1. トップページ
  2. 温かな手を

四島トイさん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

3

温かな手を

15/02/09 コンテスト(テーマ):第七十五回 時空モノガタリ文学賞 【クラシック音楽 】 コメント:3件 四島トイ 閲覧数:1412

時空モノガタリからの選評

コンサートの帰りに喫茶店に立ち寄った学生のカップルという、定番なシチュエーションですが、恥じらいや誤解、気まずさといった初デートらしい心情が細やかに繊細に描かれていて、好感が持てました。二人とも素直で正直な性格で可愛いですね。喫茶店の中でのざわついた周囲と、緊張気味の二人の間の空気感とのギャップも印象的でした。

時空モノガタリK

この作品を評価する

 飴色の椅子が日曜日の陽光を反射する喫茶店で私は身を縮めた。店内は温かく紳士淑女は高尚な歓談に興じている。制服姿の私達に向けられた、あらあらまあまあ、というひどく古典的な音が混ざって聞こえた。
 怒られたわけでもない。むしろ対面する貝塚君は大変紳士的な高校生男子であり、衆人環視の下で同級生たる私を叱責するとは思えない。なにせ同じクラスという理由で日曜日にコンサートに招待してくれるような人物だ。
 でも紳士的に叱責が正しいと判断できる事態であれば別だ。
 それは女の私には判断できない。だからこうするしかない。
 月並みな感想しか言えないけれど、と貝塚君は前置いた。感動のためか珈琲カップを持つ指先が僅かに震えているようだ。
「心臓まで振動するような気がした」
「そう、ですか」
「織枝さんは『アルルの女』の組曲よく聴くんだっけ」
「はい……」
 応じながらも私は顔から火を噴く思いだった。
「何が一番印象的だった?」
 仄かな緊張と探るような口調に頭の中が真っ白になる。今更ながらに膝の上で重ねた手が白く冷えていることが悔しくてたまらない。
 私は眠ってしまっていたのだ。ぐうすかと。


 私の在学していた中学校では一時限目の前に、校内放送で流れるクラシック音楽を聴きながらそっと目を閉じ黙想するという、黙想タイムなる奇妙な時間帯が存在した。そこで私は穏やかな心を培う術を着々と身につけた。
 姿勢よく目を閉じる。長く緩やかな呼吸に意識を集中する。音楽が途切れることなく同じフレーズを繰り返している気がしてきて、もしかしたら古典の始まりからずっと流れていたのではないかしらん、という気持ちの良さにまどろむ。
 そうしていると頭の中が真っ白になる。
「織枝」
 ブツンと断線するような感覚で目を開けるのが常だった。一時限目の先生が眉根を寄せ、級友達が笑いを含んだ様子で私を見つめているのもいつものこと。織枝、と再度呼ばれる。
「はい」
「手、あったかいか」
 先生はそう問う。確かに私の手にはぼんやりとした温もりがある。はい、と応じると先生はふうっと息を吐いて一言付け加える。「寝るな」と。
 しかしながら悲しいことにもう手遅れだった。三年間の黙想タイムは私をすっかり蝕んでいた。特に『アルルの女』のメヌエットは私を瞬時に誘う手強い名曲であった。もちろん打ち勝とうとした。何度も繰り返し。でも、すっきりとした目覚めと共に己の無力さを痛感するだけだった。
 だから貝塚君が、織江さんは普段どんな音楽聴くの、と微かに頬を紅潮させて問うた時の私は本当に考え無しだった。
 そしてまんまと私の手はぼんやりと温かくなってしまった。


 ココアの入ったカップに両手を添えてどれほどの沈黙を耐えただろう。
 陽は傾き始めたが、一向に帰宅する様子のない店内の紳士淑女の唇はいつまで熱く昼間の演奏を語るのかしらん。
 貝塚君もどこか落ち着かない。手を握っては開き、指を数えるような仕草を繰り返す。何度も深呼吸する。
 申し訳ない、という思いが胸を締め付ける。私がもっと文化的で理知的な、いえ、せめて演奏中にぐうぐう寝てしまう同級生でなければ。彼の日曜日は有意義であったはずだ。
 せめて同じ轍を踏ませまいと私は意を決して顔を上げた。
「あの」
「ごめんっ」
 気がつくと貝塚君の右巻きの旋毛が視線のやや下にあった。え、と口を開く間もなく、決して疚しい気持ちじゃなかったんだ、と続く言葉に先んじられる。
「織江さんの隣の席の男が妙に君を気にしていたから。ちらちら見てて。その、暗がりだし、ちょっとの音は気づかれないだろうし、何かあってからじゃいけないと思ったんだ。手を握ったのは牽制のつもりで、他意は無いんだ」
 不意に右手の温かみがありありと蘇ってきた。
「……私、眠ってしまって」
 へ、と驚いて顔を上げる貝塚君にごめんなさいと頭を下げる。
「だから隣の人が私を見ていたとしたら、あんまり堂々と眠っていたせいだと思います」
 気づかなかったんですか、と首を傾げてみせる。貝塚君が脱力するように背をもたれて、全然、と息を吐いた。気づかなかった、と。
「織枝さん怒ってるんじゃないかと思ってた。塞いでるみたいだったし」
「……眠ってしまったのが本当に申し訳なくて」
 身を縮めてもう一度謝罪する。貝塚君は呆けたように、気づかなかったよと繰り返した。
「背筋がピンと伸びてて。姿勢が良かった」
「顔を見なかったんですか」
「照れ臭くて」
 そう言って彼は視線を巡らした。でも良かった、と言葉が続いた。
「手を握ってから心臓が煩くて演奏がよく聴こえなかったんだ」
 視線がぶつかった。
 急速に耳が熱くなるのがわかった。私達は揃って俯いた。
 あらあらまあまあ、というひどく古典的な音が混ざって聴こえた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

15/02/13 光石七

拝読しました。
「あらあらまあまあ」と呟いてしまった私、もう若くないですね(苦笑)
微笑ましい高校生のクラシックコンサートデート。
きっと良いお付き合いに発展するのでしょうね。

15/02/13 タック

四島さん、拝読しました。

その時ばかりは手の温もりは眠気のせいではなく隣に座る男の子がもたらしたものだった、という状況が物凄くキュンときますね。
切ない瞬間を切り取られる四島さんは、やはり巧いお方だなあと改めて感じました。

15/02/13 四島トイ

>光石七さん
 読んでくださってありがとうございます! 私には大変難しいテーマでした。己の教養の無さが悲しくなったりもしました。それゆえ、読んでいただく上で話の底が浅いと苦痛に感じられないか不安に思っての投稿でした。光石七さんのコメントに救われた思いです。
 いつも本当にありがとうございます。


>タックさん
 読んでくださってありがとうございました! シチュエーションをお気に召していただけたようでしたら作者としてこれほどの喜びはありません。私には過分のお言葉ですがそれに見合う作品を書けるよう今後とも頑張ります。
 いつも本当にありがとうございます。

ログイン
アドセンス