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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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メドゥーサカット

15/04/27 コンテスト(テーマ):第五十五回 【 自由投稿スペース 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1293

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 ドアの外に、思いつめた顔つきの女が立っていた。
「なにか、ご用かしら」
「目土宇佐先生のお宅でございますか」
「そうですが」
「あのう、美術雑誌にのっていた、先生の彫刻のことで、ちょっと教えていただきたいことがありまして」
「いまじゃないと、だめなのかしら」
「どうしても今夜、お願いします」
「まあ、入って」
「作品は、どこにおいてあるのですか」
 その性急さに、さすがに宇佐はかちんときて、赤い眼鏡の奥から相手をにらみつけた。
「私はまだ、あなたの名前もしらないのよ」
「ごめんなさい。私、日本美芸に通う三ノ瀬由歌子といいます」
「学生さん」
「あ、弟子志願ではありません。あのう………、彫刻を、みせていただくわけにはまいりませんでしょうか」
「たくさんあるけど」
「『青年K』です」
「それをみたいわけは」
「そのKっていうの、私の彼です。彫刻の写真をみて、ぴんときました。なにからなにまで木戸和也そのままなんです。先生、彼をモデルにされたのですね。彼、一月前から、行方不明なんです。家族の方も、友人たちも、だれも消息をしらない。彼が、私に黙って姿を消すなんてこと、ありえない」
 相手の一途な訴えに、根負けした形で宇佐は、やむをえず彼女を通路の奥の制作室につれていった。
 そこには何体もの、等身大の石像が並べられている。三ノ瀬由歌子は、その中の石像の一つに、吸い寄せられるようにちかづいていった。
「和也」
「作品にふれないでちょうだい」
「これ、まちがいなく和也です。顔はいうまでもなく、この肩幅、胸の厚み、わきから足にかける線も、彼そのものです」
「よくみなさい。それは石よ。石に彫った像よ」
「彼がどこにいるか、教えてください」
「もう帰ってちょうだい。あなたは、非常識よ。迷惑だわ」
「きょうのところは帰ります。でもまた、必ずやってきます。彼の行方がわかるまで、なんどでも」
「迷惑よ」
 もういちど、宇佐はくりかえした。

