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日向夏のまちさん

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クロアゲハ

14/06/02 コンテスト(テーマ):第五十七回 【 私を愛したスパイ 】  PRIVATE:I’S賞 コメント:0件 日向夏のまち 閲覧数:729

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暁闇に包まれた、高層ビルの群生する街。蜘蛛の巣の様な道々を吹き抜けていく風が、不気味な声で啼いていた。
一際高いビルの、屋上。私は耳をすませる。
街を、ビルを、私を。呑み込むように昇り、包み、押し倒そうとする風が。
けれど力任せのそれは、冷たく怯えている様で。
追い打ちをかけるかのように、地に落とすが如き底冷えの通知音。
あぁ、まただ。

『差出人:M
 件名:
 本文:黒蝶を撃ち落とせ』

また、殺さなきゃ。
鈍の冷たい輝きを、胸に抱く。自らに溶け込んでしまいそうなほど、似通ったその温度。
「YES、マスター」
夜が、明けた。

資料によると、「黒蝶」とは、他国の諜報員、スパイである。
我が国の機密情報を知ったとかで、殺せとの命令だ。
Masterのモットーは、「疑わしきは殺せ」。
つまり、機密情報を知ったのかどうかも怪しいものである。
相棒のスナイパーライフルに取りつけた照準器を覗きながら、思う。
要は殺すだけの簡単なお仕事だ、と。
視線の先には、随分と立派な一軒家。屋敷というには一回り小さいだろうか。
そんなことは、どうでもいい。
観察を続けて一週間。私は潜伏場所、少し離れたマンションの屋上で、首を捻っていた。
特徴は、一致するのである。
長い手足とひょろ長い痩躯。もしゃもしゃのくせ毛。猫の様に軽い身のこなし。
けれど、行動が解せなかった。
毎日毎日、ああして屋敷の庭の木をクライミングしてはニ階の窓を叩き、出迎えた可愛らしい少女に季節ごとの自然を渡して、やけに楽しそうに話し笑っては窓から帰って行くのだ。
けれど部屋から一歩も出ない少女と、その顔色から、私は大体を悟った。
大方、体の弱い箱入り娘かなにかだろう。
それを励ます優しいおじさん、といったところか。
強く、奥歯を噛み締めた。
そんな時だった。
「ッ!?」
頬を何かがかすった。
いや、長年の勘は、既に答えを知っていたのだけれど。
弾丸である。
反射的に伏せた。螺旋を描く二つ目の鉛が、かつて額の存在していた空間を裂く。
照準器を取り外した。覗き込むように、屋根の端ぎりぎりから見る。
いつもの屋敷、その門前に出で立つ、「黒蝶」の険しい眼差し。
得物は、銃身の長い自動式拳銃だった。
――ふざけるな!
脳内で叫ぶ。こちらの潜伏先は、「黒蝶」の姿すら肉眼では確認できないほど、遠くだというのに。
けれど、私の中の冷静は理解していた。
長年の勘は、なにもかも知っているのだろう、と。
ブラボーを叫ぶように、ぞんざいに構え照準を合わせたライフルが火を噴く。大幅に外れた弾丸は、石畳をポップコーンか何かの様に弾ませた。
宣戦布告。開戦の合図だ。
そう、身を起こし駆け出そうとした瞬間だ。
額を何かが殴る。
「……ッは!」
息が詰まり、上体が反る。視界を澄み渡る空が占め、辺りがシンと静まった。

気が付けば、コンクリートの屋上に四肢を投げ出していた。
じんじんと痛むおでこ。右手の甲で軽く触れてみると、掠り傷程度に滲み出た赤が付く。
ゆっくり、起きた。傍らにはゴム素材の、殺傷力が無い訓練用の弾丸が、ぽつねんと転がっている。
殺されずして、負けた。
「なんだ……」
笑えて来る。
「しっかりスパイじゃんか……」
振る舞いに、期待した自分がいた。
殺さなくて済むんじゃないかって。
これ程の善人なら、人違いじゃないかって。
頭を冷やしてくれる、メールの着信音。
抱えていたライフルを投げ出し、ポケットを探る。

『差出人:M
 件名:
 本文:事情が変わった
    明日までに仕留めろ』

もう、最初のメールの雑な暗号化も、意味がないじゃないか。
「YES、マスター……!」
しずくを、零しただろうか。

国に拾われた私には、出自というものが存在しない。
路地裏を駆けずり回って、小さな街をしっちゃかめっちゃかにした私は、そのセンスを買われたようだった。
気が付けば、殺しに必要な事ばかり教わって。
そういえば先生は、「黒蝶」に似ていた気がする。
一番最初に私が殺したあの人は、やけに優しかったあの人は、「黒蝶」に、何もかも、似て。
あぁ、だから、
「殺したく、なかったのか……」
翌日。
覗き込んだ先には、「黒蝶」。
しっかりと狙いを付けて、呼吸を、止めて。
まるで口づけをするように優しく、引金を引いた。
消音器に殺されたのは、「愛してる」の言葉。
けれど弾丸は、確かに「黒蝶」を、黒いアゲハ蝶その翅を打ち抜いていた。
「完了です、マスター」
震え、濡れた声。
やっぱり私には、無理だ。
照準器の先には、撃ち落とされた黒アゲハ。
私と同じ。もがけども、もう闇に紛れ、飛ぶ事は出来ない。
あの人は、今日も優しい笑みであの少女を励ましているのだろうか。
微かながらに妬けた心は、冷たいライフルと混じり合う事は、なかった。


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