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クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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路地裏のコーヒーとメロンソーダ

15/05/09 コンテスト(テーマ):第八十三回 時空モノガタリ文学賞 【 時間ぎれ 】 コメント:6件 クナリ 閲覧数:2200

時空モノガタリからの選評

女装者という「熟することが、禁じられた世界」の儚さをうまく描いているなと思います。また路地裏、「八十円」のコーヒー、メロンソーダが彼らのおかれた状況を比喩としてうまく言い表していますね。女であることでたとえ弱くなってしまったとしても、彼らはその道に進むしかないのでしょう。自己憐憫に陥りそうで陥ることのない、どこかドライな世界観が繊細で、クナリさんらしい作品だなと思いました。

時空モノガタリK

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 五月の夜は、あのやかましい葉桜が見えなくなって、気分が良い。
 僕はスカート姿で、路地裏の自動販売機の紙コップに、安いコーヒーが注がれるのを見ていた。
 良い匂いがする。でも、苦いだけで美味しいわけじゃない。
 触れるまでは良い気持ち。似たもの同士だから、つい飲んでしまうのかもしれない。八十円のコーヒーとお友達。楽しいね。
 僕が紙コップを自販機から取り出すと、横にいたナツキが入れ替わりにコインを入れ、メロンソーダのボタンを押す。
 ナツキは綺麗な顔で、女装も上手い。去年知り合ってから、よくこうして路地裏で会うようになった。
 僕はタバコに火をつけた。
 服に灰が落ちないよう、注意して吸う。

 高校を、去年卒業した。自分には永遠に来ないんじゃないかと思った二十代は、すぐそこに来ている。
 同性愛者は、五十歳でも同性愛者でいられる。
 シーメイルも、六十歳でもそう名乗れる。
 女装だって、七十歳でもできる。
 でも。
 男の娘という呼称は好きじゃないけど――今の僕はまさにそれだ――、長くとももう十年もすれば、好きでも嫌いでも、そう名乗れなくなるだろう。
 どんなに言い張っても、どう主張しても表現しても無駄。
 可愛い女装者でいることは、今しかできない。これこそが生涯を通してなりたい自分なのに、その期限は遠からず強制的に切られてしまう。熟することが、禁じられた世界。
 そんな僕らを、夢が叶っているのだから幸せじゃないか、と言う人もいるけど、ちょっと頭が沸いている。
 男の娘が自分の性別であることを望む僕も、だいぶ沸いている。

 先週、女装のイベントで、ちょうど当日三十歳の誕生日を迎えたという女装者がいた。
 若く見えた。でも、もう時間切れだと言っていた。女装は、今日で終わりだと。
 人によって違う、女装者の、自分が自分でいられる時間。自分で辞めるかどうかの差はあるけれど、必ずやって来る。一生の長さに比べればあまりにも早いエンドテープ。
 今が僕が僕でいられる時間なら、人目を避けてスカートを履いて、路地裏で紙コップのコーヒーをすするのが、僕の人生の絶頂ということだろうか。
 可愛くありたい。僕にとってそれは、女の格好をする上での最低条件だった。
 可愛くなければ、女装する意味も、生きている価値もない。
 馬鹿馬鹿しくも、切実にそう思う。

 ナツキの顔は腫れている。
 メロンソーダで少しでも冷やしたいのだろう、紙コップを頬に当てていた。
 ナツキには、彼氏がいる。
 そいつは自称トラウマ持ちで、自称子供の頃から性のコンプレックスがある人間で、自称弱者で、自称いい人。
 自称弱者というのは、自分が人を傷つける時には遠慮しないものなのか、ナツキはよく怪我をしていた。ナツキも体は男だけど体つきは華奢だし、何より、暴力には耐性がまるでない。
 ナツキの紙コップが傾き、わざとこぼしたソーダが頬を濡らした。
 泣いていることをそれで隠せるとは思っていないのだろうけど、でも、そうしたごまかしが僕らにはいつも必要だった。
 殴られたからじゃなく、やめて、もう別れる、と言えない自分に泣いているナツキの気持ちを、理解できるなんて到底言えない。

 僕の体は恐らく死ぬまで男のままだけど、ナツキはいつか体も女にすると言う。そのために、お金も貯めている。
 手術が上手く行ったとして、その時、ナツキはいくつだろう。
 若くもなく、弱さが魅力にもならなくなった状態で、たった一人の女が街に放り出されたら、それでも本当の自分だから幸せだと言えるのだろうか。

