1. トップページ
  2. 物心の再発行

isocoさん

ほかでの書いているもの。 http://upppi.com/ug/sc/user/1559/

性別 男性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

0

物心の再発行

12/07/20 コンテスト(テーマ):第十回 時空モノガタリ文学賞【 自転車 】 コメント:0件 isoco 閲覧数:1402

この作品を評価する

「あら、起きてたの。ちょうどよかった」
 レインコートを着た母が部屋にやってきて言った。
「ちょっとお留守番してて。お醤油切れちゃったから」
 まだ熱があるんだからじっとしてなさい、ゲームしちゃダメよ、などとひとしきりお小言をいうと母は家をでていった。暗い室内に取り残された私は布団の中で一歩も動かず、母が出かけていく音を聞いた。自転車の留め具が外されたときの金属音や、後輪が地面に着いたときの籠が揺れる音などが駐輪場から聞こえてきた。やがて雨音の中に消えていく母の車輪の音に向けて、どうか事故がおきませんように、と無事を祈った。

 起きたばかりの私は何時なのかわからずにいた。学校を休んだことは確かなのが、部屋の空気から感じられる。学校にいなくてはいけない時間の家の中は、なんだか私に対してそっけない気がするからだ。机に置いたランドセルも余所余所しい。
 私が体調を崩したのは、それもこれもここ三日間ぐらい振り続いている雨のせいだ。梅雨が終わらないのである。おかげでもう八月になるというのに肌寒いし、夏がくる気配はまるで無い。

 壁に掛けてある時計は電池が切れていて、その秒針は1の部分をずっとなぞってばかりなものだから、ふと、その微弱な動きが四季の回転を止めているように見えた。
 あの時計が動けば、雨も止み、夏がくるのかもしれない。
 雨の音を聞きながら睨んでいると、段々と時計が生首に見えてきた。片目だけを痙攣させている女の人の生首である。私は怖くなって目をつぶった。けれども、何もみえなくなった視界の中で、生首はもっと生々しい動きをはじめるのだった。
「ただいまぁ」
 母の声に飛び起き、生首を見ないようにして玄関まで走っていくと、そこにはレインコートを重そうに脱いでいる母が居て、ビニール袋から剥き出しになったお醤油が下駄箱の上に乗っていた。黒いボトルの上を雨粒がニヤリと落ちていった。
「はやく時計を動かして!」私は熱でボンヤリした頭を必死に振って母に訴えた。
「なによ急に」
「じゃないと生首が消えないし、雨が止まないよ!」
「雨ならもう止んでたわ」
 ほら、といいながら母はドアを開けてくれたのだが、生首がそこからぬるっと顔を出した。私は驚き「ぎゃっ!」と声をあげると、横にいた母の顔は時計になっていて、生首も母の顔も回転しはじめるのだった。
 怖くて尻持ちをついた瞬間、私は布団の中に居た。母が帰ってきたのは夢だと分かった。

 高熱のせいか、他にも色んな夢にうなされた。主に、巨大なものに圧倒される夢だ。観覧車くらいの水車が道路上で雨を巻きあげ街を壊していたり、隕石みたいな時計がたくさん落ちてきたり、私は決まってベランダからそれらをポツンと見上げている。そして最終的に、巨大な者たちは全て私に降りかかり、呆気なく潰されて死ぬ夢。そんな苦痛を枕の上に置いた自分の脳みそで永遠と繰りかえすだなんて、にがい精神の痛みでしかない。
 さすがに参ってきた私は「お母さぁん」と助けを呼び始めた。口からは咳やタンのニオイがした。明らかに弱っている私を見て、生首だけが笑っていた。

 ようやく母が帰宅したとき、私はやっと夢から開放されると安堵したが、
「電池は買ってきたけどお醤油は忘れちゃったからまたでかけるね」などといって自転車の鍵を私の顔の前で振ったときは思わず、
「お醤油ならさっき買ってきたじゃん!下駄箱に置いてあったあれはなんなの!」
 夢と現実が混ざった意味不明な叫びをして母を困らせてしまった。
 それでも母は、なにを言ってるんだか、という苦笑をしながら、私の枕元で正座をしつつ頭を撫でてくれた。おでこに乗せていた濡れタオルが、一段と冷たくなった気がした。しばらくそうしていることを約束させて目を閉じると、私はようやく現実を信用しはじめる。
「お母さん」
「なぁに」
「いるの」
「いるよ」
「良かった」
 しばらくすると、母の手が止まった。私から離れる機会を探っていると思った。
「お母さん」
「なーによ」
「いなくなろうとしてる」
「そんなことないよ」
「ほんとかな」
「ほんとよ」
「死んだりしない?」
「なにそれ」
「色んなものの大事なところが分かったの」
「へぇ」
 それから母は、大丈夫、大丈夫、といいながら不安そうにする私を眠るまで撫でてくれた。

 次に目を覚ましたとき、外は晴れていて、開かれたカーテンはぬるい風で持ちあがり、母は消えていた。青空を飛行機雲が横断しているのを見ていると、手前で揺れている洗濯物も、三日間降り続けていた雨も、発熱さえも、夢ではないことを祈るばかりだった。
 母が帰ってきた自転車の音が聞こえる。今回は醤油を買ってきたのか、電池を買ってきたのか、とにかく現実であってほしい。
 時計は少しだけ動いて、また、少しだけ止まった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン
アドセンス