はちゃめちゃ太郎さん

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12/06/03 コンテスト(テーマ):第七回【 結婚 】 コメント:1件 はちゃめちゃ太郎 閲覧数:1644

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 幸せが怖かった。あたしの全てが終わると思っていた。
 あたしは舞台女優。どんな役でも演じられる。世間からは天才と呼ばれ、常に脚光を浴びていた。
 あの役と出会うまでは――。

 二年前、あたしはあるお芝居のヒロイン役に抜擢された。
 その人物の設定は、大恋愛の末に結婚をして幸せな生活を送るも、やがて自身が難病に侵されていることを知り、それを頑なに隠し続けて最後に病死してしまうというもの。
 夫とともに病苦を乗り越えようとすることに感動を見出すのではなく、一心に幸せだけを求めて必死に生きようとする姿を描くことで、幸福とは何かと問うた異色のものだった。
 けれどもあたしは、その役柄をいつものようには演じられなかった。役は、心のなかに入り込んでくる。あたしは役そのものになる。でも、この役はそうなれなかった。怖かったから。病気のことよりも、結婚の中にある幸福が怖かったから。
 当然のようにその興行は辛辣な評価とともに大失敗となり、あたしの評価も地に落ちた――。
 若くして才能を持て囃されていたあたしの舞台人生が終わった。
 愛する人とともに生きていく、人生の中にある幸福が素晴らしいということを本能で知っていたから、あたしはそこに満足してしまうような気がして、先に進めなくなるような気がして怖かった。なのに、演じたことで全てが終わってしまったという皮肉――。
 その一年後、あたしをずっと見守り、心配してくれていた優しい人が、あたしを小さな劇団へ誘ってくれた。頼りになる、素敵な男性だった。
 新天地でのお芝居は楽しかった。いろいろな役になりきり、いろいろな感情を味わえるのが楽しかった。
 でも、その全てを終わらそうという気持ちは心の片隅にあった。あの人との幸せを欲してしまったから。

「オレと、結婚してほしい」
 なんの装飾もない、シンプルで、ストレートな言葉だった。
 小さな劇団員として色んな台詞にまみれている今のあたしは、そのことがとても嬉しかった。
「全てを――あなたとではない、あたしだけの全てを終わらせます」
 その芝居じみた台詞は、あたしなりの承認を意味したもの。あなたとともに生きますという意味――。

 そこからは幸せが続いた。
 二人で買い物に行ったり、ただ散歩しているだけなのに、この充足感が世界のあちこちを優しく輝かせて見せてくれる。二人だけの全てがただただ愛おしかった。
 すると、不思議な事に、いつしかあたしはお芝居をより一層頑張るようになって、忘れられていたはずの世の中に再び溶けていった。世界はあたしを欲してくれた。

 あれほど恐れていた幸福は、充足感は、足かせでもなんでもなかったんだ。

 あたしは馬鹿だったのかもしれない。幸福に溺れると、もうなにも演じられなくなると勝手に思い込んで自分から拒絶して――。

 外を連れ添って歩く老年夫婦のどこに嫌味があるだろう。

 最初からわかりきっていたことだった。

 ……今、あたしは難病に侵されていた。皮肉なことに、あたしの全てを終わらせたあの役と似たような状況にいる。
 けれど、最愛の人と一緒に生きてきてわかったことがある。あの役は、あの脚本を書いた人間は、幸福なんて知らなかったんじゃないかということ。強い絆で結ばれ、深い愛で満たされている人間は、一心に幸福だけを求めるなんて決してしない。だから、今のあたしは、それを知ったから、あの時のすべてを許せるんだ。
 あたしはもうすぐ死ぬけれど、あの人と逢えて良かったと思う。あたしのいのちは、あたしのこころは、全てを奔流のようにほとばしらせて、輝きを見せつけてくれると願う。その幸福の欠片が少しでも、今を生きる人々のこころに触れ、誰かの笑顔の素となりますように――。
 そう願いながら、あたしを見守る夫の手をじっと握りしめた。

                        了


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