1. トップページ
  2. 雨あがりの彼女

春沢 紡生さん

妄想族の春沢です。 変なヤツですが仲良くしてください。

性別 女性
将来の夢 100回仕事を変える、常に新人の会社員。
座右の銘

投稿済みの作品

0

雨あがりの彼女

15/04/19 コンテスト(テーマ):第八十回 時空モノガタリ文学賞 【 テーブルの上 】 コメント:0件 春沢 紡生 閲覧数:781

この作品を評価する

 出逢いは、突然にやってきた。
ある日曜日の昼下がり、雨あがりの公園のベンチで、私は「彼女」に出逢った――。

 噴水のある公園を歩いていた。
予備校で模試の結果を見た。第一志望校の東都医大、判定はE。
もうあきらめたらどうだ。担任に言われた。医者じゃなくてもよかった。給料さえ安定していたら、なんでも。ただ医者になって帰ってくると言って田舎を出た手前、医学部を卒業せずに帰るわけにもいかなかった。
 貧しい家だった。8歳の時、父親と母が離婚してそれからはずっと母と2人暮しだった。高校受験の時も、塾に行かせてもらえなかったから、独学で勉強して県で一番の高校に特待生として入った。新聞配達のバイトをしながら勉強も頑張った。母に少しでも楽をさせたい、その思いだけがあった。でも17の冬、母は再婚した。私たちを切って捨てた男と。家になんて、もう居たくなかった。
 雨がひどい。運悪く、傘はない。田舎者は帰れ、そう言われている気がしていた。
「傘、持ってこなかったの?」
声がした。後ろのベンチの方からだ。
「今日、朝の天気予報で言ったんだけどなぁ……雨だって。」
「え?」
「うちの放送局だけ、ね。他は言ってなかったみたいだけど。……あれっ?」
突然、素っ頓狂な声が上がった。
「雨、あがっ、た?」
彼女は濡れたベンチから立ち上がって、空を見上げた。
「まぁ、いっか。……実は今日、仕事、クビになって。」
「……はい?」
「だからしばらく泊めてくれない?」
私はしばらく首をひねって、もう一度彼女に尋ねた。
「今、なんて?」
 こうして私と24歳年の離れた彼女、ちとせさんとの同居が始まった。
「言っておくけど、千歳って書くけど、まだたったの43だから。」
胸を張って、まるで自慢でもするかのように彼女は言った。
 頼んでもいないのに、彼女は私の作ったご飯を食べながら、気象学の講義を始めた。
竜巻はなぜ起こるか。フェーン現象とは何か。ハリケーンとモンスーンは何が違うか。
そのうち、1DKの部屋にそれしかないような食卓には、彼女の書いた解説メモが所狭しと貼られていった。食べながら話すものだから、よくいろんなものをこぼしていた。メモには、色とりどりのまだら模様ができた。
 「私、気象予報士になります。」
同居を始めて一か月くらい経った頃、私は「宣言」した。彼女は、手に持っていたオムレツの皿を盛大にひっくり返した。試験まであと半年。小さな部屋で2人、頭を突き合わせて参考書とにらめっこをした。 グラタン、オムライス、ちゃんこ鍋、ホイコーロー。それから、真っ黒焦げになったフライドポテト。消しカスや気象の知識の上にはいつも一緒に作った料理が並んで、毎日ちょっとずつ模様を変えていった。私たちの幸福はいつも、この食卓と共にあった。
 気象予報士試験の朝、彼女は30%の笑顔で言った。
「行ってらっしゃい。」
「……行ってきます。」
 胸の奥で、小さな予感がさざ波をたてた。
小雨の降る坂道を走って帰ってきて、扉を開けた。千歳さんは、いなくなっていた。
「ありがとう」
最後のメモに、たった5文字の別れの言葉を残して。
幸福な思い出を、食卓がただ1つあるだけの小さな部屋に残して。

 「家」に帰って、わたしは引き出しから薄桃色の封筒を取り出した。
差出人は頼田葉月。まだ9歳の女の子だった。
あれから10年――。33という異例の遅さでこの業界に入ってから、10年。
お天気キャスターとしては寿命だった。クビになるのは、1か月前から決まっていた。
 退職したちょうどその日。運命はやってきた。「頼田葉月」バッグについた従業員証。最初で最後のファンレターをくれた少女がいま、目の前に。言葉は自然と出てきた。
 いつかこの生活も終わらせなければならないとわかっていた。彼女が家庭を持つ日が来たら……わたしは、ただの邪魔者だ。いい、チャンスだった。
「行ってらっしゃい。」
忘れてほしい。でも覚えていてほしい。この思いに相応しい言葉はなかった。

 テーブルを指でなぞった。
7か月。確かに彼女がここにいた証。子供時代、テレビが唯一つけられた時間。朝の天気予報のお姉さん、時下千歳さんは笑って言った。「それでは今日も一日元気に、行ってらっしゃい!」
「……行ってきます。」
そう返すのはいつもテレビの中の彼女だった。10年の時を経て、忘れかけていた夢が花を咲かせた。
「行ってきます。」

 テレビの画面がパッと噴水のある公園に切り替わった。
「おはようございます。……今はあいにくの雨ですが、もうすぐ雲が切れだして今日は一日暖かくなりそうです。……それでは今日も一日元気に、行ってらっしゃい!」

 それは、ある日曜日の昼下がり。
雨が上がり、すっかり晴れあがった公園のベンチで、わたしは「彼女」を見つけた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン