1. トップページ
  2. ふわふわのリアリスト――えっせえのようなもの

クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

性別
将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

投稿済みの作品

2

ふわふわのリアリスト――えっせえのようなもの

15/08/31 コンテスト(テーマ):第六十三回 【 自由投稿スペース 】 コメント:2件 クナリ 閲覧数:1088

この作品を評価する

 ここの投稿の規定に、エッセイでも可――とはあるものの、私は生粋のエッセイというものを投稿したことがない。
 そもそもエッセイというのは、端から見ている分には面白いのだけど我が身で体感するのはちょっとヤだなあ、という経験を多く積んだ人が闊達に「事件」を書くから面白いのであって、私のように年齢も性別も隠したまんまの一山いくらの書き手なんぞが何を書いたところで、面白くとも何ともないはずである。
 じゃあ何で今こんなものを書いているのかと言えば、自分にとっては備忘録に近く、ある方に対しては御礼状に近い。
 お礼なら本人に言いなさい。その通りです。なので、一応申し伝えてはあるっす。
 その上で何となく、ワアルド☆ワイド☆ウェッブ☆(死)に書き残しておきたいと思ったので書いてしまう。
 まあ、そんだけといえばそんだけでして。

 昨年、私はある人に出会った。
 私よりも年下で、見目麗しい顔立ちをしており、オヤまあこれは異性からモテるだろうなあと確信させる方だった。
 ――それにしても最近、テレビや雑誌で「モテ」って言い過ぎじゃありませんか。あと読者モデルの「エロい」。
 そんなことはありませんか。どうもすみません。

 その方は所作や立ち居振る舞いも丁寧で、その時点で私はかなりの好感をその人に対して抱いたのだけど、よくよく聞いてみると、内面もかなりしっかりしている方だった。
 プライバシもあるし、詳細をアレコレ書いても仕方ないので大まかにまとめるけれど、その方は中学の頃に辛い思いをされながらも高校へ進学し、その間にある分野において手に職を持てる程度の知識と技能、機材(主にPCなのでしょうが)の取り扱い方などを身につけ、現在は上京して自活されているというのです。
 凄い。
 何だかもう、経歴というよりも、その決意や行動力といった、その方の人間性こそがまばゆいではありませんか。
 私がまばゆいとか言うとうさんくさいですか。どうもすみません。

 私が同じ立場だったら、まず間違いなく高校生の辺りでどこかで野垂れている。
 極限まで努力を回避し、何の経験も研鑽も積まずにただいたずらに呼吸をするだけの日々を送り、社会のつまはじき者になっていたに違いない。
 そのうち、政府とかから酸素代とかを請求されてしまう恐れすらある。
 何かもう、自分が恥ずかしくなってくるけれど、幸い恥じ入って姿を消すほどのデリケートさも私にはないので、のうのうとその方とおしゃべりさせて頂いたりしている。
 昔から私は、先輩(社会人になってからの上司含め)よりも年下の方から得難い刺激や教訓を得ることが多いのだけど、この方との邂逅はその最たるものだった。
 もちろんその方のプライベートや思想について私が掌握など出来るわけはないので、存じないこともまだまだあるし、そんな状態で一方的に尊敬されても困るだろうからあまりストレートに敬意を表さないようにはしているけれど、今やその方は確実に私にとっての影響力ランキングのトップランカである。
 地球人の誰にとっても光栄でもなんでもないランキングだけど、事実なので仕方ない。

 その方は口調は穏やかだけどご自分の意見ははっきりとおっしゃる方で、頭の回転も早い。しかも聞き上手でもある。おまけに謙遜家。
 同じ人間でなぜこうも私と差があるのか、神と仏を小一時間問い詰めたくなって来る。

 その方の指が、個人的に好きだったりする。
 時々、直接「指を見せて下さい」とお願いなどしてしまう。多分、イヤ、かなり高確率で、引かれている。でもお願いしてしまう。
 形もとてもきれいなのだけど、全体からにじむ、「使われている感じ」がして、とても良い手だと思う。私のへっぽこな手と比べると、一目瞭然である。
 その方はよく、「指が荒れているんです」とおっしゃる。
 確かに、一部の皮膚が少々ささくれていたりもする。
 ピアノとナイロンギターをたしなまれ、そのせいで、ということらしい。
 もちろん私は楽器のことなどまるで知らないので、「すみません、『ないろんぎたあ』がまずよく分かりませぬ」と素直に告白をした。
 その時私の頭の中には、ナイロン生地でアップリケのように縫製された、ペランペランの布製ギターが浮かんでいた。しかしこれ以上引かれてはまずいと思ったので、そこまでは言わずに我慢した。我ながら英断である。

