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ポテトチップスさん

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じ て ん 車

12/07/17 コンテスト(テーマ):第十回 時空モノガタリ文学賞【 自転車 】 コメント:2件 ポテトチップス 閲覧数:1583

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「お父さん、新しい自転車買ってよ」
「いま乗ってる自転車、まだ乗れるだろ」
「だって、浩司君も弘田君もみんな、新しいマウンテンバイクに乗ってるんだよ」
智樹はソフトクリームを舌で舐めながら言った。
公園の噴水は、水しぶきを辺りに吹き上げながら、7月の青空に向け勢いよく昇っていた。
そこから発生した小さな7色の虹は、32年前の虹を急に思い出させ、4年前に病気で亡くなった若き日の母の言葉が脳裏にはっきりと甦って耳元に聞えてきた。
『一緒に返しに行こう・・・』
「ねぇ、お父さん買ってよ」
噴水から発生した7色の虹に、心を遠い昔に引き込まれていた私は我に返り、息子に顔を向けた。
智樹は、おねだりする目で私を見ていた。
「じゃあ、ソフトクリーム食べ終わったら自転車屋さんに行くか」
「うん」智樹は嬉しそうに笑みを浮かべ頷いた。
もう一度、母の声が聞きたく噴水の虹を探したが、小さな7色の虹は消えて無くなっていた。


私が小学校4年生の時だから、智樹と同じ年の頃だ。私は狭い町営住宅に母と2人で暮らしていた。父は私が幼児の頃に、他に女をつくって出て行ったのだと中学生の時に母に聞かされた。だから父の記憶は全くない。
母は当時、近所の縫製工場で働いていた。家計が厳しい事は子供ながらに分かっていた。
だって、夕飯のおかずは一品だけの日が多かったからだ。月に一度だけ数品目のおかずが食卓に並ぶのは、母の給料日だという事も知っていた。
町に1軒、大きな自転車屋がオープンしたのは秋頃の事だったと思う。クラスの友人達は親に新品の自転車を買ってもらい、自慢するかの如く颯爽と乗り回していた。
私はと言えば、母が近所から貰ってきた大人用の、錆だらけの自転車に乗っていたのだ。

町に自転車屋がオープンして以来、私は学校が終わった後、自宅で1人で過ごす事が多くなった。自宅で過ごすと言っても、貧乏でテレビも無かったし漫画本も買ってもらえなかったので、する事と言えば、採点され渡されたテスト用紙の裏側に絵を描くくらいだった。もちろん、黒鉛筆一色でだ。
そんな風にして1人で過ごし、母が仕事から帰って来るのを待ち侘びた。
母はとても優しい人だったし、また強い女性でもあった。母に怒られた事はあまり記憶にない。
『反省しなさい』、これが子供の頃に悪さをした私に、母が言う叱りだった。
子供の頃から、母を困らせないように私は心掛けていた。

季節は木々の葉が赤く染まったと思ったら、あっという間に枝から葉がひらひらと揺らぎながら地面に落ちてゆき、町の景色は寂しくなっていった。
あの日は、朝から雨が降っている日だった。国語の授業中、担任の先生が教室の窓から外を眺め「下校時には、雨止むみたいだぞ」と言った。
学校が終わり教室を出ようとした時、クラスメイトの長谷川と北川が近寄って来て、「雨止んだから、家に帰ったら一緒に自転車で隣町の本屋に行かない?」と誘われたが、断った。
長谷川も北川も、こないだ親に自転車を買ってもらっていたのだ。
校舎を出た私は、1人でとぼとぼと歩いて帰った。
下を向いて歩いていたが、顔を上げ遠くを見ると、空に7色の大きな虹がかかっていた。
綺麗だなと思いながら歩いていると、ある2階建の木造アパートの前を通りかかった時、真新しい子供用自転車が鍵が付いたまま止めてあった。
辺りを見回したが人影は無く、次の瞬間何も考えずに自転車を跨いで漕いでいた。
笑みを浮かべながら自転車のペダルを漕ぎ、虹に向かって寄り道をして家に帰った。

母はいつもと同じ時間に仕事から帰って来た。
「俊治、玄関の前に止めてある自転車誰の?」
「友達に貰ったんだ・・・」
「友達って誰に?」
「長谷川君に・・・」
母は電話の前に正座して座り、クラスメイトの電話番号が載っている用紙を手にとって、もう片方の手で受話器を持ち上げた。
「お母さん何してるの?」
「長谷川君の家にお礼の電話をしなくちゃいけないでしょう」
私を見つめる母の目は、今までに見た事がないほど怒った目をしていた。
直感で母は分かっているのだと感じた。
母はその姿勢のまま、しばらく私の目を見続けた。
そして「一緒に返しに行こう・・・」と言った。
すっかり暗くなった道を、母と一緒に自転車を押して歩いた。
母は何も言わなかったが、私は涙が次々に目から流れ落ちた。
母は、母と年のそう変わらない自転車の持ち主の母親に、何度も頭を下げて謝ってくれた。
その晩は、朝まで眠れなかった。何度も布団の中で声を殺して泣いた。
翌日、母と朝食を食べていると、「今度の給料日に、自転車買ってあげる」と母は言った。
その時、買ってもらった自転車は、大切に何年も乗った。


智樹と一緒に自転車屋に入ると、智樹は目を輝かせまっすぐマウンテンバイクのコーナーに向かった。


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このストーリーに関するコメント

12/07/17 汐月夜空

懐かしさを感じるお話でした。
私も似たような嘘をついたことがあります。不注意で田んぼに落ちて泥だらけになったのを、友達に押されたからと嘘をつきました。
父と母は私の嘘に気付いていながら、その嘘を信じて、名前を出した友達の家に電話をしました。
その時の両親の姿は忘れられません。他ならぬ私に裏切られた二人の悲しそうな姿。その姿を見て私は嘘が悪いことだということを魂に刻みこみました。
「一緒に返しに行こう・・・」その・・・に含められた母の感情が深い作品ですね。
智樹にとってその言葉は一生忘れられない言葉になることでしょうね。

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