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たまさん

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あしたのりんご

15/04/19 コンテスト(テーマ):第八十回 時空モノガタリ文学賞 【 テーブルの上 】 コメント:15件 たま 閲覧数:2092

時空モノガタリからの選評

「あした」と「きのう」が入れ替わっただけで、世界がぐっと広がっていますね。「きのうのことなんかわかんないわよ。あした食べたものなら覚えてるけどさ」という台詞がとてもいいですね。「きのう」のことを考えてばかりいるより「あした」を見つめるほうが人間にとって幸せなのかもしれません。痴呆というだけでなく普通の人間にとっても考えさせられる内容でした。

時空モノガタリK

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テーブルの上に、あした買ってきたりんごを置いてあると言う。
もちろん、そんなもの私には見えない。母だけが見ることのできるりんごだった。

今朝も雨が降っていた。桜の季節はいつも雨に邪魔される。と言っても、花見は好きじゃなかった。久しぶりの休日だし、すべては雨のせいにして春眠を味わう。たまには御褒美がほしい発育不良の大人だったから。
九時すぎに目覚めた。
「かあさん、おはよう」
薄暗いリビングの灯りも点けないで、母は窓辺のテーブルに腰かけていた。
「……圭子、まだいたの?」
「今日は休みなの。ね、ゆうべ言わなかった?」
「ううん、聴かなかったわよ」
頑固なひとは痴呆になりやすいってほんとうだろうか。灯りを点けて母の顔を覗くと、うれしそうに目を細めて言った。
「ねぇ、圭子、今日はいい香りがするでしょう?」
「え、なんの香り?」
「あした買ってきたりんご。甘いわよ、きっと」
「かあさん……そんなのどこで買ってきたの?」
「ほら、あそこ。林果物店……」
「……」
林果物店は私が幼いころにすごした街にあって、果物の好きだった父のために母が通ったお店だった。いまはもうその街を訪ねても林果物店は見つからない。

久しぶりに母と食べるお昼ごはんは、私の遅い朝食になった。雨はもう止んでいる。午後は晴れそうだった。
「ね、かあさん、お買い物に行かない? なにかほしいものあるでしょう」
「んー、そうねぇ」
母はテーブルの上をじっと見つめてしばらく思案していた。
「りんごはもう買ったしねぇ……」
「果物じゃなくて、ほかにあるでしょう? 今夜のおかずとか」
食料はすべて私が用意したけれど、調理は安心して任すことができた。
「さ、行くわよ」
毎日の通勤には欠かせない黄色いラパンの助手席に母を乗せて街中をドライブする。
「ねぇ、かあさん、きのうはなに食べたか覚えてる?」
「ばかだね、おまえ。きのうのことなんかわかんないわよ。あした食べたものなら覚えてるけどさ」
五年前に父を亡くして、母の痴呆はそのころから始まったらしい。と言っても、母の痴呆はあしたと、きのうが、入れ変わっただけ。
ひとはいつもあしたを夢見て生きている。そのあしたの夢が叶って、きのうになるとき、ひとはこの世でいちばん幸せなひとときに巡り会うはず。母はもう一度、父に出会いたいのだ。父と生きたきのうが一巡りして、あしたになると信じているのだろうか。娘の夢見るあしたさえ、まだ来ないというのに。

「ねぇ、圭子。あしたは誰かと会ったのかい?」
信号待ちの交差点で母は唐突に言った。
「え……かあさん、知ってたの?」
七十をすぎた母とふたり暮らしだから、娘の歳は言わなくてもわかるはず。そんな私にようやく彼氏と呼べる男ができて、いつか母に打ち明けようと思っていた。
「ね、かあさん、会ってみる?」 
「だれに?」
「私の彼氏……」
「いつ?」
「今日、これからよ」
「……」
「いやなの?」
「んー、きのうなら都合がいいんだけど……あたし」
「また、そんなへんなこと言って。ね、行きましょう」

街中を抜けて海岸通りに出ると、彼が営む喫茶店があった。白い小さなお店は潮風に吹かれて、いつもハミングしていた。どうしても、まっすぐ家に帰りたくなかったあの日、私は初めてこのお店に車を止めた。そして、彼と出会った。
「いらっしゃい!」
満面の笑みを浮かべて彼は、海の見える窓辺のテーブルに母を案内してくれた。
「ね、なにがいい? かあさんの好きなお汁粉もあるわよ」
「……あたしはミルクチィーでいい」
どことなく不機嫌そうだったけど仕方ないかも。お店には彼ひとりしかいない。バイトのひとは帰ったみたいだ。
「ねぇ、あのひとかい?」
「うん、そうよ」
「でも、圭子、あのひともう禿げてるよ。いいのかい?」
「うん、いいの」
私はもう生娘じゃないのに。なんだかおかしくて涙が出そうだった。

