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タックさん

がんばる。

性別 男性
将来の夢
座右の銘 明日の自分に期待は持たない。

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忘却の蛍

14/07/28 コンテスト(テーマ):第六十一回 時空モノガタリ文学賞【 夜に光る 】 コメント:2件 タック 閲覧数:1051

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隣に立つ妻の嘆息には、震えすら覚えるようであった。
 

川岸の付近は電灯がなければ満足に先すら見えぬ闇である。
まとわりつく虫の羽音が周囲に満ち、手持ちの電灯を振らせる面倒な情景である。

清廉な川面は緩やかな水流をたたえ、川音は耳朶に違和なく溶け。
涼やかな空気は残熱に火照る体から熱を奪い去り、解放は私に、大口の息を吐かせる。

電灯の明かりを頼りに妻がゆるりと進み出れば砂利が踏まれ、鈍く音が鳴る。
その後に私も同等に踏み出せば、かすんだ光が、眼前へと淡く押し寄せる。
多数の光点。浮遊する、無音の虫の群れ。
――儚き、蛍は。
私たちの目前で川面と川岸の合間を舞い飛び、残像とともに岸へと舞い落ちていく。
無骨な石は温度のない発光のために美しく映り、足を踏み入れた妻の靴は白く微弱に模様を明らかとする。
妻が蛍を両手に囲い、私に向かい開いて見せる。その繊細に灯る様を、私は声もなく眺めた。静寂に、蛍の光は密度を濃くしたように感じられた。

「……綺麗ですね。まるで、温かさが感じられるよう。……美しいものですね」
「……ああ、綺麗だ。ここに来るまでの苦労も忘れさせるような光だ。ただの虫がこんなに淡く光るなんて、信じがたい思いだよ」
「……本当に、そうですね。ずっと、見ていられそう。そんな、光ですね」

妻の両手で静かに点滅を続けた蛍は、時を経て前触れもなく飛び去っていく。
その消失に電灯を消せば、多くの蛍が周囲を実に近く照らしている、そのことに驚愕とも陶酔とも判然としない感情が湧き出でる。
無言の夜闇。閑静に光る、信用と情愛。
清流に近づきたく思ったのか私の傍を離れ、小川に一歩一歩と歩む妻。うなじが白く映え、目の幾分と慣れたなかに、それは新鮮に色濃く映る。
屈み、流れに手を差し入れた。妻の首筋は、仄明るく光っているようでもあった。

「……こうしていると、思い出しますね」妻が背で、言葉を紡ぐ。
「……ああ、初めてここに来たときのことかい」私はその背に語りかける。
「ええ、そうです。もう、随分と前のことですね。……私たちが結婚する、それよりも、以前のことですもの。遠い彼方のように思えますね」

砂利を靴底に、小さく骨のわずかに目立つ背へと歩く。
踏みしめる音にも振り返ることはない。
時たま水を跳ね上げる音を立て。
妻は玲瓏に映る水流に右手を任せ、顔を下向けている。
寂寥をさえ、感じさせる様相であった。

「思い起こせば、あの頃の私たちは若かったですね。すべてが目新しくて、新鮮で、楽しくて。……この蛍の光も、もっと綺麗に見えてたんじゃないかしら。そんな風にも、感じてしまいますね」
「……そんなことはないだろう。君は今でも十分に若々しいじゃないか。全然、年をとってなどいないよ」
「……ふふ、ありがとうございます。たとえお世辞でも、嬉しく思いますよ」
「お世辞なんかじゃないさ。私は、本心からそう思っているんだよ」
「……ふふ、そうですね。ありがとうございます。……でも、年は、とりましたよ。ほら、肌にも弾力がありませんもの。若い人が羨ましいですよ」

そう言い、妻は微かな笑声を立てた。
その乾きを感じさせる笑いに私は膝を曲げ、つま先の濡れるのも厭わずに妻の横へと並んだ。
肩が触れ、骨の感触がわずかに伝わる。
それは確かに、肉の薄さと年月を思わせる固さであった。

「……あら、蛍が。ほら、あなたの肩に」
温もりの触れ合う肩を妻が指さし、感慨から現実へと意識は戻る。
見れば私の肩には一匹の蛍が止まり、私と妻の肩を同等に映し出していた。
接着していた肉体が、闇の中から現れ眼前に茫洋と光る。
その風情を首を曲げ見つめる妻の薄闇の表情には憂いこそあれど、老いなど感じるはずもなく。
「……本当に、綺麗ですね」
何気なく呟いた妻を、私は肩に蛍を止めたまま引き寄せた。
妻は抵抗を見せず、私の手に力なく抱かれた。
「……年齢など、関係ないさ。君は、君だ。私の気持ちは、ずっと変わらない。これからも私たちは夫婦だ。これからも一緒に、人生を歩いて行こう」
「……あなた」
せせらぎに妻のか弱い発声は立ち消えるが、肩に触れる体温は熱さを増し、体を満たしていく。
飛び去っていく蛍にはもはや目線は向けず。
静かに互いに体を預け、夏の夜の熱気のなかで黙然と川を眺めつづける。
「……ずっと、一緒にいてくださいね」
その耳を震わす言葉に私は微かに頷き。
瞑目し、空気の全てを肌で感じ。
妻の体を抱くうち、
ふと意識は、飲み込まれるように、遠のいていった。



振動が伝わり、緩慢に目を開いた。
直射日光が肌を焼くなかで私は冷たい汗をかき、畳は濡れ、変色を見せていた。
振動を続ける携帯を取り、痛む頭で重く電話に出る。
相手は婚約者の、私よりもだいぶ年下の女であった。


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このストーリーに関するコメント

14/08/02 クナリ

幻想的な情景をつづり、最後に彼が置かれている現実で締めるという構成が、独特の余韻を生んでいますね。
良いこととも悪いこととも誰にも判じることの出来ない彼の人生が、短い最終段落から偲ばれるようです。

14/08/02 タック

クナリさん、コメントありがとうございます。

書きたいテーマであり、書きたい話であったので、自分なりに力を注ごうと挑んだものだったのですが、うまくいかず、なかば強引に押し切るように、投稿してしまった作品でした。なので評価はいただけないかもしれない、と感じていたところだったので、評価をいただけて、本当に嬉しく思っています。

よろしければ、またご一読ください。ありがとうございました。

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