 迷惑な女は帰っていった。
 宇佐は、強い酒をあおった。
「なにもしらないくせに」
 怨みにも似た調子で、彼女は吐き捨てた。
 たしかに、あの『青年K』のモデルは、いや、石像のもとは、木戸和也その人にほかならない。
こんな男を好きになるとは、あの子も物好きね……
一月ほどまえ、宇佐がバーでグラスを傾けていたときに、彼のほうから声をかけてきた。
「ここ、いいですか」
「どうぞ」
 カウンターにならぶ形で、彼は腰をおろした。
「個性的な眼鏡ですね」
「これがないと、いけないの」
 真っ赤で、おまけにゴーグルのように目のふちを覆っているので、季節外れの花粉症予防眼鏡と思われがちだった。
「魅力的ですよ」
 宇佐は男をみた。自分でもいっぱし、女あつかいには手練れといった自惚れが、その態度からありありとうかがえた。
「アーティストですか?」
「彫刻をやっています」
「へえ。ぜひいちど、作品をみせてもらいたいな」
「これから、くる」
「いいのですか」
「かまわないわ」
 二人はバーを出ると、宇佐の運転する車で、郊外にある彼女の家に向った。
「あなたは、不思議な魅力の持主ですね」
 助手席から和也が、笑みまじりにいった。
「不思議って?」
「何百年も生きているようであり、生まれたばかりのようであり………あなたのような女性ははじめてだ」
「おほめの言葉とうけとめていいのかしら」
「芸術家という種族とは、これまで縁がなかったからな………」
「この世界には、変り者が多いからね」
 家の前に停車したときには、さきほど降った雨で路面がぬれていた。
「目土―――え、あの目土さんですか」
 玄関灯の明かりに照らし出された木彫りの表札をみた彼が一瞬、おどろきの顔をあげた。
 新進気鋭の彫刻家目土宇佐の名は、何度もマスコミにもとりあげられている。
「そんな先生としりあいになれて、光栄です」
「入ってちょうだい」
 一人住まいだということは、すでに告げていた。彼女はそして、彼の境遇も車内で確認ずみだった。独身で、外資系の会社に勤め、都内のマンションに住んで、家族とも遠くはなれて暮らしているらしい。
 家に入ると、彼を彫刻のある部屋に案内した。
 LEDの照明の下、石に刻みこまれた十体あまりの像たちが、おのおのの姿勢でたちはだかる様子を、和也はひとわたりながめた。
「存在感というのかな、なんだかこわいな」
 宇佐は、棚からとったウィスキーを、ふたつのグラスについだ。
 和也がその酒をのみほすのをまって、宇佐は二杯目をついでやった。
「私がなにを思っているか、わかるかしら」
 と、さらに彼がグラスを重ねるのをまって、頃合いとばかり宇佐はきりだした。
 黙って笑う彼に、彼女はたたみかける。
「あなたのその着ているものの下が、どんなふうになっているかを、考えているの」
「なんなら、おみせしましょうか」
「まって。そこの台のうえに座って、私によくみせてちょうだい」
 これが芸術家というものなのだろう。そんな目で彼は相手をみつめながら、ためらいもなく背広をぬぎはじめた。
 あらわになった上半身は、それぞれの部位がもりあがっている。おそらくジムにでもかよって、筋トレをつづけているのにちがいなかった。彼が、宇佐のまえで着ているものをぬぎたがった理由のひとつが、ここにあった。体を鍛えているものは、少なからず露出壁があるものだ。
「下も脱ぎなさい」
 その宇佐の命令口調に、一瞬むっとなった和也だったが、しかしすぐにあっさり、バンドをはずしにかかった。
 彼女は、和也が台に座るのを、黙ってみていた。
「すこし、ポーズをとってみて」
 彼は笑いながら、足をくんだり、膝に肘をついたりした。
「それじゃ、『考える人』じゃないの」
「注文が多いな」
「あ、そこでストップ」
 宇佐は、なにやら決心したように彼とむかいあうと、家に入ってからもとることのなかった、眼鏡のフレームに指をかけて、それをはずした。
 瞬時に、木戸和也は石に変った。
 宇佐はすぐに眼鏡をかけなおすと、なにごともなかったかのように、彼がぬぎすてた衣服を集めはじめた。
 ここにおかれてある石像のすべてが、いま彼にたいしてやったのとおなじ方法で、生身の人間を石にかえたものだった。
 メドゥーサの目ににらまれたものは、どんなものでも石に変えられてしまう。宇佐にもそんな先祖の血が流れていた。まさに呪われた血だった。ギリシャ神話の時代なら、それもあるいは神秘にみちた怪物の所業として人々を畏怖させたかもしれない。しかしこの現代に、目にうつる人間をことごとく石に変えていたおりには、そのうちまわりは化野の念仏寺さながら、石の像ばかりになってしまう。この社会に生きている宇佐にとって、いたずらに人々を石に変えることは、なにもプラスにならなかった。
 そんな宇佐が、考えた末に思いついたのが、いまの彫刻家という職業だった。リアリティーにとんだ石像。人間をそのまま石に変えるのだから、それもあたりまえといえばあたりまえだが、事情のわからない連中は、それに対して芸術的価値というありがたいレッテルを貼り付けてくれた。
石像が少なくない金にかわることをしった宇佐は、それからも人間を石に変えることを続けた。彼女が夜な夜な、バーでグラスを傾けながら、だれか男がちかづいてくるのをまつのも、その理由からだった。
 この赤いガラスの眼鏡こそ、メドゥーサ一族の本領ともいえる人間を石に変える目力を、完全カットすることができた。この色の発見により、それまで闇の世界で生きていたメドゥーサを、明るい陽射しの下につれだす結果になった。
 自分がメドゥーサの血を引き継いでこの世に生まれてきた宿命を、いまさら怨んだところではじまらなかった。生まれたからには、この呪われた力をいかにこの社会に適応できるかにすべてを賭けた結果が、彫刻家目土宇佐の誕生だった。
 酔いのまわってきた宇佐は、とろんとした目で石像をながめた。
 これが生身の男なら、どんなにいいだろう………。ふとそんな本音が彼女の口からもれた。
 過去に愛した男がいないでもない。体をゆるした相手も、いくらかいる。
 けれども、それらの連中はみな、石と化した。
 ブレーカーをおとした真っ暗闇の室内で、激しく愛しあった男。燃え尽き、疲れ果てて、陶酔の眠りにおちこんだ彼女のそばで、男はタバコをくわえてライターをつけた。
 石になど、変えたくなかったにもかかわらず、はからずして石となってしまった男たちを忍ぶ時ほど、辛いことはなかった。
 人並みな恋をしてみたい………。
 宇佐の心の奥底にはつねに、そのかなえられない願望が強く息づいていた。