 僕は、悲しい時ほど泣かなくなった。泣いてしまえば、悲しいことがばれるからだ。
 でも、自販機の明かりの中で震えるナツキを見ていると、よく涙が出た。今日も、やはり。
 ナツキを見ていたら何となくそうしたくなって、僕は短くなったタバコの先を、自分の濡れた頬に押し当てた。
 チュッと音がしたけど、火は消えずに、鋭い痛みで僕の皮膚を焦がした。
 頬骨の下の辺りに火ぶくれができ、女装者としての僕の値打ちは確かに下がった。
 僕がいくらなのかを、誰が決めるのかは、知らないけれど。

 今日はもう八十円のコーヒーと仲良くする気にはなれなくて、紙コップの中身を側溝に捨てた。
 この辺りで八百円のコーヒーを出す店は、どこもこの時間では閉まっている。
 居場所も行く先もこんな風に、取り返しのつけようもなく消え失せて行くんだろう。

 僕のスカートに、灰が落ちていた。
 気をつけていたのにな。
 うつむいて泣いていたナツキがやっと顔を上げ、僕の頬を見て火傷に気づき、
「大丈夫?」
 と心配そうに覗き込んで来た。
「泣いてるの?」
 お互いの顔が近づき、メロンソーダの炭酸がか細い音を辛うじてまだ、夜の中に響かせていた。


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このストーリーに関するコメント

15/05/12 メラ

クナリさん、拝読しました。
面白い設定ですね。でも、こういう感覚に共感を持つ人もたくさんいると思います。
私はノーマルですが、若い頃によく新宿2丁目界隈で飲み歩いてました。その頃はそういう人たちの生の姿を間近に見れて、いい勉強になったなぁと、今ではしみじみ思う次第です。
彼らはとても繊細で、頭が良い人が多いですね。だから、傷つきやすい。

15/05/12 クナリ

メラさん>
二丁目と三丁目で、雰囲気がガラリと違いますよね〜。
同性愛や異性装は、自分の中で決着をつけて行きたいテーマでもあります。
人生の数だけ存在する主人公たちを通して、自分なりの表現ができればいいのですが。
表と裏があり、本音として本人か語っていることすら本音とは限らない。
そうした人々を描き出すのはとても難しいのですが、やりたいからやる…という感じですね。
コメント、ありがとうございました!

15/05/13 タック

拝読しました。
性別の壁、年齢、様々な問題は時代が進み、ある程度世間が寛容になろうとも完璧にクリアされるものではないのでしょうね。
好きなことをやっている自分が必ずしも主体的に相対的に好きな自分ではない、そんなこともあるのかもしれないなあ、と拝見して感じました。

15/05/15 クナリ

タックさん>
アングラとかサブカルとか呼ばれたものもそうなんですけども、太陽の下に引きずり出して明るく照らしてしまい、世間の寛容さに任せていこう…という態度は、万能ではないと思うんですよね。
隠すからおかしいんだよ、みんなの前に出せばいいんだよ、そうしたらたいした問題じゃないさ、という方法論を信奉している方を時折見ますが、その正しさは時に暴力的で。
分かったような気になられて、あいまいな寛容さの中で受け入れられたように見えても、それは「完璧なクリア」ではないですもんね。
好きなことと好きな自分が乖離している状態でそんなことになったら、もう自分なんて保てないでしょうし…って、すみません、ややこしい話になってしまいました(^^;)。
コメント、ありがとうございました!

15/05/20 レイチェル・ハジェンズ

ナツキの泣いている姿、彼氏といる姿を想像して
なんとも言えない気分になりました。
こういう時代だからこそ、想像出来るんでしょうかどね。

20才を前にした僕の気持ち、
それから女装仲間の未来だとか。今後どうなるんでしょうか?

僕がイケメンだったように見えました。

15/05/22 クナリ

レイチェル・ハジェンズさん>
性別(性差)に言及して行く作品の中で、どんな登場人物をクローズ・アップするかは毎回悩むのですが、今回は「僕」と「ナツキ」のどちらを主人公にするかでまた悩みました。
それはまさにイコール、ナツキが彼といるところを作中で描写するかどうか…という悩みでした。
ナツキサイドではちょっと切ないままになりそうだったので、今回は「僕」側からの描写になりましたが。
「これから」「行く先のいつか」というものとどう向かい合うか(時には、まったく考えないで)は本当に、人によって異なります。
登場人物として現れてくれた人々が、何らかの喜びを得られればいいのですが。

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