 以前、和菓子職人、パン職人、飴職人の指を拝見する機会があった。どの指もところどころが硬くなっていたり、真っ赤になってしまっていたり、不自然に曲がっていたり、それこそボロボロに荒れていたりして、皆さん「変な手でしょう」とおっしゃっていた。
 でも私から見れば、どれもこれも最高に素敵な手だった。
 ああした指が持ち主の意志に従って動き出し、有形無形の素敵なものを生み出すというのは、最高だった。

 てなわけで、その方の生み出す音というのが聞いてみたくなったのだけど、残念ながらピアノやナイロンギターというのは、その必要もないのに携行するのにはやや不向きな楽器であろうというのは、私の推理力を総動員すれば見当がついた。
 少なくともポケットやバッグに忍ばせられるサイズではないような気が、しないではない。その推量は、楽器と言えばハーモニカとカスタネットくらいしか思いつかない私にしては、なかなかに鋭い思考の冴えだったのではなかろうか。思わず自画自賛である。
 しかし、その方の人生においてその他大勢以外の何物でもない私のために演奏してくれなどとは、考えてみれば不遜もいいところである。
 大して絵に興味もない軽薄なおにーちゃんが、年中修羅場の同人作家に「へー、キミ絵が描けるんだ。ちょっと描いてみてよ。色とかも付けてさ。いいだろ、減るもんじゃなし、金がかかるわけじゃなし、ちゃちゃっとやってみてよ、ああでもやるからには本気でね」とへらへら注文することの失礼さと不快感というのは端から見ていても凄まじいものがあるのだけど、私はそれと同じことをさせようとしていたのではないのか。
 しかし、その方の演奏姿はぜひ見てみたい。所詮私は、どこまで行っても俗物である。
 そこで私は、
「エアーで、ピアノの弾き語りをしてみてもらえぬでしょうか」
と頼んでみた。
 我ながら、なかなかの狂い方である。

 結局、エアーピアノの鑑賞は叶わなかった(当たり前だ)。
 私は、柔らかい空気をまといながらも自分の人生というものに若くして向き合っているそのリアリストに、前述の通り畏敬の念を抱いているのだけど、悲しいかな私の不遜極まる行動からは、その気配がいまいち伝わっていないかもしれぬ。
 いえ、まあ、本当に畏れていたら、こんな所で勝手にふわふわだのリアリストだのと呼ばないのではないかという気もするのだけど、まあ良いじゃないですか、どうせこんな奴のすることだし目くじら立てずに(←ダメな人)。

 思春期の頃に、異性嫌いを患いかけたことがある。
 同性のことはもとより嫌いだったので、そのままでは自動的に人間嫌いに到達してしまうことになる。
 そんな私の手を優しく引き、落ち込みかけていた奈落から引き戻してくれたのは、偶然出会った数人の知己だった。
 今でも十分ダメ人間の私だが、あの人達がいなければ文字通りの駄目な人間になっていたことは想像に難くない。
 で、このふわふわのリアリスト様との出会いは、私にとってその当時に匹敵するくらいのインパクトがあった。
 誰もがそうかもしれないが、私にも私なりの「奇跡の出会い」があった。上記の方々がそれに当たるのだけど、私の場合、「奇跡の出会い」と呼ばせていただくには、一定の法則が定められている。
 それは、「受傷した本人さえ、もう一生この傷とは付き合って行くものなのだと、ため息をつきながら諦めていた傷を、魔法のごとくに治してくれた方」との出会いをそう呼ぶらしい。
 らしいというのは、私がそう決めて定義づけたのではなく、これまでを振り返ってみると左記のような共通項が発見されたためである。

 ふわふわのリアリスト様が治してくれたのは、私が小学校高学年の頃にきっかけがあり、中学生くらいから徐々に広がって、ごく最近まで膿んでいた傷だった。
 かなりプライベートなことであって、これまで誰にも告白したことのなかった傷だったのだが、その方に治してもらった後、ついぽろりとその方にだけはあらましを伝えた。
 ンな話、聞かされる方も迷惑だったような気はしないでもないけれど、まあ言ってしまったものは仕方ないッス(←最低)。
 ソレを言わずしては、お礼も言えなかったわけですし。

