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笹峰霧子さん

性別 女性
将来の夢 健康になりますように。
座右の銘 自立。いくつになっても夢を持つ。

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東京の電車

15/02/21 コンテスト(テーマ):第七十七回 時空モノガタリ文学賞 【 渋谷 】 コメント:3件 笹峰霧子 閲覧数:1414

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 今からもう20年も前になろうか、あの時のことは――。
 
 千代は電車の乗り換えのことで頭がいっぱいでおどおどしていた。東京駅で環状線に乗リ込み新宿駅で降りて、ひしめき合う人込みの中、重い荷物を提げて石段を一段ずつ丁寧に上がって行った。
 待ち合わせの場所で暫く待っていると、道路を隔てた向こう側から背の高い若者がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

「母さん! 待った?」
「ううん、大して…」
 本当は溺れそうな人波の中でもう20分も待っていたけれど、千代は息子に気を遣わせまいとしてそう言った。これから哲也の借りているマンションに行くことになっている。

「母さん何もわからないからお願いね」
手を引かれるように千代は哲也の後を付いて歩いた。
「気をつけなよ、階段多いからね」
 哲也は東京へ出て来る前より少し年を取って見える母親に気を遣っていた。
「乗り換えかね?」
「うん、一駅だけだよ」
 地下鉄で一駅、駅から歩いて5分のマンションを契約したと息子から連絡が入っていた。
 
 
 駅を出ると細い道路が先が見えないほどに延びていた。道の両側は桜が咲き誇り花のトンネルの中を歩いている気分だ。千代はお花見をしているかのようにきょろきょろしながら歩いていた。

「ほら、母さん。ちゃんと前を向いて歩くんだよ」
「だっておまえ、こんなにきれいな桜は田舎でもなかなか見れないよ」
「そうだね、じゃあ、あの公園で花見してから行こうか」
 そう言って哲也は近くの行き慣れたコンビニで弁当とお茶を買ってきた。

「久しぶりねぇ、お前とこうして並んでお花見をするのは…」
「そうだね、いつだったかなお花見したのは…」
「もう10年も前になるよ、おまえが小学生の時以来だよ」
 
 
 哲也は上京して2年目の春を迎えた。
「大学の図書館の窓からこの桜が見えるんだよ、まるで花に囲まれてるような気分で勉強してるんだ」
「あらそう、幸せねぇ」千代は心からそう思っていた。
 
 
 千代は息子のマンションに一泊し、翌日には横浜の恩師に会う約束をしていた。
「大丈夫かい?母さん独りで行けるの?」
 哲也は心配そうに母の顔を覗き込む。
「大丈夫よ、まだそれほど老いぼれてはいないからね。今日は授業があるんだろ。何かあったら連絡するから…」
 そう言って千代は哲也より一足先にマンションを出た。
 
 
 都会の朝は通勤ラッシュだ。
 昨日降りた地下の階段を上がって新宿駅から電車に乗るのだ。千代は頭の中で電車の乗り換え駅と乗る電車の線の名前を何度もなぞって確かめていた。
 渋谷で降りて東横線に乗り換え桜木町で降りる。しっかりこの名前を頭にインプットして新宿駅発の電車に乗り込んだ。
 
 
 しぶや〜〜。電車が渋谷へ着くとアナウンスが流れる。
 千代は必死だった。乗り間違えたらどこへ行ってしまうかわからない。やっぱりあの子に来てもらえばよかったなとちょっぴり後悔した。…が、渋谷で東横線の電車に乗り換えた時点でほっとしていた。
 電車の窓から外を見る余裕なんてなかった。緊張したままどれほどの時間が経ったのだろう。

 
 さくらぎちょう〜〜。千代は大きなボストンバッグを持ち上げ、ショルダーバッグにしっかり手を当てて電車を降りた。階段はゆっくり降りた。先生が改札口の向こうで手を振っていた。

 
 
 記憶の中のあの場面からもう20年近く経とうとしている。
 
 哲也は嫁をもらい孫が三人できた。1年に一度は嫁と孫総勢五人連れで実家に帰ってくる。背高のっぽの孫達は婆ちゃんには背を屈めて話しをする。千代は満足して大学生高校生に成長したそれぞれの孫を眺めるのだ。

「婆ちゃん、僕んち来ないの?」二番目の孫がいつもそう言う。婆ちゃんが大好きな孫だ。
「あんたの傍で暮らしたいけど、やっぱり婆ちゃんは田舎がいいよ」
 
 けさの味噌汁は畑から抜いてきた大根と人参と里芋入りだ。動けなくなるまでここにいる!と千代は決めていた。
 
 海外出張が年に三度ほどあるという息子の哲也はすっかり貫録がついたおじさんになった。
 
 千代は子供ができて小学生になったとき、女に子供ができたという夫と別れて独りで哲也を育てた。
 
 当時は死ぬことさえ考えた千代だったが、この子がいたお蔭で頑張って生きて来れた。三人の孫もできた。勤めながらの子育てはきつい時期もあったが、哲也はこれといった反抗期もなくいい子に育ってくれた。千代の満足できる大学に入学し、将来性のある会社で部長級に昇進している。これ以上幸せなことはないと千代は思っているのだ。

 今日も又いつも通りの一日を送ることになる。千代はしあわせな気分だった。


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このストーリーに関するコメント

15/02/21 笹峰霧子

画像は[https://flic.kr/p/oan38n]よりダウンロードしています。

15/02/21 鮎風 遊

千代の気持ちがよくわかります。
子供たちの世話にはなりたくない、また自分が過ごした地を離れたくない。
母がそうであったように、今の自分もそうです。

納得しました。

15/02/22 笹峰霧子

鮎風 遊様

コメントをありがとうございます。
田舎から大都会へ出て行くと電車の乗り換えが難しくておろおろしたことがあります。渋谷駅での千代のうろたえる気持に焦点を当てて書きました。

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