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春沢 紡生さん

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前略、海の街より愛をこめて

15/05/10 コンテスト(テーマ):第八十二回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 春沢 紡生 閲覧数:938

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「大動脈遮断解除、バックアップ。」
ゆっくりと、しかし力強く患者の心臓は再鼓動を始めた。手術成功。
満足そうに笑みを浮かべ、颯爽と手術室を出ていく――のは俺ではなく、同期の水無郁子。勤続2年目にして、聖都大学医学部附属病院の若きエースとまで呼ばれる、大変優秀な外科医である。そして、俺はといえば今しがた水無に手術の最速記録を抜かれ、怒り心頭のミスター・メタボ・バーコードハゲ教授の後ろを黙ってついていくことぐらいしか仕事がない、医者という名のついた白衣を着て歩くことだけが仕事の男である。俺だってこんなことがしたくて医者になったわけじゃないのに。
かあちゃんは、俺が5つの時にガンにかかって死んだ。それからは、漁師のおやじが男手一つで俺を育ててくれた。小学校の時、母の日の行事があって、おやじはごつごつした手にクリームを塗って、かあちゃんのスカートをはいて、花の飾りのついたツバの広い帽子を被ってきた。いつもは厳しくて、テストでどんだけいい点を取っても褒めてさえくれなかったおやじが、仕事だからが口癖で全然構ってなんてくれなかったおやじが。その時、俺は子供心なりに思ったんだ。ちょっとでも、楽させてやんなきゃなって。だから、一番金が稼げそうな医者になった。不純な動機かもしれないけど、それでも大学に入ってからはかあちゃんがかかったっていうガンを研究して、今はそれが手術で治せるんだって知って、一端の外科医になって少しでも患者を救おうって心に決めたんだ。なのに。
「はぁ……。」
「おい、ヤブ平〜水無は俺をこう呼ぶ」
「航平だっちゅーの!」
「お客さん来てる」

水無が顎をしゃくった先、壁際にひっそり佇む女性を見つけて俺は思わず息をのんだ。
「ユリ……村上、優里か?」
「久しぶり……新谷くん。」
ユリは、俺の田舎――潮田村立小学校時代からの友人であり、東京の医大に進学すると決めた時、真っ向から反対したおやじと担任を一緒になって説き伏せてくれた唯一無二の理解者でもある。
しばらく沈黙が続いた後、おもむろにユリが小包を取り出した。
「これ、お父さんから。」
いびつな形の白い包。中から出てきたのは、幾重にも重なった魚の干物だった。「ちゃんと魚も食えよ」と書かれたメモとともに。
「これ、わざわざ届けに来たの?」
「うん……お父さん、最近調子悪そうだったから。」
「そっか……。」
バカおやじ。帰ってこいって書けよ。

その週末、俺は久しぶりに潮田に帰ることにした。潮の香りを胸一杯吸い込んで、水平線を仰いだ。
「飯、食うか?」
ホッケと味噌汁と白飯。我が家の朝ごはんの定番メニューだった。お互い黙ったまま箸を口に運んでいると、ボソリとおやじが口を開いた。
「仕事は、上手くやってるのか。」
「まあ、ぼちぼち。」
「そうか……。」
また、沈黙。
「……船、乗るか?」
「いいのかよ?」
おやじは一度だって俺を船に乗せてくれたことはなかった。お前が船に乗るのなんか百万年早いとよく言われたもんだ。ずいぶんと早く、百万年過ぎたものだ。

無言で網を引きながら、日の出を仰いだ。
「きれいなもんだな。」
「……そうか。」
俺はしばらく黙っていたが、ふいに聞いてみたくなって口を開いた。
「どうしたんだよ、急に。魚送ってきたり、船に乗せたり。」
しばらく遠くを見ていたおやじだったが、網を引く手を突然止めて俺を見た。
「すまなかったな、その、かあちゃんのこと。」
「なんだよ、突然。」
「金があれば、治せたらしいんだがな。……俺の稼ぎじゃ、治してやれなかった。」
「……そう、だったのか。」
「それに、死に際だっつーのに、一緒にいてやれなかった。……今になってわかったんだ。病気になるってーのは、孤独なもんだな。」
「なんだよそれ……。」
「まぁ、な……、もう長くはないって言われたもんでなぁ……最期に出てったバカ息子の顔が見たくなってなぁー……。」

「新谷くん?大丈夫?」
港で一人座っていると、ユリが声をかけてきた。
「全部、ユリは知ってたんだな。」
「ごめん、」
「ありがとな。教えてくれて。」
「どうしても……会わせてあげたくて。すごい、不器用だけどあれがお父さんからの最期の手紙……みたいなものに思えて。『前略、海の街より愛をこめて』……って。」
「バカおやじ……死なせてたまるかよ。」

翌日、俺はおやじを東京へ連れていった。すぐに緊急手術が決まって、手術室へと親父が入っていく。
「おやじ……俺、田舎帰って開業するから。」
「……そうか。」
しばらくしてから、おやじはぼそっと言った。
「ありがとうな。」

「おう、新谷航平。」
「……今度会う時までにはその言葉遣い何とかしとけよ。」
水無はプッと笑って、それから真顔になって言った。
「さ、始めるよ。新谷、先生。」


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