1. トップページ
  2. 静かの海

山田猫介さん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

2

静かの海

15/04/20 コンテスト(テーマ):第八十二回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:4件 山田猫介 閲覧数:847

この作品を評価する

『風船爆弾』というとファンタジーっぽく響くが、第二次大戦で使われた本物の兵器なのだ。日本軍が作り、太平洋を越えてアメリカ本土に落下することを期待して、大量に打ち上げた。
 風に乗って飛ぶ爆弾だが、太平洋の高空は西から東へ常に強風が吹き、あながち意味のない作戦ではなかった。娘時代、早苗はこの爆弾の製造に参加していた。同僚は同年代の女子工員たちで、決して楽な仕事ではないが、みな若く、班長が見張るのでペチャクチャ雑談などできないが、それなりに日々をすごした。
 班長の名は吉田といい、中年の感じの悪い男だった。背は低いが、なぜか首だけはひょろりと長く、目玉が大きいこともあり、何に似ているかと言えば、「踏み潰されて断末魔の声を上げるウナギである」というのが、女子工員たちの一致した意見だった。
 この班長が作業中ずっと目を光らせるから、早苗たちは気を抜くことができなかった。まず和紙を所定の形に切り抜く。一辺の長さが15メートルある大きなものだ。表面には化学処理がされ、中身のガスは漏れない。この紙を何枚も張り合わせ、球形の風船がやっと一つ出来上がる。早苗たちの仕事はここまでで、次に風船は別の場所へ運ばれ、点火装置を取り付け、ガスが詰められて、空へ放されるわけだ。
 戦争中とはいえ、若い娘たちだ。毎日毎日同じ仕事で、退屈しきっている。そのうち誰かが悪戯を思いつくのは、火を見るよりも明らかだ。作業に用いる黒いペンが作業机の上にあった。器用ですばしっこいお調子者なら、それを手に取り、班長の目を盗んで和紙の裏にちょいちょいと落書きをするなど、造作もない。悪戯心と絵画表現の本能のおもむくまま、彼女はそうした。このお調子者が、早苗その人であった。
 その和紙も他の和紙と同じく正常に張り合わされ、落書きは風船の内側に隠され、見えなくなった。ガスを詰められ、その風船も空に放された。何ヶ月か後には戦争も終わり、そんな悪戯のことなど早苗もすっかり忘れた。
 そう、あれが早苗たちの作った風船爆弾だったことは間違いない。その身の上に、おそらく次のような出来事が起こったのだ。空を飛ぶうちに、重い発火装置を吊り下げたロープが何かの原因で切れた。すると風船は極度に軽くなる。まるで水面へと浮かび上がる空気の泡のように、風船は大気中を急上昇していった。
 その後風船は、はるか高空を流れるジェット気流につかまった。風船は極低温、強い紫外線や宇宙線にも耐え抜いた。ジェット気流に乗って、風船が地球を何周したのかは見当もつかない。そして運命の日を迎えたのだ。紙製の物体だから電波を反射することはなく、レーダーでも発見できなかった。だから管制官は、ロケットの発射に許可を出したのだ。
 ご存知の通り、あのロケットには人類初の月着陸を目指す宇宙飛行士が乗り込んでいた。そういう歴史的な旅立ちで、ロケットは鉛筆のように尖り、でこぼこのないスムーズな形をしている。あのどこに風船が引っかかったのかとても不思議だが、事実を否定しても仕方がない。ロケットの表面に引っかかり、もろい紙の風船が、地球から月への長旅に耐え抜いたのだ。実に驚くべきことだ。
 宇宙飛行士もさぞかし肝をつぶしたであろう。何十万キロの旅を終えてやっと月面のある地点、その名も『静かの海』に降り立つと、わけのわからない物体が出迎えてくれたのだから。地面に横たわり、その表面には何やら絵と文字が書かれている。これこそ宇宙人からのメッセージに違いない。
 物体は慎重に回収され、地球へ持ち帰られた。絵と文字の解読には世界を代表する頭脳が動員され、いかに多くの努力が注がれたことか。だがそれも、ある日系人科学者が一目、その物体を見るまでのことだった。信じられないという表情で目をむき、突然彼は腹を抱えてケラケラと笑ったのだ。どうしたのだろうと同僚たちがいぶかしんだほどだ。
 気が済むまで笑い、まだ目に涙を浮かべながら、日系人科学者は説明したのだ。最初は信じられない顔をしたが、事情がのみ込めるにつれ他の科学者たちも笑いに加わり、だが最後には、みな深刻そうにうつむいた。この月旅行計画のために莫大な税金を払い、『人類史上初、地球外生命体の証拠を発見!』という大ニュースの続報をかたずをのんで待つ納税者たちのことが頭に浮かんだのだ。
 だが真相を隠しても仕方がない。翌日、すべての真相が全世界へむけて公表されたのだ。この不思議な物体が、なぜか日本製の和紙によく似た成分を持つことは、化学分析の結果すでに判明していた。その表面には黒インクでもって、「班長のバカ」という子供っぽい文字とともに、ウナギそっくりの丸い目玉をひんむいた男の似顔絵が描かれていたのだ。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

15/04/29 汐月夜空

山田様、拝読いたしました。
実際にあったかのような語り口が良かったです。
……まさかとは思いますが、現実にはなかったんですよね?
紙が月面までもつとは思えませんし。でも、否定しきれないところが面白い話ですね。
『海』というテーマでこの話を考えられたのが凄いです。
誤報と真相、そしてその原因、非常に話の流れが綺麗でした。

15/04/29 山田猫介


汐月夜空様、
ありがとうございます。
風船爆弾は実在しましたが、
月面の事件は、
現実に起こったことではない・・・はずです。たぶん。

15/05/19 光石七

拝読しました。
『風船爆弾』という言葉から始まったので「悲しいお話なのかな?」と思っていましたが、読後は笑顔になりました。
発想がユニークですね。
面白かったです。

15/05/20 山田猫介

光石七様
ありがとうございます。
戦争は様々なものを生み、
風船爆弾もその一つですね。

ログイン
アドセンス