「お待たせしました」
アッサムの紅茶と白い小皿にのったアップルパイがテーブルに並んだ。母は紅茶を啜っただけでアップルパイには手をつけなかった。
「ね、かあさん。食べてあげて。これね、彼がつくったアップルパイよ」
「……」
拗ねたこどものような顔をして、アップルパイを見つめていた母は、何を思ったのか小皿を両手に持って鼻を近づけた。
「あらっ、これ……あしたのりんごだわ」 
「えっ、ほんとに?」
一瞬、なんだかわけがわからなかったけれど、母はアップルパイをつまんでひと口齧ると、目を細めて笑った。
「うん、おいしい」
テーブルの上のあしたを母はおいしいと言って食べたのだ。カウンターの中の彼に思いっきりウィンクしたら、ほんの少し涙がこぼれてしまった。
初夏の香りに満ちた潮風に運ばれて、私の夢見たあしたが通りすぎて行く。

ね、かあさんもうれしい?




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このストーリーに関するコメント

15/04/19 レイチェル・ハジェンズ

何を言っているのか、最高に意味が分からない。
と言っては失礼ですが、レイチェルは読解力が0なのであしからず。

このまま「私」がお嫁さんに行って、
変なかあさんをひとちぼっちにしたいお話だったのかな。
センチメンタル満載でした。

明日と昨日と今日、母さんは何時父さんに再会するんでしょうねー?
実はもう昨日の時点で会ってるのかもねー……。

15/04/21 草愛やし美

たまさん、拝読しました。

詩の世界って幻想的な時間背景が流れているのでしょうね。認知症も似ているのかもとこのお話を読み思いました。もしかして、詩人になっていくのが認知症? 

私の姑さんは意識ないまま二年ベッドで眠り続けましたがその前に、まだらに認知が出ていました。普通に理解できないことも言われましたが、余裕がなく怒ったりしてしまいました。この主人公の方は優しいですから、お母さんは幸せです。きっとどこかで亡きご主人と話しているのかもしれませんね、素敵な彼氏さんとお幸せに。

15/04/21 泡沫恋歌

たま 様、拝読しました。

詩人である、たまさんには独特の世界観や時間の概念があって、そこには美しい情緒が漂っています。

昨日と今日の垣根を越えて、時間を自由に浮遊できるなら、人間はとても幸せだと思いました。

この親子が幸せになれそうな、ハッピーエンドが嬉しいですね。

15/04/21 たま

レイチェルさん、コメントありがとう。

最高にわけのわからない小説を書いてしまいました^^
でも、ぼくとしては満足してますよ。なかなかの最高傑作だと思います。
でも、でも、君のような感想もあります。評価は二分されます。そのどちらも、ぼくは受けとめます。でなければ、ぼくは成長しませんから。
高校生ですか? うーん・・・ぼくはもう君には勝てないと思う。だから、というか、君は日本一、世界一を目指してくださいね♪


草藍さま、ありがとうございます。

なんの変哲もないセリフの、あしたと、きのうが入れ替わったら詩になります。
草藍さんはそれを見抜いたのですね。流石です^^
痴呆に関しては様々な認識があると思います。このお話のお母さんは、痴呆とは言えないかもしれませんし、ぼくも痴呆だと思って書いていません。痴呆は酷ですから、あまり書きたくありません。書くとしたら一歩手前です。
母と義母が年老いて、炊飯を放棄したとき、ぼくはすごくショックを受けました。それは男としての勝手であって、痴呆とはまったく関係ない話です。
母と娘、あるいは母と息子、ぼくなりに書かなければいけないモチーフがあって、忙しいのです^^


15/04/21 そらの珊瑚

たまさん、拝読しました。

「あした」と「きのう」が入れ替わってしまうという事象に
ものすごく哲学的なものを感じました。
「あした買ってきたりんご」国語のテストでは丸がもらえないと思うけれど、
それがいったいなんだというのでしょう?
それがちゃんと存在すると思えれば、世界はいつだって優しいと思うのです。
やはりたまさんは詩人でいらっしゃるなあ。
このお話、とても好きです。

15/04/22 たま

恋歌さま、ありがとうございます。

久しぶりにハッピーエンドを書いたような気がします^^
でも、ハッピーエンドって、書き手としても気持ちいいですね。
思いっきりカオスから開放された気分です。

昨日と今日の垣根を越えて・・・うん、究極の幸福感ですね♪


珊瑚さま、ありがとうございます。

それがちゃんと存在すると思えれば、世界はいつだって優しい・・・
あ、なんだか書き手のぼくが教えられた気がします^^
恋歌さんの感想もそうです。時空の垣根を越えなければ、優しさに気付くことはできないのかもしれませんね。
とてもややこしくて、読みにくい作品なのに、みなさまに評価していただいて、とてもうれしいです。
書いて良かった^0^


