1. トップページ
  2. マムシの子

五助さん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

1

マムシの子

15/02/05 コンテスト(テーマ):第七十六回 時空モノガタリ文学賞 【 戦国武将 】 コメント:1件 五助 閲覧数:1096

この作品を評価する

 斎藤道三は追い詰められていた。マムシの道三といわれた己が、息子、義龍(よしたつ)に追い詰められるとは思ってもいなかった。

 城にこもっていては、いつ味方に裏切られるかわからない状況であった。籠城中に裏切りに合えば、どのような城でも、中と外からあっという間に攻め滅ばされてしまう。そうなるより、味方をかき集め、城からうってでた方がましと、道三は城から出たものの、ついてきた兵はわずかであった。民からは慕われていたが、その分、武士からは成り上がり者とさげすまされている面もあった。
 道三の軍と義龍の軍は川を挟んで対峙した。長良川である。暴れ川と呼ばれ過去何度か氾濫を繰り返し、川の形を変えてしまったこともあった。川を挟んで対峙する義龍の軍は、兵の一部を上流の浅瀬から渡らせ、対岸に陣を構えている道三軍の背後に移動し、挟み撃ちにしようと考えた。道三は本陣を少し前に出し、山道に兵を伏せさせた。義龍の兵が川を渡り山道に入ったところを、道三の兵が奇襲し、しゃにむに追い立て、退却して川に入っていく義龍の兵を背後から弓矢でぞんぶんに射ころした。この奇襲に兵をさくため、道三軍の本陣には、道三とわずかな兵しか残っていなかった。
 これに懲りた義龍は、本陣を対岸に残し、上流と下流、二つの方面から川を渡り、伏兵を警戒しながらゆっくりと道三を包み込むことにした。こうなると、寡兵の道三には手の打ちようがない。一枚一枚、衣をはぎとられていくように兵を失った。織田の援軍は、まだ遠く、その気配すらなかった。
 敵の士気は低いと道三はにらんでいたが、ぶつかった瞬間、沸き立つように盛り返してきた。大将の士気は不思議と兵全体に伝わる。義絶したとはいえ、子が親を殺そうとしているのだ。士気が低くてもおかしくはなかった。
 義龍は、嫡子でありながら冷遇され利用されてきた。いつ殺されるかわからない。その怯え、恐怖、怒り、恨みを、兵を通して、道三に向けていた。
 道三は義龍のことを我が子と一度も思ったことはなかった。土岐頼芸(とき よりなり)より下げ渡された女が、子を宿し、義龍が生まれたときは心底喜んだ。どちらの子かわからぬ。そう噂を流したのは道三だ。これが効いた。頼芸を追い出した後、反発する家臣団を懐柔する駒に義龍を使った。人質、のようなものである。
 義龍に跡目を継がせたのも、他国に逃げ、美濃を狙う頼芸を牽制するためであった。頼芸を倒した後、理由をつけて、義龍を隠居させ、成長した次男の孫四郎に跡目を継がせようと考えていた。それをさっしたのだろう。義龍は、重病と称し、孫四郎と喜平次、二人の弟を呼び寄せ、二人を殺した。
 義龍の兵は、道三を逃がさぬよう、ぐるりと囲んでいた。
 あれは、わしの子かもしれん。道三は、ふと、そう思った。
 耐えに耐え、策を巡らし、一息にすべてを奪い尽くす。いかにも、わしがやりそうなことじゃ。そうだ。そうに違いない。頼芸の子が、わしを追い詰められるわけがない。そうじゃ、義龍はわしの子じゃ。義龍が己の人生をかけて作り上げた策、それがわしを追い詰めたのだ。そうなると、織田に送った譲り状は早計だったかもしれん。
 義龍の兵が再び動き始めた。
 馬は温存している。何度かぶつかり、囲みの弱いところを何カ所か見つけてある。残りの兵をすりつぶしながら、逃げれば、わし一人、逃げられなくはない。
 道三が城からうってでた理由がこれである。城内に不穏な空気があったことも理由の一つだが、城の中にいて囲まれれば、逃げることは難しい。
 囲みを突破してしまえば、義龍は先ほどのような伏兵を警戒し、素早く追ってこれまい。織田の小倅の元に、美濃の国を知るマムシの道三がいれば、おそらく義龍に勝ち目はないだろう。
 ここから逃げて、頼芸のように他家に担がれ生きるのか。他人を利用しつくしてきたわしにしては、油屋から、上へ上へと成り上がったわしにしては、これは、ずいぶん小さい。
 川を越えてくる兵の水しぶきが聞こえてくる。
 ここで死ぬのも、親の役目かもしれん。
「義龍よ」
 わしの気が変わらぬうちに、早う来い。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

15/02/23 光石七

拝読しました。
私は戦国武将にあまり詳しくないのですが、斉藤道山は本当にこのような人だったのではないかと思うほど説得力がありました。
武将として、父として、人として、魅力的ですね。
面白かったです。

ログイン
アドセンス