 由歌子は週に一度、さる画家のアトリエで、画家に師事する生徒たちを前に、モデルをつとめていた。画家にその容姿を買われてモデル台に上るようになった。逆の立場でこれまでモデルを描いてきた彼女にとって、画学生の前で裸体をさらすことには最初から抵抗はなかった。
 土曜の午後にモデルの仕事があると、帰りは親しいものと近所のカフェで時間をつぶすのを彼女は楽しみにしていた。
 その日由歌子は、南郷聡をカフェに誘った。彼は、画家の親戚筋にあたり、デザイン会社を経営する三十後半の男性で、気さくな性格はいっしょにいても肩がこらなくて、彼女は好んでよく彼とお茶やときには酒をのみにいったりした。
 南郷には、自分には和也という恋人がいることを話していた。男女の関係にならずに信じあえる異性の存在を、いまほど由歌子はありがたく思ったことはなかった。
 カフェの、明るい窓際のテーブルに向いあうと由歌子は、前置きもなくきりだした。
「私のお願いを聞いてもらえないかしら」
「ああ、いいよ。なんでも話してくれ」
 予期していたとおりの返事をきいた彼女は、さっそく、木戸和也に関する一連のできごとを彼に喋った。一月まえ、忽然と和也が自分の前から姿を消したこと。二週間後に、美術雑誌にのっていた彫刻家目土宇佐の最新作が、あきらかに和也をモデルにしたものであることに確信をもち、目土宇佐のところに直談判にでかけ、すげなくおいかえされた顛末を、語ってきかせた。
「ギリシャ神話に、その目でみつめるとどんな人間でも石に変えることのできるメドゥーサという怪物がいるでしょう。和也ももしかしたら、その怪物ににらまれた一人じゃないかしら」
「目土宇佐の彫刻は、ぼくもみたことがある。たしかに、生々しいまでのリアリティーがみてとれる。なるほど、石にかえられた人間か………それがいちばん、彼女の作品をいいあてているかもしれないな」
「それでお願いというのは―――南郷さんに、目土宇佐とあってもらえないかと思いまして」
「あったとたん、石にかえられてしまったら、ちょっとまずいな」
すると由歌子は、バッグから眼鏡ケースのようなものをとりだした。ケースをあけると、あらわれたのはサングラスだった。
「へえ、赤いサングラスか」
「これ、目土宇佐がかけていたのと同じ色のサングラスなんです。UVカットが紫外線を遮断するなら、この赤はきっと、目土宇佐の目力をカットするはずですわ。確証はありませんけど」
「ぼくにそれをかけさせて、証明しろと?」
「いやなら、いいんですけど………」
「いや、かけるよ。かけて、目土宇佐の前に、たってみるよ」
「もし石に変えられたら、私………」
 南郷は胸をそらせて笑い出した。会社の部下から、また知人たちのあいだで、南郷笑いといわれている豪快このうえない彼の笑いだった。
「石になってしまったらもう、恨みつらみはいえないから、心配いらないさ」
 彼は、由歌子の依頼をひきうけることにした。みられただけで石にかえられるという話を、真に受けたわけではない。モデル台にたつ彼女をみなれている彼にとって、この何日かの由歌子が、ひじょうにおちこんでいることに気づいていた。彼女のほうからうちあけるようなことがなかったら、南郷は自分から聞いてやるつもりでいた。由歌子の話が根も葉もない作り話だったとしても、彼女がおちこんでいる苦悩は本物に思えた。
「さっそくあした、彫刻家の先生にあってみるよ」