15/04/22 光石七

拝読しました。
「きのう」が「あした」で「あした」が「きのう」。現実の時間軸がどうであれ、本人がそういう時を生きているのなら、それは間違いではないのでしょう。ひらがな表記がやわらかく優しい印象を与えていると思います。
主人公も優しいですね。
彼が出したアップルパイ、お母さんにとっては“あしたのりんご”の匂いと味がしたのでしょう。主人公にとっては彼との未来に対する許し、涙が美しいです。
素敵なお話でした!

15/04/23 たま

光石七さま、ありがとうございます。

ひとは年老いて、それぞれの時間軸を持つのかもしれませんね。たぶん、痴呆もそのひとつにすぎないという気がします。
光石さんのおっしゃるとおり、その本人の時間軸を肯定しなければ、二世帯家族は崩壊します。現代人は時と向かい合うことが苦手なのです。
父や母、祖父母のいる時間軸をもういちど見つめなおしたい・・というか、そんなことも描きたかったのかなって・・ふと、気付きました。
すてきな「気付き」をありがとうございました♪


15/04/26 滝沢朱音

「テーブルの上に、あした買ってきたりんごを置いてあると言う」
衝撃のイントロですね!「あしたのりんご」に完全にノックアウトされました。
私にはうまく説明できないけれど、文学的で…とにかくかっこいいと思いました!
「初夏の香りに満ちた潮風に運ばれて、私の夢見たあしたが通りすぎて行く」
この一文が特に好きです。

15/04/28 たま

滝沢朱音さま、ありがとうございます。

文学的かっこよさってありますよね。小説を書くのであれば、限りなくそこに近づきたいなって思います。でも、それがなかなか難しいのです。
「無限の情報を読者に提供するのが小説だ」と言った作家がいます。そうなると、読者はその無限の情報の中から、答えを探さなければなりません。
それはつまり「小説に答えはいらない」ということです。読者の数だけ答えがあるということでしょう。
そのことを踏まえて小説を書くと、書かなければいけないことが見えてくる気がします。
文学的かっこよさって、そのあたりにあるような・・ないような・・確かな話ではありませんが^^
コメントをありがとうございました♪


15/04/30 たま

志水孝敏さま、ありがとうございます。

具象から抽象へと異化する作品はよく見かけますが、抽象から具象に着地する作品は珍しいと思います。でも、書き手も読み手もややこしいですよね^^
矛盾を含んだ文章には、ぼくも魅力を感じますが、なかなか、書けないです。下手をすれば、作品が破綻してしまいます。2000文字だからなんとかまとめることができたのかなって思います。
これが120枚だったら、おそらく、破綻しちゃうかも^^


15/05/03 クナリ

掌編では印象的な導入の作品が好きなので、この始まり方は魅力的でした。
あしたときのう、言葉だけでなくその意味や、それぞれに派生する思いまでもが変化・流転していくような、不思議な読後感がありました。
ラストで、お母さんのあしたがあしたになってくれた瞬間は、主人公にはたまらない感覚だったでしょうね。

確かに長編になると、読者側も混乱して、ラストの鮮烈さが薄れそうです。
掌編であることを活かした作品ですね。

15/05/05 たま

クナリさま、ありがとうございます。

ぼくは現代詩を書いています。年に10作ぐらいでしょうか。短詩も書きますからそれも含めると30作ぐらいです。もちろん、書くだけではなくて、読むことも大切です。
年に1500作ぐらいは読みます。詩のサイト、詩集、同人誌とかです。
読む場合は、第一連(1〜6行ぐらい)を読んで、おもしろくないと感じたものは読みません。掌編もそんな感じですね。やはり、導入部が勝負です。
詩の場合、原稿用紙で2枚ぐらい、長くて5枚です。掌編と似てます。
詩の場合は導入部以上にラストが大切です。小説の場合は「着地」と言いますが、詩の場合は「離陸」と言います。鮮やかな離陸を求められます^^
中篇小説も書きますが、正直、しんどいです。ぼくの場合は体力がない?ので、詩か、掌編だと思ってます^^

16/04/17 犬飼根古太

たま様、拝読しました。
クナリ様もおっしゃっていますが、「印象的な導入」だと思います。思わず二回も読み返してしまいました。
「ひとはいつもあしたを夢見て生きている。」から始まる段落は、哲学的で素敵です。「あした」と「きのう」というありふれた言葉について改めて考えさせられました。
言葉少なに交わされる穏やかな会話なのに、深い感じが良かったです。

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