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泡沫恋歌さん

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【 私的検証 】義経とその讒言者(ざんげんしゃ)

14/05/28 コンテスト(テーマ):第五十七回 【 私を愛したスパイ 】  PRIVATE:I’S賞 コメント:13件 泡沫恋歌 閲覧数:2426

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 梶原景時(かじわらのかげとき)という男、稀代の告げ口魔にして、讒言者(ざんげんしゃ)である。
 元々は平家に属していたが、治承四年、石橋山の合戦で大敗し逃走する源頼朝(みなもとのよりとも)を見逃し、命を救った縁から、鎌倉幕府で仕えることとなった。頼朝の信頼も厚く、景時は侍所所司として御家人の統制に当たっていた。

 平氏討伐の際、源義経(みなもとのよしつね)には梶原景時が軍奉行としてつけられた。景時はお目付け役で、鎌倉にいる頼朝に義経の行動を逐一報告するためのスパイだった。
 頼朝と義経は清和源氏の嫡流・源義朝(みなもとのよしとも)を父とする異母兄弟であるが、頼朝の母は熱田神宮宮司の娘で、三男として生まれたが正室の子なので、源氏の嫡流として育てられた。かたや、義経の母、常盤御前(ときわごぜん)は九条院に仕える雑仕女で絶世の美女であったと伝えられる。

 さて、この二人が対面したのは頼朝が挙兵して都の平家を攻め込もうしていた頃だった。黄瀬川の宿に居る頼朝の元に、僅かな兵を引き連れて義経が馳せ参じた。その時、兄弟は手を取り合って涙を流して喜んだといわれるが……ここで一つ大きな勘違いが生じた。
 我が兄と頼朝のことを慕い「兄弟力を合わせる」という想いが義経の脳裏にインプットされたが、頼朝の方は身分の低い妾腹の子、義経なんか家臣としか思っていない。 
 ――頼朝という男は、誑し(たらし)の達人であった。
 頼朝に誑されて、平清盛に命乞いをした池禅尼(いけのぜんに)、流された伊豆で北条家の娘、政子を誑し、頼朝に心酔している景時はすでに誑されている。
 そして『お兄ちゃん大好きっ子』義経もまた誑されてしまった。

 
 スタンドプレーが好き自由奔放な義経VS.頼朝の威光を笠に着るスパイの景時。
 木曽義仲追討として共に上洛し、そのまま平氏追討に当たったが、屋島の戦いあたりから作戦上の問題で対立。壇の浦の戦いでは勝利できたが、義経の勝手な行動を景時は逐一鎌倉に報告していた。
 本陣にて指揮を執るべき総大将が先陣に立って動いたために士気が乱れ、諸将が貰うべき恩賞も独り占めしてしまった。大将なら動くべきではないと諌める景時であったが、義経は利かない。この二人犬猿の仲というか、気が合う筈もない。
「私に逆らえば、頼朝公に逆らうのと同じじゃあ!」と義経を恫喝しても、「バーカ! お前の言うことなんか知るか! 俺はお兄ちゃんの言うことしか利かないもーん」
 義経は自分の大将は鎌倉の頼朝だと反論し、景時は義経を大将の器ではないと判じた。
 景時の『義経が調子こいて言うこと利きませ〜ん!』という書簡を読む度にイライラを募らせる頼朝であった。本来、頼朝という男は猜疑心が強く、嫉妬深い、日本一の白拍子、静御前(しずかごぜん)を義経が愛人にしてるというだけで嫉妬でメラメラしている。その彼にいろいろ焚き付けて、兄弟の仲を裂いたのが景時が発信する『チクリメール』だったことは疑う余地もない。

