ポテトチップスさん

20代の頃、小説家を目指していました。 ですが実力がないと自覚し、小説家の夢を諦めました。ですが最近になって、やっぱり小説家の夢を追い求めたい自分がいることに気づきました。久方ぶりに、時空モノガタリ文学賞に参加させて頂きます。 ブログで小説を書いてます。http://www.potetoykk.com

性別 男性
将来の夢 太宰治賞もしくは北日本文学賞で最終選考に残ることです。
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12/06/10 コンテスト(テーマ):第七回【 結婚 】 コメント:0件 ポテトチップス 閲覧数:2050

時空モノガタリからの選評

最終選考

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 風呂から上がった草野正人は、冷蔵庫から缶ビールを1本取り出し、部屋の中央に置いてある大きめなソファーに腰を下ろした。
 プルタブを開け、缶ビールを呷った。
 今日で俺も40歳になったのかと、時の経つ早さに驚きと寂しさを感じた。
 しみじみと缶ビールを飲み、3本程空にすると、ようやく酔いも回ってきて、心の奥深くにしまってある、大切な思い出が入っている数ある壷の中から、ひときわ鮮やかな色をした壷の蓋をそっと開けていった。そこから放たれる芳しい匂いに、草野は吸い込まれていった。

 今から6年前の草野正人が34歳だった頃、彼には7歳年下の渡部美幸という交際していた女性がいた。
 あれは、6月の中旬の土曜日の夜の事だった。レストランで美幸と一緒に食事を楽しんでいた時、頃合いを見計らってポケットから紫のケースに入った結婚指輪を美幸に渡した。
 「美幸、受け取ってくれ」
 美幸は目を大きく見開き、フォークとナイフをそっと置き紫のケースを受け取った。
 ゆっくりとケースを開けた後、潤んだ瞳で草野の目を見つめ返した。
 「俺と結婚して下さい」
 「私で本当にいいの?」
 「美幸と一緒に人生を歩んで生きたい」
 美幸の潤んだ目から、一滴一滴、涙が零れた。
 あの時程、女性の涙が美しいと思った事はない。
 「私でよかったら喜んで…」
 人生で初めてのプロポーズは成功に終わったが、これ程、言葉に責任という重みを感じながら話すのもまた初めてだった。
 人間は心の中で思っている事とは別の事を、笑顔を浮かべながら平気で口に出来るが、
誠心誠意こめて放つ言葉は、心を幾分か疲労させる事も気づかされた。

 その日から、結婚に向けての話は着々と進んで行った。
 籍を入れるのは、来年の1月27日に決めた。その日は美幸の誕生日だからだ。
 2人で話し合い、結婚式は開かない事に決めた。美幸は結婚式を開きたいようであったが、草野の意志を通してくれた。
 草野正人は、中学1年生の時に父を病気で亡くし、中学3年生の時に母もまた病気で亡くしていた。
 母を亡くした後は、母方の祖母の家で暮らしたが、祖母も高校3年生の時に亡くなっていた。
 親戚付き合いもなかったので、結婚式を開く事に草野は反対したのだ。
 「ごめんな美幸。結婚式開いてやれなくて」
 「いいのよ、気にしないで。それより、そろそろ住むところ決めないとだわ」
 「どこに住もうか?」
 「駅前の近くに都営住宅があるじゃない。あそこに入居出来ないかしら?」
 「都営住宅か…。今日は休日で役所が休みだから、明日、会社の昼休み時間に役所に電話して聞いてみるよ」
 「お願いね」

 翌日の月曜日は、朝からどんよりとした厚い灰色の雲が空を覆っていた。
 電車に乗って会社に向かい、駅から会社に向け歩いているとポツポツと空から雨が落ちてきた。
 傘を差し、しばらく歩いていると、夏の陽射しが厚い灰色の雲の隙間から差し込んできた。ポツポツ落ちていた雨も止み、傘を畳んで会社に向け歩いていると、陽射しはまた雲に遮られ、今度は急にザーザーと雨が降り出してきた。
 傘を差し直しながら、変な天気だなと草野は思った。
 会社の昼休み時間になり、草野はオフィスから外に出て役所に携帯電話から電話を掛けた。
 役所の受付電話窓口で担当に繋いでもらった。
 「あのう、駅前の都営住宅に入居したいと思ってるんですが」
 「扶養者はいますか?」
 「えっと、来年の1月に結婚するんです」
 「そうですか。ちょっと待って下さいね、空きがあるか確認しますので」
 耳に当てた携帯電話からは、軽やかなメロディーが流れていた。
 少しして、軽やかなメロディーは遮られた。
 「もしもし、今、確認しました所、空きがあるようですね」
 「良かった。家賃はいくらくらいなんでしょうか?」
 「その変の話も詳しくしたいので、電話ではなくて一度、役所まで来て頂けますか?」
 「分かりました。休日は休みですよね?」
 「来週の日曜日は、臨時で役所がやってます」

 電話を切った後、美幸に電話を掛けた。都営住宅に空きがあるのを早く教えてやりたかったからであったが、何度掛けても電話は繋がらなかった。
 昼休みも終わり、仕事をしていると携帯電話に電話が掛かってきた。
 美幸からかなと思い電話に出ると、警察からであった。

 ソファーにうずくまるようにして眠っていた草野正人は、目を開けた。
掛け時計を見ると、深夜0時を少し過ぎていた。
 目から流れた涙が頬で乾いていて、掌でそれを擦った。
 久しぶりに心の奥深くにしまってある、美幸との思い出の壷を開けてしまい、今は悲しさが胸を膨らませていた。
 6年前の夏の、朝から気味悪い天気だった日の昼頃、どうして美幸は線路に飛び込んだのだろうか…。


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