 そして南郷聡はきょう、自分で運転する車で彼女の家に向った。午後の二時すぎのことだった。
「あら………」
 玄関にたった男が、自分とおなじ色のサングラスをかけているのを宇佐はみた。
 知り合いの画家の紹介で、南郷というデザイン会社の経営者がオブジェをみたいといってきた。
 この男が三ノ瀬由歌子の差し金できたことぐらい、宇佐にわからないはずはなかった。同じ色の眼鏡をかけてきたのが動かぬ証拠だ。
 さりげなく宇佐は、眼鏡をはずした。
「ふーむ、なかなか」
 いいながら、彼もまた眼鏡をはずしかけるのを、あわてて彼女は、
「あ、それをとっちゃだめ。かけていて―――」
 南郷は眼鏡から指をはなした。
「お美しい先生のお顔を、眼鏡なしに拝見したいと思ったもので………」
「お口の上手な社長さんだこと」
 宇佐もまた眼鏡をかけなおすと、彼を、石像のある部屋へ案内した。
 廊下を歩く彼女の、後ろ姿をながめながら南郷は、ゆっくりとあとにしたがった。
「どうぞ、ごらんになって」
 石像が置かれている部屋のドアをあけると宇佐は、彼を室内にみちびいた。
 南郷は、オブジェをみわたすと、デザイン関係者らしい感想をもらした。
「3Dコピーなんか足元にもおよばないな。石でありながら、人間の皮膚の質感が感じられる」
 あるいは由歌子もこれをみて、行方不明の恋人を、生き生きとした石像のうえに重ね合わせた結果、彼が石になったという妄想にとらわれたのではないだろうか。
「ちょっと、手をみせてもらえないですか」
 宇佐は、いわれたとおり両手をさしだした。
 南郷はその手をつかむと、手のひらや甲をとみこうみした。
「いや、どうも」
 彼がはなそうとするのを、なぜか宇佐は、ぎゃくに握り返してきた。
 宇佐は、なにも語ることなく、ただ彼の手を握っていた。それはまるで、恋人の手のぬくもりをひとりじめしている女のようだった。
 南郷はこのとき、手のをとおして宇佐の、はかりしれないほど深い孤独が伝わってくるのを意識した。彼はしかし、宇佐の手の、彫刻家にあるまじきすべすべした手に、疑惑を抱くことも忘れなかった。
「これらの石像は、すべて先生が彫られたのですか」
「そうよ」
「助手とかは」
「いないわ、どうして」
「それにしては、手がきれいすぎる」
「鑿をふるって彫ることだけが、彫刻ではないわ」
「ほかにどんな方法が………」
「しりたいの」
「ぜひとも」
 「それはあとにして、しばらくこのままでいていいかしら」
南郷にしても、次第にこみあげてくるものに圧倒され、いまにも彼女の手を強くひきつけ、力いっぱい抱きしめたてやりたい衝動にかられた。あきらかに、彼女もそれを、待っている。だが、同時にそれを恐れていることも、彼にはわかっていた。
 ふいに、宇佐の目が、ガラスの色よりまださらに赤く、異様なまでに輝きだした。
「おっ」
 その突然のできごとに、おもわず南郷は彼女の手を離した。
「すくにここから、帰ってちょうだい」
 これまでとガラリとかわった、はげしい口調で宇佐はいった。
「いきなり、どうしたのです」
「いいから、帰って」
 宇佐は彼を玄関先まで追いやっていくと、ぴしゃりとドアを閉め切った。

