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朝焼け、密やかさの解法

14/10/21 コンテスト(テーマ):第六十七回 時空モノガタリ文学賞【 秘密 】  コメント:0件 四島トイ 閲覧数:739

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 夜明け前の交差点を身の丈五尺五寸の犬と並んで歩いていた。
 横断歩道の信号が明滅する。わたし達は歩みを止める。
 気づけば吐く息が白い。マフラーを巻き直す。出したばかりの学生服の皺を伸ばす。冬仕様のわたしを無言で大気に主張する。吸い込む空気が肺の内壁に染み込むようだ。
 わふ、と隣の犬が音を漏らす。横目で見やれば、息が白い。大きな体躯。黒く艶やかで豊な毛並み。蒸気機関のような鼓動。
 くしゅ、とくしゃみが出た。
「寒いか。春」
 犬が問うた。
「寒い」
「悪いな。付き合わせて。出来た妹分がいて兄ちゃんは嬉しいよ」
 声は気遣わしげに響いたが、舌を突き出して話す姿は笑っているようにも見えて釈然としない。一歳年上の彼の態度は幼少期から変わらない。どこか余裕がある。
「妹じゃない」
 断言して角の縁石に腰を下ろす。目線の高さが犬と重なる。やや茶色がかった瞳が丸く光る。視線を逸らして、交差点を見回す。人影はない。
「魔法使いは来るのかな」
「わからん」
 ぶつ切りの会話。寒さのせいか口を動かすのが億劫だった。
 向かい合うのは、犬井秋継という名の犬。
 そしてその犬は一週間前まで犬井秋継という名の高校生男子だった。

 犬井先輩呪われちゃったんですよお、という後輩の飴宮桜緒の声が耳に届いた。部活終わりのロッカー室でのことだ。誰かが「犬井先輩、最近部活来ないね」と話を振っていた。
「おおい。飴ちゃんが何か言ってる」
「飴ちゃんは暗黒メルヘンだなあ」
「呪いって何よ」
 部員達のからかいにも彼女はちっとも動じなかった。先輩との秘密なんです、と言って颯爽と部室を後にする姿には自信が満ちていた。
 制服に着替え終えたわたしに同級生達が困ったように笑いかける。
「ハルちゃんどうすんの。犬井先輩とられちゃうよ」
「そうだよ。家近所で、幼馴染で、妹分なのにさ」
「妹じゃない」
 そうだけどさ、と食い下がる彼女達に手を振って部室を後にした。
 夕焼けの渡り廊下を抜けて、昇降口で靴に履き替える。野球部のノック音が遠く響き、橙色に彩られた下駄箱の暗がりに人影が見えて足を止める。飴宮桜緒がくるりと振り返る。勝気な瞳が強く光った。
「ハル先輩は気にならないんですか。妹分なんですよね」
 帰り道を歩く後ろから彼女の声が追ってくる。
「妹じゃない」
「犬井先輩呪われちゃったんですよ」
「らしいね。どうしてだろう」
「交差点で女子と一緒に歩いてるところを見た独り身の魔法使いのやっかみだそうです」
「恐いね」
「一緒にいたのはわたしなんですけど」
 わずかな間があった。何かを探るような人工的な静けさを帯びていた。電信柱の影が長く線を引き、その向こうに彼女が立つ。ため息が聞こえた。
「……犬になっちゃったんです」
「犬じゃ困ったね」
「困りません。犬でも猿でも雉でも。犬井先輩なら。わたしは」
 でも、と彼女は言葉を濁した。「先輩は元に戻りたいんです」と。
「接吻すればいいのかな」
「しました」
 飴宮桜緒がわたしを追い抜いて先を歩く。歩みは止まらない。そう、と応じてその歩をなぞる。
 夕焼けが藍色の空に追いやられていく。夕暮れの影からのそりと現れたように一頭の大きな黒犬が座っていた。
 よう、と犬井秋継は微かに笑いを帯びた口調で牙を剥いた。

「魔法使いは早朝ジョギングとかしないだろうか」
「してたらどうするの」
「とりあえず呪いは解いてほしいな」
 犬井秋継が白んできた空を見上げながら耳を動かす。「蛙になった王子様みたいにキスで呪いは解けないかな」と。飴宮桜緒の言葉が蘇る。
「……どうかな」
「もしそれしか方法がなかったら春は、どうする」
「どうもしない」
 冷たいな、と言って尻尾がパタパタと落ち着きなく動く。
「妹分なのに」
「妹じゃない」
 静寂が再び辺りを満たす。
 なあ春、という犬井秋継の真剣な声が違和感を覚えさせる。笑いも余裕もない。真っ直ぐな視線を初めて見た。
「そうだ。お前は妹じゃない」
 わずかに湿り気を感じさせる鼻の頭。艶やかな毛並が鼻筋を縁取っているのが見える。思っていたよりも獣臭さは無かった。
 くしゅ、とくしゃみが出た。
 目を上げると朝日の中に高校生の犬井秋継が立っていた。
 困ったように笑っている。
 きっとわたしもまた同じような表情をしているのがわかった。
 ローラーでペンキを塗るように、朝の太陽が交差点を塗り替えていく。
 駆け寄ってくる人影があった。
 偶然ですね、と飴宮桜緒が息を弾ませる。走ってきたはずなのに頬は青白い。寒さで硬直した唇はいっそう白く、空元気のなかに不安が揺れていた。
 ああ偶然だな、と犬井秋継が笑った。
 偶然だね、とわたしも小さく呟いた。
 暗闇の中で凝縮された密やかな空気が朝焼けに溶けていくのを感じた。


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