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浅月庵さん

笑えるでも泣けるでも考えさせられるでも何でもいいから、面白い小説を書きたい。

性別 男性
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きみがくれた

15/08/19 コンテスト(テーマ):第八十九回 時空モノガタリ文学賞【きっかけ】〜松山椋君の足跡 コメント:1件 浅月庵 閲覧数:986

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 不意にぼくは肩を叩かれる。
「井端先生って呼んだ方がいいですか?」と、きみが笑う。

 きみは高校生の頃から綺麗だったし、ぼくはきみの知的な雰囲気がとても好きだった。
 きみの視線の先には、いつも本がある。カバーに覆われてタイトルさえわからなかったけど、休み時間のほとんどをきみはページを捲るのに費やしていたね。
 きみが小説のタイトルをぽろっと零したとき、ぼくは学校帰りに急ぎ足で書店へ向かったっけな。その本は当時、とても話題になっていたもので、活字のみの本を読むなんて、大人の階段を駆け上がった気がして照れくさかったけど、いかんせん入門するにはハードルが高すぎた。
 言葉は難しいし、登場人物が多すぎてわけがわからないし、また前に戻って読み直したり、悪戦苦闘の毎日。娯楽小説を苦しみながら読み進めることになんの意義があるのだろう、と何度も立ち止まりたくなったけど、その度にきみの顔が浮かんだ。

 知らない単語は辞書で調べ、登場人物や物語の展開も自分にわかりやすく、紙に書いてまとめた。読み終えたときにはとてつもない疲労感と充足感があった。
 これできみと小説の話ができる、なんて思ったけど、それまでぼくは一度もきみと会話したことなかったね。そんな状況で、どうやってこのたった一冊の感想を伝えればいいのだろう。

 天啓、ぼくは読書家にならなければいけない。一冊ぽっち読んで満足している状態できみに近づこうなんておこがましいよね。ぼくはもっと本を読まなくてはならない。
 お小遣いでは足りず、バイトも始めた。そのバイト代で気になった本を買い漁った。最初は一冊目と同様に紙にまとめながら読んでいたのだけど、徐々にそれが必要なくなる。頭で整理できるようになる。面白い、つまらないの区別がぼくなりにつくようになる。

 小説を読むのは楽しい、ぼくは高揚感に包まれる。本棚に漫画以外の本が並んでいくことに喜びを感じる。
 未だにきみと他愛ない会話さえできないけど、ぼくに趣味を作るきっかけをくれてありがとう。きみはなに一つ手助けした覚えはないだろうけど、遠目からきみを見てる人間は確かにここにいるんだよ。
 
 なんだこの展開、こうした方がもっと面白いのに、次第にぼくはプロの作品にまでケチをつけるようになる。とんだ思い上がりだ。口だけならなんとでも言える。
 
 ーーそれならぼくも書いてみよう、他人の作品に口出しできるなら、小説の一本や二本、平気で書けるのではないか。高校生のうちにプロデビューなんかしたら、それこそ反対に、きみの方からぼくに近づいてきてくれるかもしれない。

 だけど、現実はそう甘くない。バイトから帰ってきて寝るまでの時間、土日祝日、夏休みも冬休みもすべて使って小説を書いたけど、なかなか仕上がらない。ようやく完成したと思っても、一次審査さえ通過せず、自分の才能の無さに嫌気が差す。

 でも、きみが夢を目指すきっかけを与えてくれたんだ。なにもない日常が色濃く彩られたのは、きみが本を読んでいた。ただその一点だけなのだ。
 ありがとう、きみが本を好きでいてくれてありがとう。だからぼくはーー。

「お久しぶりです。先生だなんてお恥ずかしい」
 十年後の同窓会で高校卒業以来、初めてぼくときみは再会した。
「あはは。ごめんね、まだ井端くんの本、読めてないんだ。子どもできてから読書もめっきりできなくなっちゃって」
「そうだったんですね。あ、良かったらこれどうぞ」
 奈良崎さんは三年前に結婚して、もうお子さんもいるらしい。風の噂でぼくにも届いていた。
「え、私にくれるんですか」
「えぇ、時間が空いたらでいいので、読んでもらえたら嬉しいです」ぼくは自分の書いた小説の最新作を手渡した。
「ありがとうございます。でも、どうして私に?」
「はは、奈良崎さんのイメージは、ぼくの中では高校のときから変わっていません。奈良崎さんにはずっと本を読んでいてほしいんです」
 結婚をし、子どもを産み、幸せそうに暮らす奈良崎さん。物静かで、男子に話しかけてるところなんてほとんど見かけなかったきみも、今では簡単にぼくへ声をかけてくれる。ぼくの知っているきみは多分、高校を卒業して離れ離れになった時点で、吹く風に溶けたのだろう。
「ありがとう。大事に読みます」

 それでもぼくは、ずっときみのことを考えて小説家を目指したよ。ぼくの胸中にある写真フレームには、いつも本を読んでいる頃のきみが飾られていた。だから、ぼくの書いた本がまたきみの読書のきっかけになれば嬉しい、と強く思うんだ。

 ぼくの本に関する感想は求めないよ。ただ一つだけ欲を言えば、ぼくの書いた小説のほんの一行、ほんの一文でもきみの心に残ってくれたらいい。
 それだけでもう、今のぼくには充分すぎるほど充分なのだ。


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このストーリーに関するコメント

15/08/27 光石七

拝読しました。
片恋をきっかけに本を読むようになり、更には……
若い頃の主人公の純情さが微笑ましく、再会した時の会話や思いが仄かな切なさを含みながらも優しく温かくて、幸せな読後感でした。
素敵なお話をありがとうございます!

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