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佐々々木さん

性別 男性
将来の夢 何も決まってません。
座右の銘 Whats the worst that can happen?

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手を伸ばせば

15/07/09 コンテスト(テーマ):第八十六回 時空モノガタリ文学賞 【 掃除 】 コメント:2件 佐々々木 閲覧数:901

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 落ち込む人間の意味が分からない。落ち込んだところで事態がいい方向に向かうわけでも問題が解決するわけでもない。そんな暇があったら、行動すればいい。

 部屋の掃除をしていたら、昔、高校一年の冬から大学二年の夏にかけて書いていた日記を見つけた。その日記のあるページに記されていた言葉だ。高校三年の五月半ばのものらしい。これを書いていたのは、まだ自分が何らかの超越した存在に選ばれた人間なのだと信じていられた、または信じようとしていた頃のものだ。
 高校時代までは何をやらせても他人よりうまくできたし、少し努力すればすぐに結果が出た。その時は自覚はなかったが、心の底では優越感に浸り、他人を見下していた。小さな世界で思い上がっていた、言葉は悪いが馬鹿なガキだった。
 天狗。
 井の中の蛙。
 小さな世界で築き上げた脆いプライドは、大学に入ってから崩れ始めた。周囲は自分と同じか、それ以上の能力を持った人間に溢れ、自分が平々凡々な人間だということに気付かされた。それでも自分の能力を信じたかった俺は、意固地になって一切の努力をしなかった。実像がない幻のプライドにしがみ付いたまま一年間大学生活を送り、俺は落ちこぼれた。その頃になってようやく意味のないプライドを捨てる決意ができた。確かその前後で日記を書くことを止めたのだったな、と思い返す。
 昔は自信に溢れていた俺だが、色恋には無縁だった。中高時代は自尊心によって。大学時代は劣等感によって。自分から人を好くこともなく、人に好かれることもなかった。このまま一生独り身で過ごすのかもな、と他人事のように考えていたが、会社員になり一年目、二十三の時、一つ上の女性と交際し始めた。これが一年前のことだ。


 その女性の笑顔に魅かれ、話しているときに小さく零れる笑い声が可愛らしかった。今でも一緒にいるだけで心が浮き立つ。いつも笑顔でいてくれ、俺を癒してくれた。嫌なことがあり本当は落ち込んでいるであろうときも、それが彼女の性格かそれとも年上の人間としてかは分からなかったが、心の沈みを一切感じさせずに笑うのだった。頼りにされてないのかもな、と悩んだときはあったが、その笑顔に救われたことは幾度となくあった。
 逆に俺は、慰めてくれと言わんばかりに自分の心の弱い部分を彼女に晒していた。自己否定の波に呑まれる中で、誰かに自分という存在を認めてほしいがために、あからさまに自虐的な言葉を発してしまう。嫌われるタイプの人間だな、と自分でも思う。
 しかし彼女は、いつだって変わらず、大丈夫だよ、と笑い返してくれた。その笑顔と言葉だけで、胸の中に渦巻いている陰鬱なものが消え去ってしまう。そして俺は、ありがとう、と口には出さず心中呟くのだった。
 付き合い始めてから彼女とは言い争いもしたことがなかったのだが、一度だけ本気で怒らせてしまう出来事があった。
「俺のことが嫌いになったり、他の人を好きになったなら、振ってくれていいから」
 俺は彼女が、大丈夫だよ、と言ってくれることをある程度期待しつつも、しかし半ば本気で、以前から思っていたことを口にしてしまったのだ。え、と彼女は固まり、言葉の真意をはかるように俺の目を覗き込んできた。やってしまった、と思ったが、言葉を放ってしまってはもう遅い、俺の声は手が届かないところまで飛んで行った。
「なにそれ。なんだか、私のことは大切じゃないって言われてるみたいで、嫌」
 彼女はそれだけを早口に、淡々とした調子で言い放って、俺の部屋を飛び出した。それから連絡を取っていない。これが一週間前のことだ。


 気晴らしに始めた掃除だった。この一週間、何もしないでいると彼女のことでうじうじと悩んでしまい、かといってこちらから連絡を取るような勇気はなかった。自分にうんざりする。彼女と喧嘩しただけで、何も手につかない。彼女がいないだけで、何もできやしない。過去の俺が語りかけてくる。
 落ち込む人間の意味が分からない。
 偉そうに言っているんじゃない。お前だって一年後には大学で挫折しているんだ。
 落ち込んだところで事態がいい方向に向かうわけでも問題が解決するわけでもない。
 知っている。お前は落ち込むほどの失敗をしたことがないからそんなことを軽々と口にできるんだ。
 そんな暇があったら、行動すればいい。
 うるさい。それができたら苦労しない。じゃあ、お前のその無駄に有り余っている自信を俺に分けてくれよ。分けろよ。
 頼むから。
 目の前の机に携帯電話が転がっている。数十センチほどの距離だ。手を伸ばせば届く。ほんの少し手を伸ばすだけで、それは掴める。
 なあ、昔のおれよ。嘘でも幻でもいいから、少しでいい、ほんの少しだけ、俺に手を伸ばす勇気を。
 肩からぶら下がっている腕は石のように固く、重かった。


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このストーリーに関するコメント

15/07/10 クナリ

個人的にはなのですけども、これはぜひ、主人公が何らかの行動を起こすところまで見てみたかったです。
過去の自分の文章が語りかけてくるのではなく、掛け替えのないものに触れたことで変わった自分が以前の自分の文章を読んで…というのは新しいと思いました。
その変化の象徴が、最後に見てみたかったです。

それにしても魅力的なヒロインで、これは主人公のようなタイプは本当に好きになってしまいますね。
以前は人に好かれなかったはずの主人公が、素直ですっかり好ましい人物に見え、心地よく読みました。

15/07/16 光石七

拝読しました。
冒頭の日記には正直イラッとしましたが(苦笑)、大学で自分の平凡さに気付いた主人公に似た部分が自分にもあるなと思いました。
彼女は本当に素敵な女性ですね。主人公でなくてもきっと惹かれると思います。
主人公には勇気を出して彼女と連絡を取ってほしいです。このまま終わりでは、絶対後悔するはず。でも、最後の一文が…… うう〜、頑張れ〜。
主人公の変化と心の葛藤がわかりやすい文章でしっかり描かれていて、気付けば共感していました。
面白かったです。

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