W・アーム・スープレックスさん

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将来の夢
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兆候

14/12/08 コンテスト(テーマ):第四十六回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:978

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 和彦の上に、『兆候』がでたときほど、亜弓がおどろいたことはなかった。
「いやだ、どうしてカズが………」
 それ以上言葉にならずに、ただ茫然と、弟の顔をみつめるばかりだった。
 額のちょうど中央あたりから、ふしぎな光がかがやいている。
 奇妙にあたたかみをおびたそのやわらかな光こそ、『兆候』の顕著な現象だった。
 これまでにも、亜弓の周囲の何人かにこの『兆候』があらわれ、そして旅立っていった。
 母もその中の一人だった。
 母は、自分にもし『兆候』がでても、けっしてあなたたちをみすてることはしないからと、なんども念を押すようにいっていたのを、亜弓はいまおもいだした。
 しかし、その母も、額に光をやどすともう、自分や和彦にも、そして夫にさえもはや一瞥もくれることなく空にあがっていった。
 空の上には、大きな島がうかんでいて、みんなはその島の上にいるというが、はっきりしたことは地上の人間にはわからない。
「ぼく、なんだかへんな気持ちだ………」
 カズは、ますます強くかがやきはじめる額の光に、自分でもとまどいがちに目をほそめた。
「どんな気持ちなの、いって」
 亜弓はつよくしりたがった。
 母のときもそうだったが、『兆候』のでたものはだれも、なぜか、心のうちを語ろうとしないのだった。
「なんだか姉さんの姿が、黒ずんで………」
 それだけいうとカズは、なにかにおどろいたふうに、はっと口をつぐんだ。
「どうしてさいごまでいわないの」
 しかしカズは、小さな頭をふりつづけるだけだった。
「姉さんも、そのときがきたら、きっとわかるよ」
 なにがわかるというのだろう。
 亜弓は、これまでなんでも話し合ってきた弟の、突然はりめぐらせた目にみえない分厚い壁に、なすすべもなくたちつくした。
 二人のうちどちらかでも『兆候』がでたら、なにもかもつつみかくすことなく相手に打ち明けることを、お互い約束していたのに………。
 まだ十歳、そのあまりのいたいけのなさに、おもわず手をさしのべずにはいられなくなるような弟だった。
 これまでなにかと気にかけ、困ったときは相談にのり、力になってやったカズなのに、どうしていまはなにもいってくれないの。
 おそらくカズは、この二、三日のあいだに、空にのぼってゆくだろう。
 別れの言葉ひとついわずに。
『兆候』の出たものが地上を離れる瞬間を、みたものはまれだ。
 亜弓は決意した。
 カズが空にあがるそのときを、かならずこの目でみとどけてやる。
 それからというもの彼女は、たえず弟のそばにいすわっては、かたときもカズから目をはなそうとはしなかった。
 カズのほうは、そんな姉を、迷惑がるでもなく、好きなようにさせていた。
 そのおちつきはらった表情をみるにつけ亜弓は、きゅうに弟が自分を追い抜いて何年も成長したように感じた。
「ねえ、カズ。空の上の島にいったら、心の中でいいから、わたしによびかけてちょうだい。おなじ血が流れているんだもの、なにかつたわってくるとおもうの。だってあなたはもう、決してわたしの手のとどかないところにいってしまうんですもの。あなたがひとりでさびしがらないか、心配で心配でたまらないわ。島でうまくお母さんにあえるのかしら。だけど、いつかわたしもそこにいくから、まっててね。私のこと、いつまでもわすれずにいてね」
 しゃべっているあいだに、涙があふれてきた。
 カズは、あいかわらず、静かに姉をみつめている。
 このあいだまでなら、亜弓が泣くと、きまっていっしょになって泣いていたカズだった………。


 まだ暗い闇におおわれた未明に、カズはそっと寝床をぬけだした。
 その様子をみていた亜弓もまた、彼のあとをおって部屋からでた。
 彼の光はいまや、最大限の光を放っていて、その強烈な輝きに、亜弓はまともに弟をみつめることができないほどだった。
 しかし、彼女は精一杯目を見ひらいた。
 カズが空に旅立つそのときを、みとどけるためなら、たとえ目が焼き尽くされたってかまわない。
 ―――ふいに彼女は、自分の体がだんだんと重くなっていくのを感じた。
 そのうちたっていることもできなくなって、膝がきしみながら崩れ、とうとう彼女は、地面にはいつくばった。
 カズは、その姉のふるまいを、深い悲しみにみちた目でみまもっていた。
 姉の姿は、たまらなく醜かった。
 彼の目にはもはやそれは人間ではなく、なにか泥と芥にまみれた醜怪な虫かなにかのようにうつっていた。
 彼女は、一生のあいだ空にあがることなく、このまま永遠に地上に貼りついたまま生きてゆく人間だった。
『兆候』をおびたものの目には、それらの人々の真の姿がみえた。
 カズは、はやく空のうえにのぼって、一時もはやくこの地上にひしめく腐臭を放つものたちから逃れたかった。
 その彼の姿がしずかに空に上昇してゆく様子を、亜弓は地上からまんじりともしないでみまもっていた。
「カズ、わたしのカズ、あなたとわたしはたとえこのままはなればなれになっても、いつまでも永遠にいっしょよ。そのことを、わすれないでね」
 しかしその声さえ、カズの耳には、なにかまがまがしい生き物の鳴き声のように、不快で、耳触りなものにしかきこえなかった。 
 
 


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