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クナリさん

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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黒洞沼の鯰(くろうろぬまのなまず)

15/05/22 コンテスト(テーマ):第八十四回 時空モノガタリ文学賞 【 江戸時代 】 コメント:10件 クナリ 閲覧数:1858

時空モノガタリからの選評

妖怪というものはきっと、そこに住む人々の心が生み出すものなのでしょう。東京の光や理の世界と、江戸の闇と不条理の世界との対比が鮮やかですね。光作らを呑み込んだ“黒”の正体が明かされないところに、理屈で割り切れない江戸時代特有の不気味さが感じられ、説得力がありました。また短編のアニメーションでも見ているかのように、映像が目に浮かぶようでした。

時空モノガタリK

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 ――沼だ。沼が。
 ――光作なら、喰われたよ――

 江戸時代、特に元禄期は、生活を脅かす戦が長く遠のいたこともあり、大衆娯楽の一大隆盛期となった。
 特に、絵の類は質・量ともに無類の充実を見た。
 ただし、表があれば裏もある。
 江戸は小石川の片隅に、格別名もなしていない絵師が長屋暮らしをしていた。
 周囲の家々では、腕のない絵師が貧乏長屋で食いつめているのだろうというくらいにしか気にしていなかったのだが、幾年もする内に、どうもおかしいと言われ始めた。
 まず、その絵師の名が、杳として知れない。売れていなければそれも当然なのだが、どうもかの絵師の処には、豪奢な身なりをした依頼主達が何人もやって来ている。それでなぜこんな長屋に住んでいるのか、その名が評判にならないのはなぜなのか。
 常にほっかむりをしているその絵師は昼間はまず出歩かず、近所づきあいも殆どないので、同じ町内の者もせいぜい背格好くらいしか知らない。

 光作は、小石川療養所の勤め人を父に持つ、十一歳の少年だった。
 ある日光作は、三四人の友人と共に、かの絵師の家を探検に行こうと思い立った。
 月に一度の決まった日、絵師は必ずふらりと外出する。その隙を突いて、謎多き家の中を覗いてやろうと考えた。 
 子供達は口々に止めたが、光作は彼らを長屋の端に隠れさせると、絵師が出かけるのを確かめてから、するりと戸の中へ入り込んだ。
 絵師の部屋は長屋の端なので、その外、壁一枚隣に侍る友人らに、光作の立てる音は丸聞こえである。
 しばらく、ごとんがたんと家探しをする音が聞こえた。
 が、ふと、音が途絶えた。
 子供の一人が、光作どうした、何かあるんか、と声をかける。すると、
 ――沼だ。沼に、鯰が。
 そう言って、しかしそれきり、光作は黙った。
 気味は悪かったが、放っておく訳には行かぬからと、子供達もまた、長屋に忍び込む。
 外見には長屋に何の変わりも見えぬまま、そうして、二刻が過ぎた。

 日が沈み出し、光作の母親が、姿の消えた息子らのことを心配して、近所をうろうろと見て回る。
 やがて、例の長屋に差し掛かった。
 すると、光作の友人らがそこからぽろぽろと出て来た。だが、光作の姿が見えない。
 母親は彼らへ駆け寄った。
 ――あんた達、光作と一緒ではないの。
 少年らはやけに陽気に、どこを見ているのか分からない視線を斜め上へ投げながら、
 ――ああ。光作なら、喰われたよ。
 そう言って、母親を通り過ぎた。
 母親が彼らに追いすがって何のことかと問いただしても、もう、けらけらひょうひょうと笑うだけで、要領を得た答が返って来ない。
 母親は顔色を失って、子供らが出て来た長屋の端の戸をくぐった。
 日暮れ時の上に、障子に目張りをした部屋の中は、酷く暗い。かろうじて、一幅の掛け軸が壁に吊られているのが見えた。
 何を描いたものなのか、紙の中央には黒々とした楕円だけが描かれている。
 その中の一際濃い黒色が、――……うごめいた気がした。
 次の刹那、母親は腰から上をすっぽりと、絵から躍り出した、その黒に飲み込まれた。
 母親は、その黒の中に、無数の子供達が漂っているのを見た。皆幼いが、体はだらりとして生気はなく、気を失っているのか、死んでいるのかも分からない。
 母親はまたその中に、確かに光作を見た。
 名を呼ぼうとした時、息子は黒い渦に呑みこまれて、跡形もなく消えた。
 そして最後に母親は、さっき自分がすれ違った光作の友人らの、そのよく見慣れた顔がべろりとめくれた皮だけが、黒の中に漂っているのを見た。
 ――私は。
 ――私はこの逢魔が刻に、何とすれ違ったのだ。
 渾身の力を込めて、母親は己の体を黒の中から引き抜いた。
 裸足のままで往来へ飛び出すと、ちょうど日が完全に暮れた処だった。
 向かいから、背格好だけは見覚えのある人影が、歩いて来るのが見えた。
 あの、ほっかむりの絵師だ。
 ――金持ちばかりが訪れる絵師。
 ――お前は何なのだ。
 ――あの絵の黒色の中の子供達は、何だ。
 ――息子を――どうした。
 母親は夢中で、絵師に掴みかかる。
 絵師は、己の顔の手ぬぐいをべろりと剥いだ。
 そこには顔の代わりに、夜よりもなお暗い、あの絵と同じ黒があった。
 あっと声を上げる間もなく、母親は今度こそ、その黒に呑まれて消えた。
 絵師は、長屋の戸をくぐり。
 酷い建てつけのはずの引き戸が音もなく閉まると、江戸の外れの夜は、これまでと同じように、静かに更けて行った。

