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蝸牛

15/07/13 コンテスト(テーマ):第八十六回 時空モノガタリ文学賞 【 掃除 】 コメント:0件 ケイジロウ 閲覧数:884

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 ある特定の人に感動してもらおうといった目的をもち、その人の喜んだ顔を思い浮かべながらする掃除は、やっている最中もやった後もさわやかな気分になるものである。現場は汚れているほど良い。自然と鼻歌も流れでる。庭のアジサイにしがみついているカタツムリに微笑みかけたりもする。憎たらしい上司のことも、「まぁ、アイツにも一理あるのかな」なんて調子になる。
 これが掃除のあるべき姿や存在意義だとすると、その対極にあるものはなんだろうか。それは、時間つぶしのための掃除だと私は思うのである。時給制アルバイトの現場でよく見られる。やることがないのになにかやらなければならない時、<何をするか?させられるか?普遍的No.1!>は掃除なのではないだろうか。特に、必要性や緊急性が会場一致で「なしっ!」の場面での掃除は本当に苛酷である。たとえ5分間であったとしても。
 とにかく私はその時掃除をしていた。ある木材加工工場で。みんなが怪我なく生き生きとウキウキと生産活動に取り組める環境を創るぞ、といった意気込みは残念ながら全くもっていなかった。眠かった。チリホコリカタツムリより、壁にかかったチンタラちんたら時を刻む時計の方を熱心に見ていた。エライ人のこともチラチラと。
 「最近よく機械が停まるよなぁ。」
 と、私と同じように箒をぶらぶらさせていたフランス人が私に話しかけてきた。
 「まぁ、オレには関係ないけどね。それにしても、今トイレから出てきたジョン、いつもやる気ないよな。仕事中トイレにいる方が長いんじゃないの。おい、知ってるか、アイツ、左手の人差指と中指の第二関節から上がないだろ、ここだけの話、あれ、実はこの工場でやっちゃったらしいぜ。だから、あんなんでもアイツの首を切るに切れないらしいぜ。」
 あのオジさん、ジョンって名前なんだぁ。職場に入って絶対誰もが見るだろうと想定されている位置に、2m×1mほどの写真がかかっている。写っているのは、経営者ではない。創業者でもない。建国者でもない。キリストでもない。ジョン氏でなのである。左手でピースしている写真。巷で「安全第一」という錆びた看板をよく見かけるが、この写真ほど説得力がある看板を私はいまだかつて目にしたことがない。
 ジョン氏。あのオジさんのことは勤務初日から実は注目していた。写真の人と同一人物であることや指が二本ないことに気付く前から注目していた。なぜ20名以上いる職場で彼が際立っていたかというと、とにかく動きがのろい。よくポケットに手を突っ込んで口を空けて突っ立てる。彼よりエライ人が周りにいようがいまいが、彼の行動は安定していた。フランス人のワイドショー的談話を受けて、ジョン氏の安定感の理由が少しわかったような気がした。
 ランチ後、職場に戻る前に必ずトイレに行く。午後の始業からもうすでに2,3分経っているのだが、ゆーくりゆーくりカタツムリのように歩いているジョン氏ではあるが、彼の動きがアリみたいに速くなる時がたまに(本当にたまに)ある。カタツムリがアリの動きを突然するので、こちらはビックリしてしまう。掃除の時である。
 ただひたすら黙々とキビキビと箒を動かす。腰も入っている。スタート地点とゴール地点はいつも同じ。ちり取りとゴミ箱の定位置から最も合理的な位置が彼の定めたゴール地点である。ちり取りでゴミをさらい、それをゴミ箱に捨てた時点でまだ機械が動いていなければ、またスタート地点へ颯爽と戻り、また同じ作業を繰り返す。因みに、スタートからゴールへ向かう過程で機械が動き始めたらどうなるか。またノロノロに戻る。そしてまずトイレへ。ノロノロと。
 時の流れは速いもので、この仕事を辞める日がやってきた。この職場に不満があったわけではないし、会社が私の掃除態度に不満があったわけでも(たぶん)ない。ただ、ここで働き始める前から次の仕事が決まっていて、最初から短期間の雇用契約だったのだ。そして、最終日がやってきた。私は誰にもこの日のことを告げていなかった。ジョン氏にも。
 別れに湿気は無用といったポリシーがあって彼に告げなかったのではない。照れとも少し違う。「どうせ赤の他人なのだから」という理由では当然ない。ただなんとなく彼に言わなかった。言えなかった。
 仕事終わりにいつも通り「See you,John」とフツウを装って言うと、いつもの「See you, Kei」に加え、「Good luck」と微笑みながら付けてきた。そして私にクルリと背中を向け、手を振りながら職場を後にした。背中を丸めてポケットに手を突っ込み下を向きながらつまらなそうにノロノロ歩く姿は普段通りだった。
 私はその職場を去る前に、最後にもう一度入口にかかっている彼の写真を見た。彼の鼻歌が聴こえたような気がした。


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