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うんこ夫人

14/04/15 コンテスト(テーマ):第五十五回 時空モノガタリ文学賞【 予感 】 コメント:0件 五助 閲覧数:994

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「出ないわ」
 緑のタイルに囲まれ白い便座に尻を置き、由美子は一人ため息をついた。もう、五日になる。出て来ないのはうんこである。
 できる限りのことはやった。それこそ人に言えないようなことも、そもそも人に言うことではない。とにかくいろいろやった。それでも出ない。しかし便意だけはあった。もうすぐ、もうそろそろ、ああ来るぞと、予感だけはあったが先っちょすら出てこない。
 そんな折、由美子は嶋夫人に句会の誘いを受けた。嶋夫人は夫の上司に当たる方の奥様で、由美子は夫の上司の奥様という関係だけではなく嶋夫人の飾らない人柄に好感を抱いており、句会自体、雑談がメインの、それほど堅苦しい句会ではないということも知っているので、句会の誘いが嫌だということはなく喜んで受けたいところだが、まさか便秘でいけませんなどと、いえるわけが無く、ふさわし言い訳が思いつかず、その前に解決しているかもと受けてしまった。
 ところが家から出る直前になっても解消されず、いたしかたなく着物に着替え句会に出かけることになった。

 参加者は十人ほどで会社関係の方や大学病院の教授の奥様など見知った人が何人かいた。テラスのある喫茶店で貸しきりでおこなわれた。窓からは雑木林と連なる山、初夏の暖かい日差しと変わりゆく季節の匂いがした。少し軽めの食事とデザートをいただきながら、女性同士、収まりきらない会話を続けていたが由美子はかすかな便意に何度も席を立ち、いっこうに開放されない重みを抱えて顔こそ、にこやかにしているものの早く終わって自宅のトイレに帰りたいと、そればかりを切に願っていた。
「あら、ずいぶん、お時間がたってしまったわ。嶋さん、そろそろお題を出していただかないと、今日は句会で集まったはずですわ。これじゃ、女子会になってしまいますわ」
「あら」
 嶋夫人が手を一つぽんと叩いて笑った。それにつられて他の方々も笑い声を上げ、由美子も遅れながらも笑った。
「そうね、忘れるとこだったわ。私が主催者なのにとんだ粗相を、どうしましょ。簡単なところで、水、なんていかがでしょう」
 句会は席題で、いつも嶋夫人がお題を出している。席題は主催者が当日お題を出して、出席者がその場で句を作るという難しい方式である。当然ながらそれをできる人間を嶋夫人は集めている。いつもの由美子なら、お題を聞いた瞬間、無数の言葉と様々な情景を思い浮かべることができるのだが、水と聞いても、由美子の頭の中には自宅の緑色のタイルに囲まれたトイレのことしか思い浮かばなかった。
 由美子の焦りを尻目に、ほんの少しの間に、二つ三つと句ができあがり、それらを皆で批評しあっていた。誰の句が一番よかったかなど決めるようなやり方を取っていないので皆それぞれ、勝手に手を挙げ句を詠んで批評していた。優劣をはっきりさせない分、悪いものは空気のように払われた。
 つぎつぎとできあがる句を聴きながら、由美子は混沌と入り交じった、上を下に入れ替えるような、ただならぬ焦りを感じながらも懸命に心に浮かんだ情景を言葉で切り結んでいた。水、水、水仙、スイセンの花が庭の花壇のブロックからこぼれ落ちそうに咲いている。そんな情景が一瞬頭に浮かんだ。

 足踏みに 押しぞ忘れる 水洗トイレ

 そうそう、あるのよね。古いスーパーとかで、和式で手でレバーを押す奴じゃなくて足で踏む奴、いつもと違うから、お洋服を直している間に、なんだか流し忘れちゃって、しばらくたってから思い出すのよねぇ。違うのよ! そっちのスイセンじゃない。由美子は書いた句を慌てて墨で消した。
 一通り由美子以外の参加者が句を詠み終わった頃、何となく由美子に注目が集まり始めた。あら、今日はまだなのねと、そんな視線を感じながらも由美子はなんとか絞り出した。

 緑壁に 出あい落つるは 返り水

 声がかすれ、少し切なげに聞こえた。
 婦人達は由美子の句を吟味した。
「出あい落つる。出会ってすぐ、まるで落下するかのような恋に落ちたにもかかわらず、壁に阻まれ成就しない、もどかしい道ならぬ恋の歌かしら」
「返り水はお別れの涙ということなのね」
「でも返り水ですわ。帰り水なら道ならぬ恋に帰っていく相手を思う涙になるでしょうけど、水が返ってくるわけですよね」
「お手紙かしら、お別れの返答、そこに落ちた涙のことを詠んでいるのでは」
「緑壁越しに自分の涙を拭いたハンカチで、お相手の涙を拭く、私には、そういう情景が思い浮かびましたわ」
 しばし、返り水の解釈を巡って議論が起きた。
「そろそろ返り水について解説をなさってくださいな」
 聞かれた由美子は意味深に唇を押さえ小首をかしげた。
 緑壁に 出あい落つるは 返り水
 壁が緑の自宅トイレにて、ひねり落ちた便の水しぶきが返り、尻に当たる様子。などと言えるわけがない。


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