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三文享楽さん

私、三文享楽でございます。

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文学輪廻の通り路

15/08/16 コンテスト(テーマ):第八十九回 時空モノガタリ文学賞【きっかけ】〜松山椋君の足跡 コメント:4件 三文享楽 閲覧数:858

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 もう何度、この路を通ったか分からない。
 この路に戻ってきてすぐは毎度忘れているのだが、しばらく浮遊しているうちに以前にも通っていたことを思い出す。
 輪廻という概念が近いのだろうか。やはり我々は「生まれては死に」という転生を繰り返しているようだ。
 こんにちは。
 しかし、輪廻という言葉ともやはり違うのだと思う。我々は魂の存在すら含め、宇宙次元の有機物に組み込まれており、宇宙次元における構築物であることには変わりないからだ。
 こんにちは。
 ん? なんだ、この声は。
 呼びかけです。実は私もこの路を浮遊している魂の一部です。
 ここで交信が行われるとは珍しい。いや、珍しいという概念が当てはまるのかも分からない。なにせ、以前の記憶が定かではないのだから。
 難しい考えは抜きにしましょう。私はかつてどこかの世界であなたと接触していた気がするのです。
 接触か。それは稀有なことでもないはずだ。
 ええ。でも、もっと深い関わり。血の繋がり、血肉を分け合う以上に深い繋がりです。
 そんなことが。
 なんでしょうか、その道を選ばなければ分かりあえない、とでも言いましょうか。
 おっと、それこそ高等な話になってくるのではないか。今の私には勘弁願いたいことだが。
 いやあ、それほど高等な話でもないはずですよ。かつて選んだ道、聞こえてきませんか。
 地獄からやってきた文学青年。
 ん?
 お笑いタッチの文体、文壇バーの受賞、時空のモノガタリ。
 ほら、他からも呼応する呼びかけがあるでしょう。
 跋丸くんや田代くん、そしてきっかけ。
 確かに記憶の断片が織り交ざることにより、ある一時期が呼び起されるようだ。
 そうさ、生まれ変わっても小説家でいられるか。これはペンを手にした者なら誰もが思うことだった。
 ええ、そして我々は性懲りもなく苦悩しました。
 そうさ、生まれ変わっても自分は自分なりの物語を創っていられるか。これは小説を創る楽しみを覚えている人間ならば誰もが思うことだった。
 ええ、そして我々は性懲りもなく物語を紡ぎました。
 そうさ、それにはきっかけが。ん?
 きっかけ? そんなのありゃしない。始めたから始まった、それだけだ。
 ええ、文学に理由などいりません。それは自分自身がこの路に戻ってくる理由がないのと同じくらい確固たる意味のなさです。
 理由なんか全て後付け、ただ変わらないのは。
 文学者は同志であること。
 そうなのかもしれませんね。
 自らペンを執った以上はなにがあろうと繋がるものがあり、ペンを執らざるものとは歴然の差があるということだよ。
 そうなのかもしれませんね。
 でも、恐い。果たして、本当に自分は次にここを通過する時にも、かつてのこの文学的な感覚をもっていられるか。
 何も恐がるものはない。我々は、いつ、どこにいたって文学に狂っているホンモノだよ。
 もしかしたらこの路は文学輪廻を希望する魂にだけ啓かれたものなのかもしれませんよ。
 本来何もなかった闇にできた新たな路?
 宇宙次元におけるビッグバン的なものということか。
 いささか、宗教じみてきてはしないか。
 なんです、その宗教というのは。考えがある、ただそれだけの話ですよ。枠組みは必要ありません。
 ああ、文学輪廻を希望する路か。
 だとしたら、我々はまたここに戻って来られるということ?
 不思議ですよね、孤高の意思を以て貫かれたモノ創りの魂が共鳴し、壮大な世界観を構築した。
 ええ、一匹狼の集団とは素晴らしいアンチテーゼでしょう。
 アンチテーゼなのでしょうか。
 なんでもいい。
 まあまあ。極まった文学者の行き着くところですよ。いえいえ、行き着いてはいませんか。通過点というわけです。
 さて、みなさん。私はお呼びがかかったようです。
 ほう。
 次の世界でも作家でいられるでしょうか、証明してみせようじゃないですか。
 ええ、そしてこの路が啓かれるはずです。
 文学輪廻の通り路。


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このストーリーに関するコメント

15/08/16 松山

三文享楽さん、三作拝読致しました。
素晴らしい作品ですね。
今、椋がどこで、何をしているのか?
この作品を読んで安心致しました。小説には色々ありますね。
作品を読むに事で私達の心が癒されます。これも小説の力なんでしょうか?
私は、活字には、今まで無関心で本など読んだことすらございませんでした。今回、皆さんの小説を読むことで、私自身も立ち直るきっかけを頂いたています。
椋に小説の話しを聞かして貰う事が以前ありました。
その時にこの小説に書かれた事と同じような事を聞いた覚えがあります。
気のせいでしょうか?

15/08/16 三文享楽

松山さま、コメントありがとうございます。
拙い小説にお褒めのお言葉、感謝いたします。
失礼ながら、これまで松山椋さんの作品を読んだことはありませんでした。しかし、今回のテーマとなり、松山椋さんのプロフィールや作品を読むうちに好きな文体が似ているのではないかと感じるようになりました。さらに私と歳も近く、自費出版しようとしていたことなど(私も大学卒業後に多額の借金をして自費出版しております)に親近感が沸いてしまいました。そんな親近感からいつか話をしてみたいと思い、脳内旅行をしてみたところ、この作品ができました。
松山椋さんが私と同じようなことをおっしゃっていたとは光栄です。私は、小説のことを語れる器でない卑屈な三文文士でございますが、文学を通じて語らえるのならばそれに勝るものはないと思います。
とそれっぽいことを真面目に書くと、恥ずかしくなる三文です。
ありがとうございました。

15/08/26 光石七

拝読しました。
とても希望的で勇気づけられる、素晴らしい哀悼作品だと思います。
“文学者は同志”、“自らペンを執った以上はなにがあろうと繋がるものがある”という言葉が印象的でした。

15/08/30 三文享楽

光石七さま、コメントありがとうございます。
文学者は同志とは本当に私が思っていることです。古今東西に色んな小説があり、実際には自分の好みでない小説もありますが、それでも全く創作をしたことのない人より親近感が沸くのは一度でも書きたいという衝動があったかどうかだと思います。三文文士が偉そうにほざいてんじゃねえよ、と言われたとしても一方的に「あ、この人は“書く人”なんだな」と思ってしまうのだから、これはもう止められません。あららどうしましょう、です。
ありがとうございました。

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