「あたしだって旅に行きたいけど、そういの、独身じゃないと…ね。帰ってきたら話、聞かせてね。」
そういって若いママさんたちは一緒に旅の準備をしてくれた。当時からバックパッカーという言葉はあったけど、私はバックパッカーにはなりたくなかった。黒いナイロン製のボストンバックに星や月や妖精たちを刺繍したりすると
「あなたらしいね。」
とママさんたちは笑ってくれた。一足先にヨーロッパ一人旅をしているマコ姉さんからはよく絵葉書が届いた。その恵かが木を団地のママさんたちと一緒に見る。マコ姉さんの話では安宿のシャワールームは脱衣所が無くて大変だという。しかしたまたまザルツブルクの安宿は日本式のお風呂でしかも脱衣所があるから、ぜひ泊まってみてという話だ。しかもそこは質素で下宿屋風でとてもいい感じなんだという。
それを読んでいた団地のママさんたちは
「じゃあ、短パン持って行かないとね、短パンなら寝間着にもなるし…まさかパジャマ持って行くわけにいかないから…。近くのスポーツ店のワゴンで短パン、三枚千円で売っていたよ。体育のぽいけど。」
と私が出したミルクティを啜りながら教えてくれる。そして翌日、このママさんといっしょに買い物に行き、スポーツ店で例の短パンを買ってきたりした。
 こうして私の旅の準備は団地のママさんたちの協力もあって進んでいった。
「あなたにちょうどいいチュニックあったわよ。フォークフロア調でさ、2980円、あれならジーパンにもスカートにも合わせられるし、明日いっしょに行こうか?」
「靴はスニーカーとローファーとあとサンダル持って行ったほうがいいわね。素敵なサンダル駅前の靴屋にあったよ。いくらぐらいだったかな…。」
「下着と洗面用具と化粧品、あと生理用品とそれからやっぱりカメラと…あとはやっぱり靴下いるよね。」
「ロングスカート一枚、トップスはチュニックに合わせて・・・でも素敵なブラウス一枚ぐらいいいんじゃない?」
こうして団地の私のへ部屋は小さな子連れたママさんがよく2.3人出入りするようになった、森永チョコフレークやブルボンルマンドの差し入れ持って…。
そして旅立つのは初夏。ジーパンにフォークフロア調のチュニック、コンバースに例のボストンバック持った私は団地のママさん3.4人に
「元気で帰ってきてね…。向こうについたら手紙、ちょうだいね…。」
と見送られ、駅に向かった。

 そして私は一人で成田を飛び立った。タイのバンコクでマコ姉さんと落ち合いねそしてマコ姉さんの世話で今度はそこからヨーロッパへと飛んだ。なんだかけつきょくマコ姉さんの行った後をなぞるように旅立ったなぁ…。どこに行ったかじゃなくて、誰とであったか、が重要な旅だったかも…。

あちこちの町に行ってきたけどいわゆる「見所」というような大聖堂やら博物館なんかはほとんど行かなかった。行くところというのは商店街と市場とスーパーばかり。食器や調理器具を売っている見せ、パン屋、ミネラルショップといって水晶等の鉱石やハーブの精油を売っている店とかとくに好きだった。
 そして安宿に泊まる。一人だから淋しい。友達や話し相手が欲しい。すると結局日本人に声を掛けたりかけられたりすることになる。日本人の一人旅旅行者だからといって気が合うわけじゃない。いつでも文庫本読んでいる黒いワンピースきた文学少女風の人は「ヘルマンヘッセの…トルストイの…」という話題ばかりで私には全然解からない。
 そしてマコ姉さん一押しのザルツブルクの安宿に来た。駅から歩いて30分だど質素でそして洋風下宿屋でアンデルセン童話かなにかにで出来そうな雰囲気でなんともいい感じ。そしてなによりお風呂が日本式で脱衣所もあれば湯船にゆっくりと浸かる方式だ。家矢の窓からエルダーと呼ばれる西洋ニワトコも込みえていい感じ。そしてそこで私と同じぐらいの日本人にであった。男の子ヨシ君一人に女の子アキホさんナオコさん二人、皆私同様一人旅。なんとなく妙に気が合って向きが合ってそれでザルツブルクに長居した。そして何故か四人の話というのが遠い遠い子供の頃の話。ヨーロッパに一人旅に来たのはやはり子供の頃に母親に語り聞かせてもらったグリムやアンデルセンの童話の世界に来る旅だった…っていう話。ちなみにこの中でヨシ君とナオコさんは日本に帰ってめでたくゴールインしたけど…。
 そして日本に帰ってきたのは秋になってから。
「やっぱり日本はいいな…落ち着くな…。」
で電車に乗って団地マンションに…日本を離れていたのは二ヵ月半なのに、何故かずっとずっと日本を離れていたような、そんな気持ちになった。団地マンションに着くとまず最初に二階の水野さんのところに…。
「水野さん、ただいま。」
「お帰り、元気だったっ。ホラ、お姉ちゃん、外国から帰ってきたよっ。」
こうして時差ぼけ直らないのに私の部屋にママさんたち数人集まって、そして旅のお土産配り土産話に花が咲いたものだった。
その後私は団地内の生協で働きながらドイツで知り合った音楽の先生と週末デートする日々…。彼との関係が冷めると団地のママさんたちに相談したり、そして団地のママさんたちの子供のお守りをしたり、こうして冬が来て反射式石油ストーブの上でココアを入れて、そして春が来て、団地の庭にクロッカスが咲いて…。いちどは音楽の先生している彼に「実はほかに今、付き合っている人が居て…」といわれたり、そのとき私も冷めていたから彼のそんな言葉聴いてほっとはしたものの、それでも淋しくて団地のママさんのところに行ったり、生協で一緒に働いているお兄さんに接近したり…それでも音楽の先生している彼からまた電話があって欲しいといわれたときは嬉しかったり…。団地のママさんたちの部屋に行ってミルク紅茶もらったり、ママさんたちが来てココア出したり、今思えば結局そういうのが凄く充実していたなぁ…と思う。
 
その後私は団地マンションから出た。結婚、出産、子育て、二番目のこの出産、子育て、子供の入学、保護者会、そして子供の卒業などなど…気が付くといつしか年賀状(クリスマスカード)のやり取りも億劫になり、気が付くとずいぶんと疎遠になってしまっていた団地で一番親しかった水野さんとも気が付くとここ何年も年賀状(クリスマスカード)も出していない。それで久しぶりで手紙出してみた。すると案の定、不在だと戻ってきた。しかしわかって私の働いていた生協の人に聞いてみたら、水野さんは団地近くの一戸建てに引っ越したという。だとすると電話番号は変わっていないかも…ということで電話してみた。久しぶりで水野さんの声を聞いた。嬉しかった。久しぶりでずいぶんと話し込んでしまった。
そして団地同窓会をやろうという事に…。場所は水野さんのうち、都合がついたのはわたしと水野さん、それと三人だけだったけど、久しぶりで集まった。近況報告とあの頃の思い出話…一瞬、あの団地に居たあの頃が蘇った。あのころを思い出して、オレンジオイルの入ったココアを入れてくれた。
お互い近くに居れば行き来できるしお裾分けなんて揉む頻繁にして親密になれる。でも離れているとそうはいかない。メール交換やLineでは交わす事ができないものも有るんだなぁ…。水野さんとメール交換してもやはり日常が接近していないと、すぐに書くネタなくなっちゃうし…。

 

 

 


 

 


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