 兄弟の亀裂の決定的な原因は、
「平家を討ち滅ぼした後の判官(義経)殿の様子をみると、常日ごろの様子を越えて猛々しく、士卒軍兵たちはみな心のなかで、どんな憂目にあうかと、まるで薄氷を踏む思いであって、真実に和順する気持ちはまったくありません」要約すると、義経があらぶってて怖い! どんな酷い目に合わされるか、みんな脅えています。本当は大嫌いでーす。(みんなの反応)
 さらに具体的に「平家追討を果たしたら、逢坂の関から西は義経が頂戴する。天に二つの太陽はなく、国に二人の王はないというが、これからは後二人の将軍がいることになるだろう。と言われました ―略―」(景時・談)
 この讒言に頼朝は激怒し、義経への不信感を募らせ、ついには義経討伐へのストーリー展開となった。
 その後いろいろな駆け引きや事件を経て(文字数の関係で割愛)義経は二百余騎の軍勢を率いて、粛々と京から出ていった。さらの兄が放った追捕使たちから逃れ、ひたすら北国を目指してスリリングな逃避行となった。
 奥州(岩手県)・平泉に藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼って身を寄せる。そこで庇護されるが、平衡が病で倒れた後、鎌倉幕府に寝返った息子によって討たれた。
 スーパースター『乱世の英雄』源義経は奥州でその生涯を閉じた。享年三十一歳。

 そして梶原景時は、源頼朝の死によって後ろ盾を失い、わずか一年で他の御家人たちに嫌われて、六十六名から弾劾を受けて、ついに鎌倉から追放されてしまった。
 頼朝と義経の兄弟愛を裂き、何人もの御家人を陥れた讒言者である梶原景時の最期、駿河国で合戦となり討ち死して一族が滅ぼされてしまった。
 結局、頼朝に愛されたスパイ景時は、口が災いとなって身の破滅を招いたということだ。――因果応報というべきか。


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このストーリーに関するコメント

14/05/28 泡沫恋歌

写真は「義経」人形です。http://park11.wakwak.com/~moonlight/jenny/018yositune.html


《参考文献》

「2時間で分かる図解 源義経」  中見利男 著
「義経」            宮尾登美子 著

その他、ネットなどで検索しました。


あくまで、私的な見解なので史実に忠実というわけではありません。
フィクションとしてお楽しみください。

よろしくお願いしますO┓ペコリ

14/05/29 ドーナツ

拝読しました。

スパイっていうとすぐに浮かぶのが洋物のボンドですが、日本の侍時代を持ってきたとこに、すごく新鮮味を感じました。

語り口も面白くてひきこまれます。
歴史嫌いな人は、ぜひ 恋歌さんの語り口で読んだら好きになりそうな気がします。

景時は、お気の毒というか自業自得というか、ほんと、神様、どっかで見てるんだなぁと改めて思います。

14/05/29 鮎風 遊

頼朝と義経、それに絡む政子と静御前、永遠の物語ですね。
私は政子がすべてを操ってた気がしてます。
あの時代にワープして、この四人の本音を聞いてみたいものです。
きっと頼朝と義経はそんな思い違いな関係だったのでしょうね。

そんなミステリアスな話しで、また創作意欲に火をつけてくれました。
ありがとうございました。


14/05/29 泡沫恋歌

ドーナツ 様、コメントありがとうございます。

今回、スパイと聴いて007のジェームス・ボンドが頭に浮かびましたが、
斜め上をいって和物で挑戦しました。

日本のスパイといえば忍者ですが、敢えて讒言者の梶原景時にしました。
この人は頼朝の懐刀というべきスパイですから。


今になって誤字を見つけてしまったΣ( ノω`*))ァチャー!! 

さらの兄が放った(誤)⇒ さらに兄が放った(正)

とある、サイトにチクられそうだわ(笑)

14/05/29 泡沫恋歌

凪沙薫 様、コメントありがとうございます。

日本史では義経ファンも多いのですが、敢えて書かせていただくと・・・
義経さんはなかなかヤンチャだったようです。

実は手を焼いていたのは景時さんの方でストレス溜まっていたようです。

義経の戦は奇襲を得意としますが、源平の当時は卑怯な戦法だといわれてました。
壇ノ浦では、船をこぐ船頭目掛けて矢を放ち、戦闘不能にしてから敵の船に乗り移りましたが、
これは当時の戦いの作法「船頭に矢を放ってはいけない」というルール破りなのです。