 あの子供らのその後も、光作と母親のその後も、今には伝わっていない。
 江戸と東京は土地を同じくしてはいても、その成り立ちも構成も、全く違う都市である。
 とりわけ夜は江戸のそれの方が、概ね深く。
 怪異が、好む。


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このストーリーに関するコメント

15/05/23 クナリ

ふて猫さん>
ホラー作品を褒めていただけるのは、本当にうれしいです。
江戸時代がテーマと見たときに、これはもういろんな切り口があるけど、自分的には歴史ホラーで決まりっすよという感じでした(^^;)。
そうなのです、日本の妖怪は、直接的なおっかなさとかよりも「気味悪さ」が大事だと思っていますッ。
これからもよい妖怪(?)たちに登場してもらうことができればいいのですけども。
コメント、ありがとうございました!

15/06/01 草愛やし美

クナリさん、拝読しました。

クナリさんの目指す怪奇ものの最たる部分を見せてもらった気がしています。面白いですね、一気に読み終えました。実在した絵師なのか、はたまた作り話なのか? 江戸の時代ゆえ、いまも不明のままなのでしょうね。東京に住んでいなくてよかったと読後、安堵した怖がりの私です。苦笑 
追伸、お願いですから、大阪含め関西を舞台に書かないでくださいね。滝汗

15/06/02 クナリ

草藍さん>
こう、きれいに片付かないというか、ミステリ的な手法では終わらないタイプの怪談が好きでして。
普段はどうしてもある程度の理屈というか、「これこれこういう理由でこういうことが起きたんですよ」という、得心の行く内容で終わることが自分の書く話では多いんですけど、やっぱりこう、「何が?何で?えー?」というのが残っているのが、怪談の魅力かなあ…とも思うのでして。
>大阪含め関西を舞台に書かないで
なっ…!
な ん と い ふ ネタフリ…!
そのためにはまず、口語で違和感の無い関西弁が書けるようにならねば…。
父が大阪は羽曳野(ザ☆ホルモンワールド)の出身なのですけど、
「大阪弁は文章にすると、どう書いても不自然なんねん」と言っていましたねえ…そうなのかなー。
コメント、ありがとうございました!

15/06/03 タック

拝読しました。
静かに、ぞろりぞろりと背筋に迫る感覚が心地よかったです。日本的恐怖の真骨頂のような作品ですね。
こういうものを書きたいと強く思わせられる作品でした。ありがとうございました。

15/06/05 クナリ

タックさん>
ありがとうございます。
日本の幽霊とか妖怪とかって、冷静に考えるとなんで怖いんだかよくわからないものも多くて(直接的な戦闘能力に欠けるといいますか)、
なのに怖いという…あの独特の不気味さみたいなものが出せたらいいなあと思っています。
ええ書きましょうぜひ書きましょう。妖怪がタックさんを待っています!(やだな!)

15/06/16 光石七

江戸時代といえば怪談も結構ありますね。
怨念が云々という話も怖いですが、得体の知れない怖さというのも日本古来のものかなあ、と。
御作は後者ですね。一体掛け軸は何なのか、絵師は何者なのか、説明が無いのが不気味な怖さを引き立てていると思います。
江戸という舞台も見事にはまってますね。
素晴らしいホラーでした!

15/06/19 クナリ

光石七さん>
江戸時代というテーマが何とも広く、「えーいもう自分がやりたい分野でやったるねーん」という感じで、妖怪話にさせて頂きました(^^;)。
既存の有名な妖怪も題材にしてみたいのですが(あずき洗いとか)、どうも妖怪関係というのは民俗学と相性がいいので、ともするとノンプロの漫画や小説でも、詳しい方から「この扱いは妖怪の誤用(?)だ!」と書き手側が怒られてしまうことがけっこうよくあるようなので、うかつなことをするとやけどしそうです。
個人的には、妖怪は無敵のモンスターなどではなく、一定のルールや限界に縛られているものだと捉えているのですが、このルールを登場人物が知りようが無い状況と言うのが、ホラーにおいては大事だなーと思うのです。
ミステリも好きなので(へっぽこですが)、ついつい登場人物に謎を解かせたくなっちゃうんですけどね(^^;)。
コメント、ありがとうございました!

15/08/06 滝沢朱音

遅ればせながら、入賞おめでとうございました!

ほっかむりをしている絵師、これは怖いですね。なんだかシリーズになりそうな予感。(期待)
江戸の暗さと、京都の暗さ、どちらも怪異を呼ぶようで、なんとなく似てる気がします。

15/08/07 クナリ

滝沢朱音さん>
実は自分め、シリーズというのが根本的に超絶かなりめっさ、…下手なのです!(おおいばり)
きっと、単発の短距離走を後先考えず走って止まってを繰り返す、という計画性や発展性皆無の性質なのでしょうッ。
ホラーにおいて謎を有するキャラクタを出すのは諸刃の剣というか、「こんなわけわからんのんがオチになるなら、もう何でもええやん(なぜ大阪弁)」と自分でも思ってしまうので、うまくいっていれば嬉しいです。
ありがとうございました!

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