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実さん

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行き場のない人生としての無題

14/11/09 コンテスト(テーマ):第六十九回 時空モノガタリ文学賞【 無題 】 コメント:0件  閲覧数:801

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 生存とは苦しみであると私が知ったのは胎児から膣の狭いトンネルを通り抜けこの生の世界へ生まれ出たことを思い出したからだった。それは長い長い道のりの夕暮れの薄暗いあぜ道を一人歩くように孤独だった。私はそこに一人しかいなかった。当然だ。胎内には一人しか入れないしそのための出口しかない。
 宇宙から母胎へ落ちて来た時の私は希望に満ちていたように思う。これから生存することが楽しみで仕方なく長い間それを待ちわびていたかのような心持ちでいた。しかしそんな期待が裏切られるのに時間はかからず、ただ真っ逆さまに一直線に落ちていった。回転しながら、まるでトイレの水と一緒にどこまでもどこまでも吸い込まれるように落ちていった。
 てっきりこの人間の世界が幸福だと思ったのだ。そんな生易しいものではないというのは前生の経験からわかっていたはずなのに、一度死の淵に立たされて深い深い眠りにおちいり暗闇をさ迷っているとそんなことを忘れてしまうのだ。
「ここはどこだろう?」「誰かいるの?」「いったいこの夢はいつ醒めるんだろう」
そんなことを思っているうちに忘れてしまうのだった。夢の中で夢であると気づけないみたいに、いったい私がどんな状況に立たされて夢を見る前のことをすっかり忘れて生きているみたいに。
 私はすっかり何が現実かを忘れきって、自分が死んだのだということにも気づかないで暗い闇の中をさ迷っていた。暗い筒の中を歩き続けてはずっと不安に苛まれていた。ずっと醒めないだけの夢にすぎないのに。
 それから私は光を見た。白や赤や紫や色とりどりの光が見えて私はそれに見とれていた。いったいあれは何なんだろう。私の意識はずっとぼんやりとしていてそれが何かを理解することができなかった。
 それから見えてきたのは人々の幸せそうな姿だった。小さい赤ん坊を抱いている母親が見えてそれを傍らで笑顔で見守る父親のような人が見えた。本当に彼らは幸せそうで「あぁ、私もあの家族の一員になりたい」という思いが心に自然に沸き起こっていた。まるで食べ物を目の前にすると唾液が分泌されるように無意識のうちにそれは起こっていた。私の意思ではどうすることもできない感情だった。
 それは生前の、つまり私がこうして死ぬ前の家庭が散々なものだったからかもしれない。思い描いていたような幸福が目の前にあった。目の前の巨大なスクリーンに映画として映し出されたかのようだった。
 そう、そうして私はその瞬間落ちていた。回転しながら一直線にどこまでもどこまでも天から地に落ちるかのように私は落ちていた。そのあまりの恐怖に私は叫んでいた。
「助けてくれ、助けてくれ。私はいま落ちている!」
 そうやってやって来たのが生存だった。気が付くと私はいつの間にか誰かの胸に抱かれていたようで温かいぬくもりがまだ違和感のぬぐえない皮膚の表面から伝わってきていた。はじめて触れる空気に慣れないのか抱かれていない部位はひんやりと冷えていた。指先、足先、右肩、首元から頭にかけての顔面の皮膚。呼吸にもまだ違和感が残っていた。冷たさと温かさの入り混じった感覚のなかで私はずっとうずくまっていた。
 
 いったい現実とはまるで夢のようだと言われることは確かにそうかもしれなかった。結論から言えば。なぜなら私がその後歩んだ人生というのはあの幸せそうな家族映画とは別の散々なものだったからだ。どんなに仲の悪い者の集合写真でも笑顔で写っていれば幸せそうに見えるように、私が暗闇の中で見たものも同じだった。
 人間には多面性がある。それはただ単に感情の移ろいかもしれないし、人間の心には天使も悪魔も潜んでいるといえるかもしれないが、例えどんなに悪人でも人生で一度は誰かに優しく接することがある。私が「これは最良の父である」と選んだ父親はDV癖を持っていた。酒もタバコもやらず仕事ぶりもよくいっけんいたって真面目そうな父に見えたが、家族に対しては口よりも先に手足が出てしまうのだった。
 母はよく四肢にアザを作っていたがそれでもあまり反抗することはなかった私も暴力を振るわれることがあったが決まって母が身代わりになった。それどころかそれさえも幸せの一部だと受け入れているようなところがあった。DVの発作さえなければ優しい父にやはり惚れていたのかもしれなかったし、あるいは解決策が見えないので自分が耐えることでいつかは更生することを夢見ていたのかもしれない。
 私はそんな家庭からいつのまにか逃げ出して今ここにいる。逃げ出したはいいが次に何をすればいいかはわかりはしない。当てもなく渋谷や原宿池袋を歩き回っては疲労に震える足先を今こうして見つめている。体育座りで恥ずかしげもなく地べたに座ってはただ何をすればいいかわからずにいる。


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