まあ、勝てば官軍で許される事かも知れませんが・・・
結構、ズルイやり方で義経さんは勝利をおさめているんですよ。

14/05/29 泡沫恋歌

鮎風 遊 様、コメントありがとうございます。

義経好きの鮎風さんを差し置いて、義経で作品を書かせていただきました。

私はこの源平の時代が特に好きで、宮尾登美子の「平家物語」も読みました。
あれを読むと、ホント平家が可哀想になってきますよ。
案外、清盛をはじめ平家の人たちはお人好しというか・・・詰めが甘いんです。

何んと言っても、頼朝と義経を殺しておかなかったのが・・・痛恨の極みですね。
そのせいで平家一門が滅びてしまったのだから・・・。

14/05/30 クナリ

長いコメント、まいります!
源平を扱った、泡沫さんのせいですよ!(←コラ)

平家物語きっての嫌われ者(^^;)、梶原景時ですね。
義経をヒーローにするかダークヒーローにするかは作品によって異なりますが、梶原さんだけは大抵だめな人扱いされているような気がします…。
頼朝の冷酷さの描写や義経の欠点話のほとんどが、北条氏のものとなった幕府が編纂した吾妻鏡によるものなわけで、「頼朝を悪者にしようとする、北条氏の意図があるのでは…?」と勘ぐらずにはいられませんが、どうしても頼朝に”愛情深きお兄ちゃん像”は抱けませんねー…。
政治家としては凄いんだと思うんですけども。

凪沙さんコメントの八艘飛びは、凄い勢いで義経軍深くまで切り込んできた平教経から逃げた時の技ですから、前線で義経が「へいへーい」とかいって披露してたわけではない…と思いたい…思いたいッ!
でもあの方、そんぐらいやりかねない気も!

政子と静御前て、お互いにどう思っていたんだろう…対照的な二人ですが。
吉野で静御前が捕らえられた後、鎌倉で直接邂逅したりしたのかなあ…。妄想妄想。
静と巴のガールズトークとか、聞きたいですね(そうか?)。

義経の戦術についても諸説ありますね。
武士道ができたのは江戸時代なので、源平時代はまだ確立していなかったとも。
当時の合戦ルールは「言ったもん勝ち」「そん時そん時」「やりたい人がやる」であって、明確な文化としては成立していなかったという話もあります。
そうすると当時の平家からしたら、「今まで思いつかなかったそんな戦術、ズルイ!」ということで卑怯といわれたのかもしれませんし…(←義経さんを必死でフォロー中!)。
義経さんの、「敵の補給路や退路を断つor絞る」→「敵を攻めやすい窮地に追い込んでから戦う」→「本隊のぶつかり合いのみでなく、挟撃や奇襲も用いる」、というリアリズム溢れる戦いは、貴族化が進んでいたらしい当時の平家には脅威だったことでしょう…。

あの水夫を撃つというのも義経が指示したという史料はありませんが(平家物語にも直接そうは書かれていなかったような)、「え、そんなんやっていいの? こーりゃ効率的!」とかいって皆やりだしたら水夫はたまったもんじゃないですね…。
まあこれについては前後の状況から見て、九州からの補給路を断たれて武具の尽きていたらしい平家が一方的に射られまくって水夫もばたばた亡くなっただけ、という説もありますが…これもあくまで推理ですからねー…。
奇襲に至ってはほとんど物語発のお話で、義経自身の報告だと逆落としの時の戦についても「一の谷は、谷の口からふつーに攻め込んだっス☆」とか書いてたらしいですし(確か『玉葉』にあったような)。
この時代頃の史料で、義経の戦い方を「卑怯」と表現するものは見当たりませんが(あるのかなあ)、当時はどう思われていたんでしょうね〜。特に身内から…。

史料だと、義経さんはどちらかというと合理的な事前準備の周到さが目立っていますが(「こことここ抑えてからここ攻めて、こっちはこの勢力を懐柔してこの辺に集結させてー、それでここ叩けば一網打尽ッ♪」、みたいなの)、ファンですらそういう地味なところはやはり読んでてもつまんないですね(^^;)。

日本史は堅苦しくなく、こういうフランクな切り口で「人」に興味が持てるように教えてもらえれば、歴史ファンはもっと増えると思うんですけどね。
「いいから年表覚えなッ!」的な教え方では、苦痛になるんですよね〜…。