 目土宇佐から南郷の携帯に電話があったのは、それから三日後のことだった。
「先日は、ごめんなさい」
「なんとも思っていませんから。なにかこちらに失礼なことがあったのではと、ずっと気になっていました」
「あなたにはなんの問題もないのよ。すばらしい夜だったわ。本当はずっとあのまま、いっしょにいたかった。………だけど、私の中に、魔がうごめいたので、やむをえずあんな態度にでてしまって―――」
「魔とは」
「あなただけは、石に変えたくなかった―――これまで、愛したとおもった男たちは、すべて石に変ってしまいました。こんどばかりは同じ轍はふむまいと決心しました。あなたには、すべてをうちあけます。三ノ瀬さんから、わたしの秘密をお聞きになったのではないですか。そしてあなたが当然ながら半信半疑でおられることも、十分承知しております。それはすべて真実です。私のこの目でみられた人間は、例外なく石に変るのです。あなたがわたしの家でごらんになった石像はみな、その結果です―――私のこの話を、どう思いますか。戯言だとおもっていますか」
「いゃ、思いません、あなたが私に戯言をいう理由がありません。いまお話しされたことは、すべて真実なんでしょう」
「信じてくださるのね」
「はい」
「うれしいわ。私の家で、あなたは手を握りしめてくれた。あのときに私、あなたこそながい間まちわびていた人だと確信したの」
「しかし私には、なにもすることはできませんよ」
「なにもしなくていいの。ただ、あのときのように、黙って手を握りしめてくれるだけでいい」
 それだけで、すむのだろうか。南郷が恐れるのは、宇佐のことではない。自分がいつまでも、彼女の手だけで満足できるかという不安だった。しかしもう、あともどりはできなかった。
「もういちど、あってくれますか」
 いったのは、彼のほうだった。
 一週間後の日曜に、宇佐との再会を約束した南郷は、それまではできるだけ宇佐のことは考えまいとした。彼女にあいたい気持ちはゆるぎなかったが、その反面、なにかしら胸に、そら怖ろしい予感のようなものが押し寄せるのを、どうすることもできなかった。
 裸婦デッサンにも、もちろん出た。その終了時に、由歌子が声をかけてきた。
「南郷さん、あの件、どうなったの」
 彼は、宇佐とのことを、なにも彼女に伝えていなかった。
「わるい、わるい」
 彼は彼女を、いつものカフェに誘った。
 由歌子は、連絡の遅延をなじったりするほど聞き分けのない女性ではなかった。カフェに入ると、テーブルに向いあった彼に、むりなお願いをしてごめんなさいと、素直にあやまってから、彼の言葉をまった。
「あうにはあったけど、なんともいえない。人を石に変えるといっても、その変ったところをこの目でみたわけじゃないので、きみの彼氏のことも、本当のところはわからない」
 彼にしてはめずらしく、奥歯にものがはさまったようないいかただった。
「サングラスは、役にたったのでしょうか」
「ああ、あれ、ずっとかけてたけどね」
 由歌子は、それだけ確かめると、あとはもう、とやかく聞こうとはしなかった。

