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一ノ瀬 冬霞さん

一ノ瀬 冬霞(イチノセ ユキ) ひっそり活動中。

性別 女性
将来の夢
座右の銘 適(切)当(然)

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ハッシュヴァルト氏の災難

15/05/04 コンテスト(テーマ):第五十五回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 一ノ瀬 冬霞 閲覧数:851

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石造りの街並みの一角に、ひっそりと店を構える老舗の喫茶店がある。窓の外を覗えば、今夜も絶え間なく星の雨が降り注いでいる。
ある老紳士が、その星空を左手に臨む席――彼の定位置だ――で広げた夜刊新聞から視線を離せずにいた。
注文したミッドナイト・ブレンドはすっかり冷めてしまっていた。

昨晩の事である。街では、降り積もった星の雨が一瞬で消え去ってしまうという奇妙な事件が起きていた。
普通ならば大騒ぎになっている所だろう。だが人々はそんな出来事さえすんなりと受け入れてしまう。
そう、この街にはあの大泥棒がいるのだから。
 
粋な泥棒

そんな呼び名が付けられたのは、もう随分と前の――そう、高台の貴族の邸宅に植えられた深紅の薔薇が盗まれた時だ。
毎日その薔薇の手入れをしていたのは邸宅に住む御令嬢であり、彼女がこの事実を知った時、悲しみに暮れるであろう事は誰しも容易に想像出来た。だが周囲の心配をよそに、庭園に立った彼女は驚くほど輝かしい笑みを浮かべていた。

『深紅の薔薇 確かに頂戴致しました』

――粋な泥棒は人の心さえ容易く盗んでしまう。
庭園は純白の薔薇で埋め尽くされていた。

それからというもの、街の何処かで事件が起こるその度に、粋な泥棒という人物に魅了される人々は増えていった。
だからこそ今回、星の雨を盗んだのは彼なのだと、記事になる前からそんな確信めいた期待が寄せられていた。
 


「珈琲、お注ぎしましょうか。」

頭上から声が落ちてくる。
いつの間にか隣に立っていたマスターが老紳士に問い掛けたが、彼の視線は新聞に向けられたままだ。不思議に思ったマスターも釣られて新聞へと目を向ける。
見出しにはこうあった。

『粋な泥棒 星の雨を盗む』

それは昨晩起きた事件の記事であり、何ら疑う事のないものだった。
視線を戻し、珈琲を注ぐためカップへと手を伸ばした時、誰に言うでもなく老紳士が徐に口を開いた。

「……違う、星の雨を盗んだのはこの私だ。」

とてもか細い声だったが、この静かな店内にはそれはそれはよく響いた。その場にいた客の冷たい視線は、例外なく老紳士に突き刺さった。
 
翌朝、既にこの話題は街中に広まっており――否定的な意味で――人々の嘲笑を買った老紳士は外へ出歩く事さえ困難になった。
粋な泥棒は最早この街を彩る役者の一員と化しており、人々は今回の件も常識的に考えて彼の起こした事件だと疑いもしなかった。
だからこそこの街に老紳士の話を聞き入れる者は誰もいなかった。記事を書いた新聞社さえ、粋な泥棒の正体を掴もうと走り回り老紳士と取り合うことさえしない。

結果的に老紳士が知る真実が嘘へ、人々が信じる嘘が真実へ変わろうとしていた。

そんな折、新聞社宛に一通の手紙が届く。

『明晩発刊の夜刊新聞 頂戴致します』

――粋な泥棒からである。
 


この日、老紳士は喫茶店の定位置で静かに珈琲を飲んでいた。
粋な泥棒が新聞社へ予告を出した事が公になり、人々の関心は一気にそちらへと移っていた。星の雨の一件以来心身共に疲弊しきっていたが、再びこうして珈琲を嗜む時間が出来たことに少なからずほっとしている。

先程マスターが、珈琲と一緒にどうぞ、と新聞を手渡してくれていた。――今夜は此所でゆっくり過ごすか――老紳士が新聞を手に取った瞬間、あの日と同じ様に視線を離す事が出来なくなってしまった。

『世紀の大誤報!
   ハッシュヴァルト氏の災難』

そこには、誰も信じなかったあの夜の真実が詳細に記されていた。
 
粋な泥棒が予告したのはこういう事だったのか。
老紳士は妙に納得していた。例え泥棒とて、やりもしない事件を記事にされたのなら気に障る。身の潔白を証明しようとするのは、誰であろうとも自然な流れだろう。
だからと言って、新聞の一面を盗むなんて荒業、普通は思い付きもしないのだが。

だが記事を読み進めるうち、老紳士の頭に少しずつ疑問符が浮かび上がってきた。まるで見たか聞いたかしている様に、この記事は詳しすぎるのだ。いや、聞いていなければ絶対にあの事まで書ける筈がない。知っているとすれば――。

老紳士がある人物を思い浮かべたと同時、その顔にぴたりと当て嵌まる声が耳に入ってきた。

「珈琲、お注ぎしましょうか。」
 
マスターは自ら尋ねたその返事を聞く事なく、淹れたての珈琲をカップへと注ぎ始めた。二人の間に珈琲の香りが立ち込める。

「真実や嘘を構成するのは決して大多数の意見や賛同等ではない……
信じているだけではその真相は知り得ませんから。」

老紳士の言いたい事など既に分かっているのだろう。マスターは事も無げに言う。
そして珈琲を注ぎ終えると、ごゆっくり、そう告げて直ぐにカウンターへと戻っていった。

――粋な泥棒、か。

老紳士に笑みが零れた。
人々が彼に魅了されるのはごく自然な事なのだと感心しながら、あの日とは違いまだ温かい珈琲を飲み始めた。





『世紀の大誤報!
   ハッシュヴァルト氏の災難


〇月×日発刊の夜刊新聞に掲載された星の雨盗難事件の新犯人は、この街の老紳士・ハッシュヴァルト氏であることが確認された。
今年度、星の雨の降星量は過去の記録的数値を更新しており、被害に遭う住民も少なくなく――

――であることから、星の雨盗難事件による今回の被害は皆無と思われる。

尚、事件の翌日はハッシュヴァルト氏の妻の命日であり、この大量の星の雨は弔いとして夫婦の思い出が残る湖畔に供えられた。


夫婦の深き愛に心打たれ、失礼かとは存じますがこの記事にて哀悼の意を表します。
          ――粋な泥棒』
 


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