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四島トイさん

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早朝のメソッド

14/09/22 コンテスト(テーマ):第六十五回 時空モノガタリ文学賞【 守る 】  コメント:2件 四島トイ 閲覧数:716

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「健全で規律ある文化的な一日になるかは早朝に決まるのよ」
 職場の先輩である原川さんはそう言った。仕事終わりに誘われた居酒屋でのことだ。彼女は高らかに宣言すると、その日三杯目のビールジョッキを傾けた。黄金色のアルコールが彼女の艶やかな唇にスイスイと流れ込む。妙齢の己に物怖じすることなく、白い喉はぐびりぐびりと音を鳴らす。
「はあ」
「聞けば宮代君は休日は寝て過ごすらしいわね」
 ふう、と息をついて原川さんは僕にジョッキを向ける。先週なんか起きたら夕方五時だったんだって? と。
「はあ。何だか、眠れちゃうんですよ」
 若さアピールかあ、と彼女は忌々しそうにジョッキを空にする。息を吐いた反動のように身を起こして、おかわりください、とにこやかに店員を呼び止めた。
 絡まれているのか、からかわれているのかわからず、僕はタコの唐揚げを摘んだ。もちろん、魅力的な年上の女性であるところの彼女にであればどちらであっても大歓迎ではあるが。
「よし。手順を決めよう」
 四杯目のビールを片手に僕を見る瞳に、不敵な色がゆらりと滲む。何のことですか、と身構える僕を尻目に原川さんは、早朝のメソッドだよ、と微笑んでみせる。
「真面目な宮代君のことだから、スケジュール帳持ってるでしょ」
「原川さんが持てって言ったんじゃないですか」
「いいから出しなさい。ほら」
 渋々、鞄から手帳を取り出す。出入りの業者さんが年始の挨拶にと置いていった焦げ茶色の手帳だ。仕事の予定しか書いてないよな、と確認するよりも早く、原川さんはさっさと頁を捲っていた。
「君の明日の予定は、と。何も書いてないじゃない。お休みなのに」
「休むのが予定なんです」
「英語の授業で『寝るのが趣味』て答える中学生みたいね」
「その偏見はまことに遺憾です」
「じゃあまずは起床ね。朝六時、と」
「書かないでくださいよ。寝させてください」
「起きろ。本気で目を覚ませ。目覚めろ」
「無茶苦茶だ」
 とにかく、と原川さんはしばらく何かを書き付けてから手帳を差し出した。
「このメソッドを守ること。先輩命令」
「職権濫用ですよ」
「さすれば健全で規律ある文化的な一日は君のものだ」
 原川さんは再びジョッキを手にすると、後で感想聞かせてね、と言って軽快に笑った。


 秋雨が暗闇の中で静かに音を散らせていた。早朝。六時。起床。
 植木鉢に水をやる、ともある。忘年会のビンゴで当たった枝豆栽培セットが既に軒先で濡れそぼっているのを横目に身支度を整えた。
 アパートを出るとじわりと染み込むような涼しさが首筋を撫でる。早朝。六時十五分。ランニング。雨天決行。
「健全で規律ある……まあいいか」
 考えまい、とウインドブレーカーのジッパーを上げ走り出す。
 雨は降っているが空は次第に明るくなっていった。景色は澄み、視界は良好だった。近くの海浜公園を目指して走ることにした。
 しばし走っていると、腕時計の電子音が鳴った。手帳に書かれたシャープな文字を思い返す。六時四十五分。水分補給と一休みと人助け。
「人助け、て……」
 足を止めて息を整える。ゴミでも拾えばいいのかな、などと考えながら周囲を見回す。自動販売機もゴミも見当たらない。
 ふと耳に水の撥ねる音が届いた。音の先から自転車が疾走してくる。脇に避けると自転車は軽快に視界を横切っていった。大きな荷物に雨合羽。高校生ほどの少年が律儀にもこちらを振り向いて会釈をした。ふと、自分も学生の頃は早朝の通学路を自転車で疾走していたのだなあ、という懐かしさが込み上げたが、次の瞬間、自転車が横転するとその感慨は雲散霧消した。
「……っ大丈夫か」
 急いで駆け寄る。彼は転んだことが恥ずかしいのか必死で自転車を立て直していた。走り出そうとするものの、外れてしまったチェーンがカラカラと音を立てるだけだ。
「チェーン外れてるって。ほら。貸しな」
 有無を言わせずチェーンに手をかける。幸い素手で直せる程度だった。少年は、すんません、と、あざっす、を繰り返した。いいよいいよ、と軽く言って立ち去ろうと思って足を止めた。
「何か飲む物持ってる、かな」


 雨上がりの海浜公園にはやはり人影がなかった。手に持った紙パックのストローに口をつけながらぼんやり歩く。
 ふと、ベンチ脇の人影が目に入った。畳んだ傘を片手に海の彼方を見つめている。雲の切れ間から、鉛色の海に輝くような陽光が降り注いでいる。潮風に髪がなびく。凛とした立ち姿には二日酔いの気配はない。
「おはよう。」
 私服姿の原川さんが振り返る。おはようございます、と応えながらも、好奇に瞳を輝かせる姿が可笑しくて力が抜けた。
「……感想は朝飯食べながらでもいいですか」
 そう言うと、彼女は満足気に肯いた。


 七時十五分。健全で規律ある文化的な一日の始まり。


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このストーリーに関するコメント

14/09/23 タック

四島トイさん、拝読しました。

序盤から引き込まれるキャラクター性、ふたりの掛け合い、関係性の描き方が素晴らしいなあ、と思いました。光景が思い浮かぶ文章の置き方がやはりお上手だな、と感じます。
ふたりのその後を見てみたい、と感じる作品でした。ありがとうございました。

14/09/23 四島トイ

>タック様
 読んでくださってありがとうございます!
 読み辛い文章でお恥ずかしい限りです。今回のテーマでは当初、用心棒を題材に書いていたのですが話がまとまらず、全く違う本作を投稿しました。
 掛け合いというかセリフは常に課題です。ついつい本筋に関係ない会話や、妙に漫画染みた、あるいは説明口調のセリフになりがちなので、掛け合いを取り上げていただけたことはとても嬉しいです。ありがとうございます。
 今後は少しでもお見せすることに自信を持てるような作品にできるよう頑張ります。ありがとうございました。

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