14/05/30 クナリ

上記のコメント、コメント記入欄の小窓では気づきませんでしたが、本当に長くなってしまってすみません…。
以後気をつけます。
なにとぞご容赦ください…。

14/05/30 草愛やし美

泡沫恋歌様、拝読しました。

そして、少しばかり歴史を勉強させていただきました。泡沫様は、歴女そのものかと思います。難しいのに、どこがおもしろいのか歴女さんたち。なんて、考えておりました私ですが、きっと、歴女さんの頭の中では、このような面白さで歴史が見えているのかもしれませんね。いや、素晴らしいです。お調べになったにしろ、それを消化し、コミカルに仕上げられた技。その才能に参りました。*。ワォ!!(゚∀゚屮)屮.+゚*。

14/05/31 そらの珊瑚

恋歌さん、拝読しました。

歴史の影にスパイ在りでしょうか。
現代の言葉での会話が楽しくて、引き込まれました。
時空の隙間から見てきて、まるで中継しているような…。
面白かったです!

14/05/31 泡沫恋歌

クナリ 様、とっても熱いコメントありがとうございます!

私は平家贔屓であのヘタレ感が好きなんですよ。

平家は清盛が死んで衰退しましたが、実は重盛という嫡男に先に病死されたことが一番堪えてるんです。
重盛という先妻の生んだ息子は、大変キレ者で京の公家たちとも良い関係を作っていたのですが、如何せん早死にされた。
後に残った息子たち(時子は生んだ)は、その器ではない。
知盛だけは武士らしいが、嫡男の宗盛はどうしようもない馬鹿息子。壇ノ浦で一族が入水する中、「死ぬのは嫌じゃ〜」と逃げ回り、見苦しいと怒った家臣に捕まって、無理やり海に放りこまれたが、「助けてぇ〜」ともがいて船頭の櫂かなんかに引っ掛かった助かった。
義経に必死で命乞いするが、結局処刑されてしまった。
生き恥を晒しただけの宗盛は平家の恥ですわ。
とにかく、平家の人たちは非力な芸術家ばかりで、笛や琵琶や和歌で勝負したら勝てたと思う(笑)

私の平家観は宮尾登美子の「平家物語」(4冊完結)からの知識なので、どうしても平家が被害者っぽく語られています。
まあ、当時の戦法にルールがあったかどうか、詳しいことは知りませんが、何かの本で当時は奇襲戦はなく、だいたいこれくらいに戦しますからと、申し合わせ(敵同士)があったと読んだことがあるんです。
平家の人たちは貴族化してたので、戦の最中でも本陣から宴の音が聴こえてきたとか・・・全く緊張感のないダメな奴らですが、私は彼らが好きです。

まあ、義経ような稀代の戦上手にかかってはひとたまりもなかったでしょうね。
武将らしく死んだ知盛さんだけが平家の救いですわ。
ところで平家の男たちと都落ちした女人たちはほとんどお咎めなし、彼女たちはほとんど藤原貴族の娘たちだから、知盛の奥さんも女官として、その後、宮中に復活してます。

ちなみに、都の姫君たちには東国武士はいかつくて、むさ苦しく、野卑で気持ち悪いと嫌われていたようです。
東国武士に嫁になるくらいなら死んだ方だマシだと言われていたらしい。
平家が貴族化して、みんな化粧をして楽器や歌を詠んだ原因はたぶんここにあったと思う。

武士は姫君にモテない。ゆえに貴族化した平家のみなさん。← 結論

14/05/31 泡沫恋歌

草藍 様、コメントありがとうございます。

歴史は人間の物語なので、その時代と人に興味があれば難しいということはないです。
私の歴史への興味は勝手な思い込みや独善もあるので正しいかどうかは分かりませんが、
人の物語として、歴史を語りたいと思ってます。

14/05/31 泡沫恋歌

そらの珊瑚 様、コメントありがとうございます。

梶原景時という男は、いろいろ調べたらスパイというよりも、頼朝に傾倒していて、忠心が過ぎた家臣という見方もあるみたい。
頼朝のためになればと思って告げ口をやり過ぎて、みんなに嫌われた人みたいです。

やっぱり、頼朝さんに誑されていたのでしょうか?

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