 宇佐の家のガレージに、南郷の車が停車したのは、日曜の午後のことだった。
 家の中で二人は顔をあわせるなり、どちらからともなく抱きあった。離れていたあいだ、どちらもがこの瞬間を、強く思い描いていたのはまちがいなかった。
「お願いよ、ぜったいに眼鏡はとらないで」
 宇佐はなんども懇願した。
 この日のために、宇佐はワインと料理を用意した。
「私の手づくり」
「料理も作るんだ」
 宇佐は、南郷が料理に口をつけるのを、一心にみまもっていた。
 そして彼の「うまい」の一言に、まるで若い娘のように小躍りせんばかりに喜んだ。 
南郷は彼女のそんなふるまいをみるにつけ、彼女が真に求めているものが、なんなのかを理解したような気がした。
 それは、ごくふつうの、生き方だった。料理に舌鼓をうち、ワインに酔いしれ、窓からのぞく景色に視線をなげかけ、そして彼とのなにげないやりとり………。いま、南郷の目の前で、料理のできを気にかけている彼女は、そこいらにいる女性以外のなにものでもなかった。
 なんとかして、彼女から脅威をとりのぞいてやることはできないものか………。
 ワイングラスを何杯も空けるころには、気持ちの上でもおたがい、すっかりうちとけあっていた。
 玄関で、チャイムが鳴った。
「だれかしら」
 まだ鳴りつづけるチャイムの音に閉口しながら宇佐は、玄関につづく廊下にむかった。
 その廊下から、宇佐とともに姿をみせたのは、三ノ瀬由歌子だった。もう一人、南郷のみしらぬ男性が彼女のそばについていた。二人とも、赤のサングラスをかけている。
「きみか」
 南郷のよびかけに、由歌子はおどろいた顔をみせた。
「きていらしたの」
 酒と料理を前にしている南郷を、訝しげにながめた由歌子は、しかしすぐに男性を彼に紹介した。
「ともだちの近藤くんです」
 近藤とよばれた青年は、気さくな表情で一礼した。
「目土先生の作品をみたくてきました」
「彼も、彫刻やっているのです」
「きみたちのそのサングラス―――」
 と南郷がいいかけるのを、由歌子は手のひらで制した。
「近藤くんには、なにもいってないのです」
「あなたたちも、飲む」
「あ、いえ、私たちは―――」
 手をふって断る由歌子のよこで、近藤が舌舐めずりをするのがみえた。
 あらたに宇佐が用意したグラスについだワインを近藤は、ごくごくとのみほした。
 その二人の様子を、南郷はさっきから、じっと観察していた。由歌子がつねに、油断のない目つきをしているのが気になった。
 宇佐は気前よく、二本目のワインボトルを開けた。料理も作れ、人々ともつきあえるのだということを、けなげにも宇佐は南郷にみせたかったのかもしれない。そしてそれは、成功するかにみえた。
 突然、由歌子が行動に出た。いきなり、となりの近藤の目からサングラスをはがしとったと思うと、つぎには宇佐のそれに手をのばした。
「なにをする」
 南郷が声をあげてとめようとした。宇佐もまた、あわててサングラスを手でおさえた。
 が、それよりも強く、由歌子の指は彼女から、力まかせにサングラスをはがしとってい
た。あまりにも一瞬のできごとすぎて、だれもこの突発事項に対処できなかった。
 ビシビシという、ききなれない音があたりに響いた。南郷の鼻に、なにやらきなくさい匂いがおしよせた。
 と眼前に、いまのいままで生きていた近藤が、灰色をおびた石に様変わりしていた。
「やっぱり、あなたのしわざだったのね」
 語気鋭く、由歌子はいった。
 宇佐は、由歌子がまだ手にしている自分のサングラスを、奪い返すことも忘れた様子でたちつくていた。
「三ノ瀬くん、おちつくんだ」
 きびしい口調で南郷はいった。
「南郷さん、こいつは怪物よ。いま近藤くんを石に変えたように、私の和也も、この呪われた目で、石にしてしまったんだわ」
 興奮に声をふるわし、目に涙をうかべる彼女をみては、南郷もそれ以上なにもいえなくなった。たったいま、まざまざと近藤の変化をみたことにより、いっときは人間味をおびたかにみえた宇佐が彼の中で、恐怖の怪物にたちまち逆戻りしてしまった。彼女と自分は、決して交わりあうことの不可能な間柄なのだという認識がいま、彼の心に深くくいこんだ。
「和也を、かえして」
 由歌子が怒りの形相で、宇佐につめよった。いつのまに用意したのかその手には、登山ナイフが握られていた。
「なにをするつもりだ」
 南郷がとめるまもなく由歌子は、宇佐にむかって詰め寄った。
とっさに宇佐は由歌子の手首をつかみ、その手からナイフをもぎとった。
「やめたまえ」
 宇佐がそのナイフで由歌子に襲いかかるものとばかり思って、南郷が叫んだ。
 宇佐はしかし、刃先をじぶんに向けてもちなおすと、ためらいもなく目を片方ずつえぐった。
 これには南郷も由歌子も、慄然となった。
 宇佐は身をよじらせながらたちあがった。眼窩からとめどもなく噴き出す血で胸のあたりが、みるみる真っ赤に染まりだした。
「これでもう、だれにも私の呪いがかかることはない」
 その言葉のとおり、あちらの部屋の石像たちが、呪いがとけて石から人間にもどったことを、あとで南郷と由歌子はしることになる。
「そして呪いは最後に、自分に向けられる」
「どういうことです」
 南郷がといかけたときには、目土宇佐の姿は、すでに石に変わっていた。
 『盲目のメドゥーサ』
 最高傑作の呼び声の高い、目土宇佐最期の作品の、それが題名だった。

                                   了























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このストーリーに関するコメント

15/04/28 瑠真

ハッピーエンドが、世の中ナニかと蔓延りがちですが・・・・

物語には、「毒」も、必要だって思うのです。

僕はこういうの、好きです✋

15/04/28 W・アーム・スープレックス

瑠真さん、はじめまして。コメントありがとうございました。

「毒」のある物語って、たしかに魅力がありますよね。私も物語に毒は大いに必要と思っている人間です。案外ハッピー風の作品にも、こっそり毒が含まれているのもあります。そういう作品にめぐりあうことほど、ハッピーなことはありません。

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