1. トップページ
  2. たばこ

三条杏樹さん

好きなものを好きなときに。

性別
将来の夢
座右の銘 人間だもの。

投稿済みの作品

0

たばこ

14/10/14 コンテスト(テーマ):第四十二回【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 三条杏樹 閲覧数:782

この作品を評価する

四年間付き合っていた恋人に振られた。

「お前のサンドバッグになるのはもう嫌だ」

精神的に崩れ始めると、近くの人を言葉で攻撃する。自分でもその短所を分かっていただけに、四年間受け入れてくれていると思っていた相手に突き放されたのはショックだった。
「そもそもそんな面倒な性格の女を優しく支えてくれる人なんているわけがない」
友人は口を揃えてそう言った。

その半年後にできた新しい恋人には、付き合って二週間で浮気をされた。
浮気をされた怒りより、そんな男を選んでしまった自分の見る目のなさに嫌気が差した。

恋愛以外にも、仕事や何もかもが上手くいかない時期だった。一気にたくさんのことがのしかかり、自分も混乱していたのだと思う。
ほとんど自暴自棄になり、毎晩飲み歩いて、毎晩吐いた。自分でも下らないことで時間を無駄にしていたと思う。若さゆえの愚行だった。

ある晩、女友達と飲んでいると、自分以外が全員喫煙者という状況だった。


「女がたばこ吸ってると嫌がるよね、男って。自分は吸うくせに」

だから普段から隠さずに吸うのだと言う。たばこを吸っていても好きだと言ってくれる相手を見つけたいから。

吸ったことのない自分にとってはその煙の味は未知だった。もちろん、受動喫煙しているこちらの方が害は大きいのだが。

彼女たちの口から這い出る煙があたりを包む。匂いがつくな、とぼんやり考えていると。

「吸ってみる?」

ふいに、一人が一本をこちらへ差し出した。

酒を飲む手がぴたりと止まった。
今ままで付き合ってきた相手は全員嫌煙家だった。自分もそうだった。その上、自分の父親が大変なたばこ嫌いで、母親が隠れてたばこを吸っているのを見つけたときは烈火のごとく怒り、あやうく家庭崩壊まで進んだ。父は娘にたばこの害悪を強く言い聞かせた。あれから二十年、今はそれを咎める人もいない。


友人のたばこを手にとる。火がつけられた。

「最初はむせるかも」

誰かがそう言って笑った。

口を近づける。わけのわからない高揚感。アルコールの効果もあいまって、頭がぐらぐらと揺れていた。

唇がたばこに触れるまで、あと一センチ。

父の顔が浮かんだ。
娘が地元を出て上京するとき、微かに涙ぐんで駅まで見送った父の姿。




黙ってたばこを友人へ返した。

「吸わないの?」

吸い方がわからないから、と言って、そのままトイレへ向かった。
ふらつく足元。便器へ盛大に吐いた。
酒のあとの焼肉のせいだ。やっぱりやめておけばよかった。


先の燃えるたばこの残像が見えた。吸わなくてよかったと思う。
あそこまでアルコールに思考を支配されていたのに、自分の意思で断ることができるとは思わなかった。これが躾の成果か。


躾の厳しかった我が家。父の権威は偉大だった。虐待すれすれのことを子どもにして、これが子育てだと堂々と言い張るような父だった。

恋人に振られたと半泣きだった娘に、普段は寡黙な父が言った。まだ、これからじゃないかと。

たばこ一本で、こんな気持ちになるとは思わなかった。先に居酒屋を後にして、一人で夜道を帰った。
それ以来、飲み歩くのはやめた。二十代だったときの恥と言えばこの頃の記憶だ。





今、3歳になる息子がいる。この子も将来は、たばこを吸っているのが格好いいと思うようになるのだろうか。
息子にたばこを禁止する気はない。なぜなら、すでに父が言葉も覚束無い孫へ、酒とたばこの害悪を説いているから。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン