1. トップページ
  2. 東京物語

幸田 玲さん

感想を頂けると幸いです。よろしくお願い致します。

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

3

東京物語

14/02/23 コンテスト(テーマ):第五十一回 時空モノガタリ文学賞【 奇跡 】 コメント:6件 幸田 玲 閲覧数:1569

この作品を評価する

 東京本社に立ち寄った僕は、午後から山手線に乗り込み渋谷駅を目指した。
 ハチ公改札口を抜けて、駅前周辺の人波をかき分けながら明治通りに進んだ。そして宮下公園を通り過ぎてから、だらだら坂を上り始めた。
 上りながら、彼女がこの坂道を下ってくるような気が何度もした。しかし現実には、見知らぬ人たちとすれ違うばかりだ。もし、記憶にある出来事が現実に起これば、それは奇跡に近いというほかはない。彼女と付き合っている間、何度もこの坂道で偶然のように落ち合ったことを思い出した。
 デートの日は、いつも渋谷駅から携帯で連絡することが習慣になっていた。
「今、渋谷駅に着いたから。十五分ほどしたら、迎えに行くよ」
「うん、待ってる」
 弾んだ返事は、いつも決まった台詞だった。自宅で待っていると思っていたら、ときおり、彼女とだらだら坂の途中で出会う。出会うというよりも、坂道の途中で僕を待っているのだ。
 ボブの髪形が似合う白い肌の彼女は、坂道を下ってくる。だらだら坂の途中で出会うと、彼女は口許に笑みを浮かべ、とてもうれしそうな表情になる。軽い足取りで隣に並び、きまって僕の左手を握りしめた。

 上り切った坂道を見下ろすと、眼下に中庭のある建物がみえる。そこは当時、彼女が母親とふたりで住んでいた公営住宅だった。昭和五十年代に建てられた古い建物であったが、渋谷駅から徒歩十分とかからず、利便が良かったせいか、転居する人はほとんどいなかった。
 彼女は、今はその公営住宅には住んではいない。昨年の暮れ、ひっそりと引っ越したという。近所の住人にも行き先を告げずに引っ越しをしていったので、周りでしばらく変な噂が立っていたらしい。公営住宅を訪れた僕に、隣の住人がそう言ったのだ。その建物をみつめていると、脳裏に、彼女との思い出が蘇ってくる。
 二年前に僕は大阪へ転勤となり、彼女と遠距離恋愛が始まった。僕は月に一、二度、金曜日の夜に大阪駅バスターミナルから夜行バスに乗って、東京に向かうことになった。
 僕たちは当時、土曜日の朝から日曜日の夜にかけてひとときも離れず、東京の街で過ごしていた。そんな遠距離恋愛の生活が一年半ほど続いた昨年の十二月初旬、僕たちの関係は終わってしまった。そしてその月の十二月の二十日過ぎ、彼女は母親と一緒に、住み慣れた公営住宅から立ち去っていたのだ。
 予感はあった。昨年の秋ごろからメールの返信が途絶えがちになり、返信の文章も素っ気なくなっていったからだ。
 昨年のクリスマスの三週間前、「もう、逢わないほうがいい」と書かれた十二の文字を残して、彼女からのメールは途絶えた。信じられない気持ちでメールを読んだ僕は、彼女と過ごした三年間の思い出がたった十二の文字でかき消されたような気分になり、胸が熱くなった。すぐにでも東京で彼女に逢い、真意を確かめたかったが、なぜか行動に移せなかった。彼女からの返信を読んだ後、心の中は動揺を繰り返すばかりで、何を言えばいいのかわからなかったからだ。メールをみるまでは、彼女との別れがあるなど疑いもしなかった。年が明けても、しばらく彼女に対する気持ちが揺れ動いて治まらなかった。
 
 最後のメールを受け取る一ヶ月ほど前の情景が目に浮かんだ。
「知らない、大阪の土地で暮らすのは嫌」
 円山町にあるホテルの一室のベッドの中で、彼女はそう言った。くぐもった声で。白く細い肩先にある髪が揺れた。ベッドシーツに顔を埋めたまま、彼女を嗚咽を漏らしていた。いつまで大阪勤務が続くのかわからなかった僕は、彼女にはっきりと応えることができなかった。彼女の名を呼んでも、髪を揺らすばかりで、彼女は応えることはなかった。 優柔不断な態度に嫌気が差してしまったのだろうか。それとも、好きだった母親のそばに居たかったのだろうか。たぶん、彼女は東京から離れられない気持ちが強かった野だと思う。ただ、住み慣れた公営住宅を年の暮れに引っ越す理由は、僕には思いつかない。僕と別れた理由と何か関係があるのだろうか。奇跡でも起これば、渋谷の街中で彼女と再会できるかもしれない。渋谷の街をくまなく歩いていれば……逢えるかもしれない。そんなことを、まざまざ考えていた僕は溜息を付いた。
 
 坂道から公営住宅の中庭を見下ろしていた僕は、渋谷駅に戻るために坂道を下った。宮下公園のあたりでふと立ち止まって見上げると、ビルの大きな窓ガラスに夕陽が映し出されているのが目に留まった。窓ガラスに陽光が反射して、まぶしいほどに美しい夕陽が僕の視線を捕らえた。渋谷の街で、何度も彼女と観た夕陽の輝きだったことを思い出すと、目頭が熱くなった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

14/02/28 クナリ

起きなかった奇跡のお話、ということでしょうか。
あるいは、奇跡のようだった思い出のお話。
面白かったです。

14/02/28 幸田 玲

クナリさん、はじめまして。

>面白かったです。
励みになるお言葉、どうもありがとうございました。

14/03/01 泡沫恋歌

幸田様、拝読しました。

美しい文体で、綴る主人公の心情ですが、最後に再会できるのかという
期待を見事に裏切られて、でもそこが小気味よく、むしろリアルだと思いました。

素晴らしい筆力に感銘しました。
ありがとうございます。

14/03/01 幸田 玲

泡沫恋歌さん
感想をいただき、ありがとうございます。

>素晴らしい筆力に感銘しました。
励みになるお言葉、どうもありがとうございました。

14/03/09 光石七

拝読しました。
丁寧な文章がより切なさを際立たせているように思います。
描写がきれいで、映画のワンシーンを見ているようでした。

14/03/10 幸田 玲

光石七さん、はじめまして。
感想をいただき、ありがとうございます。

>描写がきれいで、映画のワンシーンを見ているようでした。
励みになるお言葉、ありがとうございました。精進したいと思っていますので、よろしくお願い致します。

ログイン

ピックアップ作品