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浅月庵さん

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躾(しつけ)

15/04/10 コンテスト(テーマ):第八十回 時空モノガタリ文学賞 【 テーブルの上 】 コメント:2件 浅月庵 閲覧数:1108

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 微睡みの中で母の声が鼓膜を震わせる。
 怒気を孕んだ母の言葉は、いつだって私の行為を咎めるものだ。

「お母さん、何度も行儀の悪いことだって注意してるよね」細い両腕が私の体の輪郭を捉える。
 脇の下から母に持ち上げられると、私は重力を無視し、宙を舞い、フローリングの床に下ろされた。
 前屈みで私の目を見つめる母は、いつも通りの台詞を投げかけてくる。

「悪いことしたらどうするの?」
 銃の引き金のような。爆弾のスイッチのような。母の問いで初めて作動するように、私は一言だけ答える。
「ごめんなさい」

 心がこもっていない、わけではない。
 私だってこれがいけないことなのは理解しているし、何十回と繰り返される無意味なやり取りに、母同様飽いている。

 それでも私は無性に、狂おしいほど大人というものに憧れていた。
 冷蔵庫の上に置いてある砂糖を楽々取れる母を見て、口紅を塗り小綺麗な格好に身を包む母を見て、炭酸弾ける金色の液体を喉元に流し込む母を見て、私は強く思う。早く大人になりたいと。

 何度母に叱られても、私はここへ立つ。すると、視界が開けて世界が広がる。
 なにもかもが私より大きく、なにもかもに手の届かない私は、ここでなら電気の紐を何度も点けたり消したりすることができる。
 ここからなら、作業台に置かれた電子レンジも、箪笥の上の冬物をしまい込んだ紙袋も、食器棚の曇りガラスから覗くピンク色のコップも瞳に映る。これが母の見ている景色。
 
 ぷふふ、私は思わず吹き出す。内側から溢れ出す楽しさと興奮が止まらない。
 大人の視点はこんなにも余裕がある。狭くない。これで私も大人なんだ。大人と一緒なんだ。見通しの良さは春風が吹き抜けたかのように爽やかだ。
 
 ーー父は私が産まれた直後に病気で亡くなった。それからというもの、母は女手一つで私を育ててくれた。
 母は料理教室の講師をしているので、味は勿論のこと、カロリーや栄養面には特にこだわり、その信念を継がせようと、私は四歳の頃から晩ご飯のお手伝いをさせられた。

「料理はね、それを盛りつけるお皿も大切なの」これは母の口癖だ。
 いくら料理が上手くできたとしても、それを盛りつける食器が欠けていたり、汚れていたり、適さない形であるだけで、本来の魅力から極端に遠ざかってしまう。
 “美しい味”と書くのであれば、美味しい料理は視覚的にも綺麗でなくてはならない。それが母の料理への真摯な向き合い方であったし、幼い頃から聞かされていたその情熱は、私の人生観に強く根付いた。旦那の胃袋を掴んで離さない私の料理は、色合いや器のチョイスも含め、食卓を華やかに彩っているはずだ。

「こらこら、亜子ちゃん。そろそろ降りなきゃ駄目よ」
 何度目かの母の注意により、私は目を覚ます。どうやら私はテーブルに突っ伏して、夢と現実の曖昧を彷徨っていたようだ。目の前の椅子に座る、母の視線の先には、私の娘。
「亜子、お行儀悪いよ!」私がそう怒鳴ると、娘の亜子は急いでテーブルの上から椅子へ降りる。「ごめん、お母さん。私いつの間にか寝てた」
「ふふ、お疲れみたいね。それにしても亜子ちゃん。あなたの小さい時にそっくり」母の孫を見る目は、優しさで潤んでいる。
「私の場合、テーブルに上がった日には、かなり怒られたけどね。お母さん、孫に甘すぎるんじゃない?」私は頬杖をついて口先を尖らせる。
「ふふ、それはそうよ。亜子ちゃんのお母さんはあなたなんだもの」
「ん?」私はその言葉の真意を胸の内で探る。亜子の間違いを一番に正さなければいけないのは私。
 ずっとお母さんのような大人になりたかった私は、今その立場にいる。果たして私は、私が母に憧れたように、亜子の見本となる大人になれているのだろうか。

「器が綺麗でなくちゃいけないのは、なにも料理の話だけじゃないわよ」
 なぜ急に、母はそんな話をするのだろう。「どういう意味?」
「亜子ちゃんが料理で、あなたが食器。綺麗な器は料理をきちんと受け止め、進むべき方向に合わせて形を変え、正しい美しさへ導いてあげないと。それが母親なのよ」そう言って笑う母は、私の疑問を見透かしたかのように、適切な言葉を投げかけてくれる。亜子の母親として精一杯やれることをやらなくてはいけない、と思わせてくれる。
 
 そして、私を受け止めてくれる器は母なのだと改めて気づかされる。

「亜子、もうテーブルに上がっちゃ駄目よ」と私は私の言葉で娘の過ちを咎める。
 
 もう私は子どもではない。躾が“身を美しく”と書くのであれば、母から躾を受けた今の私は、テーブルへ上がるなんて真似はもう絶対にしない。

 そんなことしなくても私は、電気の紐や高い所の砂糖にも手が届く、化粧も覚えた大人なのだ。
 ......ビールは苦いから嫌いだけど。


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このストーリーに関するコメント

15/04/21 光石七

拝読しました。
テーブルに上がった子供時代の回想から始まり、料理と器に関する母の教え、成人して親になった今の新たな気付き、と、読み進めながら主人公と一緒に自分も成長していくような感覚でした。
子供の頃って大人がとても大きく立派に見えたけれど、自分が大人になってみると不足な部分があまりに多くて。ラストの一文に、主人公も似たようなことを感じているのではないかと、クスリとしました。
面白かったです。

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