 その方が私にしてくれた処方というのは、当然その方にしてみればこちらの事情など事前に知るわけがないので、何も私のためだけにわざわざ特殊な、カウンセラ的な何事かを編み出して施してくれたというわけではない。
 と言うより、その方の人間性と言うか、人徳みたいなものが行動を通して発露して、私が勝手に治されてしまったという方が近い。
 今になっても、その処方がなぜ私のあの傷を癒すことが出来たのか、論理的な説明は出来ない。自分でも、なぜあれで治ったのか、得心が行かぬと言えば行かぬのである。
 けれど、その方と分かれて帰ったその帰り道、何かもう肩甲骨の辺りから羽が生えているんじゃないかというくらい、体が軽かったのを覚えている。

 私は世の中に対して悲観的な人間である。
 世界は残酷で、得よりも損をしている人間の方が圧倒的に多く、だから地球上から悪いことがなくなることはないのだろうとも思う。
 お腹一杯の果報者が、安全な位置から、悪人がするのとは別の方法で人間にランキングをつけるだけの「平等」が嫌いだ。
 愛や平和を背負えば目的のための手段は合法化する、という価値観も嫌いだ。
 普遍的な正義を代弁しているだけの者が、自らが正義の具現だと思い込んで、「平和のために」と振う、直接的・間接的な暴力が嫌いだ。
 愛も正義も平和も、全ての概念はそれだけでは無力で、ただ人間だけが、振り上げた拳に何を乗せ、どこへ落とすかを決めることが出来る。そんなルールが嫌いだ。

 ただ、世の中には、そのひとかけらを口にしなければ己が飢え死にするであろうという「末期(まつご)のパン」を、震える手で人に差し出す人間がいる。
 自分の受けた傷に群がる視線をも餌に変えてあらぶるタフな獣の傍らで、自分には爪も牙もいらないと、本当に傷つきながらも拳を握らない人がいる。
 私は駄目な人間で、悲観的で卑しくて、だからこそ、確かな「善」がこの世に偏在すると信じさせてくれる人の尊さは分かる。
 何だか話が大げさになったけど、つまり、良いことや嬉しいことを日々積み重ねてくれる人達が、幸せであってくれたらいいなあという話です。

 天にまします我らが神よ、あーたも大したことないようです。
 人を助けられるのは、人だけみたいですよ。
 やーいやーい。

 どんな出会いにも、いずれ、別れは必ず来る。
 今日会ったって数時間もすれば別々の場所に帰るし、来年の約束をしたって結局は別れて帰る。
 そしていずれは、一生の別れが来る。誰でも、誰とでも。必ず来る。
 それは悲しい。とても悲しい。
 でも。
 だからこそ、たまーの待ち合わせでその人が私を見つけて声をかけてくれた時、何気なくどうもと応えながら、私は嬉しくて泣きそうになるのだ。

とりとめもなくおわり


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

15/09/10 草愛やし美

クナリさん、拝読しました。

生きてきて良かったですね、人生いろいろ苦労あります。辛い時はもう自分の全てが終わってしまったように思えますもの……。

ふわふわのリアリストさん、素敵な表現ですね。出会いってほんと不思議。

>天にまします我らが神よ、あーたも大したことないようです。人を助けられるのは、人だけみたいですよ。やーいやーい。――この部分がいっとう私はお気に入りです。笑顔

15/09/11 クナリ

草藍やし美さん>
神を冒涜するつもりなどないのですが、今まで霊験あらたかに「HEY! 神だYO!」と助けられたことがないため、どうしても人に感謝してしまいまする。
クナリという人は基本的にネーミングセンスというものが欠落しておりますゆえに、ふわふわのリアリスト様にももっとイカすあだなをつけられれば良かったのですが、才なきものの限界とは悲しいものですと思ったら褒められてワーイ。
自分は結構孤独にも生きて行ける人間のような気はするのですが、まあそうなるとどこかで「つまんない」とか言って人生やめそうでもあるので、やはり他人様というのは有難いものですね(今更)。

ログイン