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クナリさん

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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空白罪――ガランとしていて片付かない――

15/06/15 コンテスト(テーマ):第八十六回 時空モノガタリ文学賞 【 掃除 】 コメント:4件 クナリ 閲覧数:1512

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 生家の二階で、先週他界した姉の部屋を掃除していたら、机の抽斗から、型落ちの携帯電話を見つけた。
 一ヶ月くらい前まで姉が使っていたもので、電源を入れると、まだ電池は少し残っていた。きっと、しまいっぱなしにして忘れていたのだろう。
 姉はとにかく、忘れっぽい人だった。まだ二十七歳だったけど、周囲からは「超若年性健忘症だな」などとからかわれていた。
 学生の頃から、学校へ行けば筆記用具を忘れ、遊びに行けば財布を忘れた。姉が二十歳の誕生日を迎えた翌日に、「あれ、私今いくつだっけ」と訊かれた時は唖然とした。
 そんな姉は、親しみやすい人柄もあって周囲の誰からも愛され、大変もてた。
 性格がだらしなかったわけではなく、姉の部屋はいつも綺麗だった。ちらかっていると尚物忘れが酷くなり、本当に大切なことまで忘れてしまうのだと言う。
 そんなことを思い出しているうちに、どこかのボタンを押したらしく、アドレス帳の画面が開いてしまった。
 慌てて閉じようとした時、不思議なものを見つけた。
 アドレス帳の中に、一行だけ氏名が空白の欄がある。名前を入れ忘れたまま、番号だけを登録したのだろうか。
 姉らしい、と思いながら、ついその欄を開いてみた。名前なしの電話番号だけなら、問題ないと思った。
 現れたのは、見覚えのない携帯電話の番号だった。
 その番号は、なぜか妙に、私の心に残った。

 一週間が過ぎた。
 姉しか食べないバナナが腐り、姉しか水をやらない日日草が枯れた。
 流れる時間は家族の欠損を淡々と、けれど確実に、私達へ突き付けて来る。
 そんな中、私は、あの番号に電話してみることにした。
 心に引っかかったものを一つずつ解いて行かなければ、姉の消滅を受け入れることが出来そうになかった。
 姉が最後に使っていた新しい携帯電話には、空白の欄も例の番号も登録されていなかった。単に古い知り合いか何かで、もう使われていない番号なのであれば、それでいい。
 夜、私は敢えて姉の部屋で、自分の携帯電話からあの番号をコールした。
 電話に出たのは、男の人だった。
『はい。どちら様ですか』
 私は姉の名前を出して、妹であることを告げた。
「姉の古い携帯に、この番号が入っていたんです。でも名前が空白のままで」
『彼女らしいですね』
「私もそう思いました。年中、あれ忘れたこれ忘れたって騒いでる人でしたから」
 そういう処が、愛されていた。
 姉を悪く言う人は、誰もいなかった。
「でも、違いました。姉の新しい携帯の方にはあなたの番号は登録されていなかったんですが、その理由も今分かりました」
 男の人の声には、聞き覚えがあった。
 姉の通夜で土下座して、でも父に蹴り出された、姉よりも随分年上のあの人。
 奥さんがいると言う。子供も二人。そんな人が私の姉と心中しようとして、一人だけ生き残った。
 この人も、奥さんも子供達も、これからそれぞれに、どんな思いで生きて行くのだろう。
 私は、姉とこの人の関係を認めたわけではない。今も許せはしない。あんなに沢山の男の人に愛された姉が、なぜ寄りにも寄って、妻子のある男を選んだのか。男はなぜ、姉に手を出したのだ。
 それでも――……認めざるを得ないこともある。
「きっと姉は、……あなたの番号だけは、忘れないと思ったんです。自分の年齢さえ忘れる姉が、ですよ。前の携帯の時は、一応保険のために番号だけは入れてあった。でも携帯を新しくした頃には、多分、絶対の自信があったんです。この番号は何があっても記憶し続ける、と」
 大切なことを忘れないために片付けられた、姉の部屋を見回す。
 この部屋が姉の想いの証左だったのだと、私はこの日、初めてそれを知った。
 姉の死の直後、男の奥さんは、自分は夫を誘惑された被害者だと、怪気炎を上げていたと聞いている。
 尤もだと思う。しかし姉の人望は凄まじく、関係者からは「あの子があの男を選んだのなら仕方がない」と、むしろ姉の方に同情的な声が多く上がった。そのせいで、かなり奥さんは困惑したらしい。
 本当に可愛そうなのは、誰なのだろう。
 一番悪いのは、誰なのだろう。
 今夜、この男を励ますようなことを言ったのは、思い切り不本意だった。
 でも、姉の想いを誰かに知って欲しかった。それを言えるのは、この人しかいなかった。
 悔しさのあまり、頭の真中で、脳が歯軋りをしている。
 忍耐の限界が来て、私はそれ以上一言もなく、ただ電話を切った。

 この床に、腐ったバナナをぶちまけて。
 その上から、枯れた日日草をバラ播いて。
 そうすれば、大切な人のことを忘れられるだろうか。

 大切な記憶ほど、忘れたいことも沢山ついて来るのはなぜなんだろう。
 姉の部屋は、空しいくらいにガランとしている。
 けれど、もう、片付かない。


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このストーリーに関するコメント

15/07/06 つつい つつ

バナナが腐ったり、日日草が枯れたり、何気ない日常がよけい悲しみを膨らませて堪えます。
誰がいい、悪いじゃなく、本当に、せつない話だと感じました。

15/07/06 クナリ

つつい つつさん>
喪失の悲しみ、というのは、「ものは考えよう」とか「亡くなった人は、残された人が悲しむのを望んでいない」といった技法(?)でもなかなか転換できるものではなく、癒えない傷を抱えていくのが当たり前なのかなあ…というのが、昔から悔しかったりします。何に対してなのかは、分からないのですが。
そうした感覚って、やっぱり「失われた日常」を想起させられる時が一番胸に刺さると思うんですよね。
価値観や感情で、埋め合わせることができればいいのですが、なかなか…。
コメント、ありがとうございました!

15/07/13 光石七

まだ若い姉の死、携帯のアドレス帳の中の名前のない電話番号。冒頭から惹きつけられました。
姉が死んだという実感が増してくる描写がリアルですし、電話をかけて明らかになる姉の死の経緯と姉の片付けの真相が切なく、でもどこか温かく、いい意味で割り切れないモヤモヤ感がありました。
“大切な記憶ほど、忘れたいことも沢山ついてくるのはなぜなんだろう”、印象的な一文です。
深みのある魅力的なお話でした。

15/07/15 クナリ

光石七さん>
「大切な〜」のくだりを表したくて、この話をしたためたのかもしれません。
言及していただけて有難いです。
最近どうも心情面の表現に偏ったものを多く書いていた気がしまして、これなどは意図的にそれ以前の、「話の筋で、どんでん返しや伏線を使って起伏のある話を作ってみよう」という意図で書いてみたものだったりします。
上手くいっているかどうかは分かりませんが…そしてその以前の書き方というのが良いものだったのかも分からないのですが(^^;)。
手を変え品を変え、いろいろやってみるのです〜。

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