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タックさん

がんばる。

性別 男性
将来の夢
座右の銘 明日の自分に期待は持たない。

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夫を残して、深夜。

14/07/25 コンテスト(テーマ):第六十一回 時空モノガタリ文学賞【 夜に光る 】 コメント:2件 タック 閲覧数:873

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 お腹に乗った夫の足をどかすと、はずみでいびきが止まる。静けさに硬直を余儀なくされた私はベッドの上でしばらく息を潜めた。…………………。

 少しの間の後、再開されるいびきに胸を撫で下ろし、私は、今日もそっと寝室を出る。ドアを音もなく閉め、暗い廊下を歩む、その瞬間は背徳感に似た思いが胸をしめつける、私だけの密やかな瞬間であり、また、密やかな行動でもあった。

 リビングに電気を灯す。あらかじめ用意していた服に着替える。家の鍵を携帯に付属し、無音の玄関に向かえば、高揚は少しずつ背筋を上り、首筋にひたと現れる。
 ドアを音もなく開いた先には夏の熱気。肌を不快に包みこむ。傍に屹立する電灯には羽虫が集まり、時折その体のぶつかり熱せられる音が下まで響いてくる。携帯に表示された時刻は十二時近い。言うまでもなく、真夜中だった。腕を伸ばせば寝たふりをしていた体には柔軟さが戻り、体内の熱が興奮ともに全体を満たしていく。周囲に人の気配のないことが、私の出立を後押ししているように思える。

(さあ、そろそろ行こう)私は心中で呟いた。

 住宅街は礼儀正しく閑静だ。道路に一歩踏みだし、左右を確認したところで誰の姿も見当たらない。街灯のみが道路を照らす、夏の夜の風景がそこにはある。携帯の画面を確認した。私の経た記録が表れ、その充足に思わず笑みがこぼれた。

 携帯をしまう。かかとをトントンと地面に鳴らし、首をじっくりと回して。 
 気配のない我が家を後に、私はゆっくりと、走りだした。ランニングシューズが道路に摩擦し、連続した高い音を立てた。   

 脳内に進路イメージが広がる。――目指すは、河川敷。
 
 私の、私による、秘密のダイエットランニングの、開始なのである。


 
 発端はささいなことだった。晩酌中の夫に体型をからかわれたのだ。
 
 そのときは厳重に抗議し謝らせた。しかし、ひとりのリビングでこっそり服をめくると、確かにわき腹にはお肉が。いろいろなツケが表れた、中年太りのポッコリ体型だった。

――私、デブなのかしら。自分は痩せ形で太らないと思っていただけに、強烈なショックだった。同時に、ものすごい焦りがこみ上げた。

 走ろう。その場でそう決意した。けれど朝は忙しく、昼と夕方は人目があり恥ずかしい。ならば夜がいいかというと、すでに夫が帰宅していて、知られればきっと笑われる。
 うーむ、どうしたものか。考えた末、私が出した結論は、夫が就寝した後の人目のない深夜に走ればいいというものだった。それは思えば危険で、あまりに暴発的な発想なのだけれど……。とにかく実行に移した私。当初こそバテバテで朝も寝過ごし夫にも怒られたものの、気がつけば深夜ランニングは一週間を超え、体重も確実に減りはじめていた。そして走ること自体の楽しさにも、四日目あたりから目覚めはじめていたのだ。

――見てろよ。私は元のスラッと体型を取り戻してやるからな。

 夫のニヤケ顔を浮かべ走る、私はひとりの修羅だった。そして修羅は大好きなお菓子もビールも取らず、今日も深夜、孤独に爆走するのだ。その「やったった」感が、何より快感になりつつあった。



 住宅街を抜ければ街灯はなくなり、足元が舗装から砂利まじりの土道へと変わる。ポケットに忍ばせていた小型の懐中電灯を取り出し、小さな光の円を目の前に作った。

 汗にかすむ目を手の甲で擦り、携帯を開いて画面を見る。起動していたランニングアプリが私の走行状況を提示し、経過した時間、距離、消費カロリーときて、最後に映った情報。それに思わずニヤリとした。――平均速度、速くなってる。その確かな成長は、中年になればなるほど失われた新鮮な感覚だった。私はさらに速度をあげ、携帯とにらめっこしながら河川敷のなかを進む。徐々に増していく表示が、走る辛さを忘れさせてくれた。

 ふと、目線をずらすと、月明かりに照らされる河川敷にはうっすらと看板が浮かび上がっている。その景色に、私は少し驚いた。それはランニングの際、ゴールに設定している看板だった。その看板で折り返し、帰途をたどることにしているのだ。
 ゆえに、肺が破れそうな私はいつも、看板を待ち遠しく思っていたのだった。そこに意識が向かなかったことに驚きがあり、それと等しく、自分への頼もしさに嬉しさが湧きあがった。

 月光が満たす、深夜の河川敷。川面は穏やかでキラキラと美しく、ずっとここにいたいとさえ感じる雰囲気だった。

――今日は、もう少しいけるかも。……よし、行こう!

 看板を通りすぎ、未知の領域に体を踏み入れる。ここから先が、すでに成長だった。煌々と浮遊する月は、今日も大きく美しい。体重、減ってるだろうな。体重計に乗ることを楽しみにしながら、熱気のなかを走る。夫のビックリする表情が、見物だ。


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このストーリーに関するコメント

14/07/28 草愛やし美

タック様、拝読しました。

何事が起こるのか? もしや、DVの夫から逃れる算段かとか、それとも浮気? 様々な私めの、怪しい不届きな予想を裏切って、清々しいまでの話に内心ちょっと落胆しながら(汗)、ほっとしました。

私も密かになんて思ったことありますが、難しかっただけにこの主人公にエールを送りたいです。旦那様の驚かれる顔、見たいものです。

最近のアプリは凄くものになっているようですね、fecebookの友人が時々、アプリを載せていますが、走行距離から消費エネルギーなど、目で見える効果は素晴らしいものでしょうね。私のガラケーにはそんなアプリがないので残念で仕方ないです。苦笑  面白かったです。

14/08/02 タック

草藍さん、コメントありがとうございます。

さまざまに疑惑を与えてしまったうえでの何でもない話、予想を裏切ってしまい申し訳ありません(*_ _)

なにか、深夜に走る女性の姿が目に浮かび、日夜どうしても離れず、こうして話にしてしまいました。読み返すと、けっこう何でもない話ですね。うーん、日常を楽しく書くのは難しい、と改めて思わされました。

私もガラケーですが、ランニングするときは「Run&Walk」というアプリを使っています。走行距離などが表示されるので便利ですが、その分、サボった面が数字としてあらわされるので、時に困りものです(笑)

ご一読、ありがとうございました!

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