yoshikiさん

面白い作品を知り、自分でも書いて見たくなって何年も経ちました。よろしくお願いします。 2010年 小説現代S&Sコーナーに初めて送った作品が掲載されました。作品名『幽霊の見える眼鏡』 とにかく面白いものが書いていけるといいなと思っています。 イラストはエアブラシと面相筆で昔描いたものです。

性別 男性
将来の夢 楽隠居
座右の銘 不可思議はつねに美しい、どのような不可思議も美しい、それどころか不可思議のほかに美しいものはない。アンドレブルトン

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情念

14/02/20 コンテスト(テーマ): 第二十六回 【 自由投稿スペース 】  コメント:6件 yoshiki 閲覧数:1081

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 フランソワの笑い顔といったら輝くようで暖かくて、それでいて秘密めいたところがあって、もう中年をとうに過ぎて壮年に差し掛かったロベールにとって、フランソワは魅力的を超えて魅了的だった。 いい歳をしてロベールはフランソワを見るたびに青臭い少年の頃のように胸がキュンと痛み、嬉しいような悲しいような切なさを、胸の裡に感じてしまうのだった。
 赤い屋根のフランソワのカフェは長い石畳の坂道の中腹にあり、フランスの片田舎のアルルの街ではちょっと洒落た感じの店だった。もっとも店のつくりとか、そこに出されるチーズやカレー風味の肉が固いとか、柔らかいとかそんな事はロベールにとってどうでもいい事で、重要なのはそこにフランソワが居て、ごく当たり前の会話を楽しめる事だけで充分だった。
 フランソワは三十路に差し掛かってはいたが、その妖艶なバラの様な美しさは、僧侶さえも虜にしそうであったし、しっとりと落ち着いた雰囲気は彼女に気品を与えていた。
 ロベールは画家であった。しかし殆ど無名でここ久しく絵が売れた事がなかった。週に一度は絵を描いて街の画商の店に顔を出すのだが、画商はあまり良い顔もせず『もっと売れそうな、綺麗な花や婦人でも描いたらいかがですか』と幾分冷酷な微笑を浮かべるだけで絵を店に置いてはくれなかった。真実を吐露してしまうのなら彼は本気で絵は描いても、本気で絵を売ろうとはしなかった。
 彼の描くものときたら暗い風景画か、なんだか訳のわからない抽象絵画ばかりで多分余程の物好きでない限り、それを応接間に飾ろう等という人は稀だったに違いない。
 そう、彼は金も若さもない離婚歴のある六十過ぎの男で、芸術家としてのプライドに満ちてはいたけれどもどこか滑稽で、その彫りの深い顔にはいつももの悲しさが漂っていた。

「いやあ、こんにちはフランソワ」
 金曜日の午後、ロベールはそう言っていつものビールを頼んでから、ゆっくりとカウンター席に着いた。
「こんにちは、ロベール…」
 彼女の持ち前の明るく愛想のいい返事が返ってきたが、この日に限ってフランソワはすぐにロベールの前に来てはくれなかった。彼女はその時若い男と話しに夢中で、うっかりすれば彼が店に来た事にすら気付かない可能性も否めなかった。
 若い男は群青色のセーターを着ていて、目鼻立ちの整った気さくそうな青年だった。青年が大きなジェスチャーで話し、笑い、フランソワのご満悦の表情が輝いていた。その途端、ロベールの心に言い知れぬ嫉妬心が湧き上がった。例えるなら水を入れすぎて溢れてしまいそうなグラスの水面のように、ロベールの心は安定を失い、何か得体の知れない強い感情に突き動かされていた。
 その時始めてロベールはフランソワへの想いが単なる友愛などではなく、心の奥に紅蓮の炎を抱くほどの情愛だと知った。
 何度かロベールは無理に笑顔をつくって彼女に話しかけたりはしてみた。しかしフランソワは一瞬だけ彼に顔を向けただけで、青年との話しに夢中でほとんどロベールにはお構いなしだった。

 その日の夜ロベールはなかなか寝付かれなかった。そしてこう考えた。(しかし、見慣れないあの若い男は誰なんだ。ただ若いというだけでフランソワはあんな風に目尻を下げて話をするのだろうか、顔立ちがちょっと良く、話が多少上手いと言うだけでフランソワはあんな風に…… ああ、ただ若いというだけで)
 泣きたいほど狂おしい夜の中で彼は身悶えした。この時ほどフランソワが欲しいと思ったのは初めてだった。彼は寝付かれないままベッドから起きだし、絵筆を握った。そしてカンバスに何を思ったのか自画像を描き始めた。
 傍から見たらその時のロベールは狂気じみていたに違いない。彼の描き出したのは鏡に映った自分ではなかった。ずっと昔の若い頃のロベールであった。セピア色の色褪せた写真……。彼は真夜中だと言うのにアトリエを明るくして、その創作行為を一心不乱に続けたのだ。
 翌朝彼は疲れて深い眠りについていたが、又目を覚ますと若者の自分をカンバスに写し出していた。この上もない情熱を注いで、丹念に入念にカンバスに向かったのだ。

 ロベールが次にフランソワの店に出かけた時には、彼は疲れていた。徹夜に近い仕事を連日していたのだから無理もなかった。
「まあ、ロベールいらっしゃい。この前はろくにおしゃべりもしないうちに帰ってしまったわね。でも、ロベール。きょうは随分疲れた顔をしているのねえ、身体の調子でも悪いの?」
 率直な話し方をする彼女はストレートにそう訊いた。
「やあフランソワ。僕は今凄いものを描いているんだ。連日遅くまで仕事をしている。だからちょっと疲れているが、その絵が完成したらきっと君は目を見張って驚くかもしれないなあ」
「まあ、大作でも書き始めたのね。楽しみねえ、どんな絵なのかしら」
「フランソワ、君には感謝しているよ。僕の小さい絵を店に飾ってもらってさ」
「何を言うの、あなたの素晴らしい絵を飾らしてもらってこちらこそありがとう。ロベール」
 彼女は数少ない彼の絵の理解者であり、彼の絵のファンでもあったのだ。それはロベールにとって有難い限りで、彼女の為にだけにでも十分画家でいられると思えたのである。 
 それから例の青年の件はロベールはそれとなく訊く事もできず、フランソワもその事には一切触れなかった。

 ロベールの創作はそれからも続いた。来る日も来る日も彼はそれに全てを捧げるようにして取り組んだ。雪の降る寒い晩もそれは続いた。時には歌いながら、時には塞ぎ込んだままで創作は続いたのだ。
 ――そしてそれはついに完成した。等身大の自画像が大きなカンパスに描かれた。最後に彼はカドニュームレッドを混ぜて、自分の頬を多少赤くすると筆を置き、おもむろに頷いた。
 カンバスの中で若い自分が微笑んでいる。その自分をロベールはただじっと見つめた。しかし、その見つめたと言うのが尋常ではなかった。まるで霊能者がトランス状態にでも入ったような、風変わりで異常な眼差しで、その絵を食入るように見つめたのだ。そして高らかに、しかも噛み締めるように彼はこう叫んだ。
「若かりしロベールよ! 今、蘇れ若き情熱の使いよ、もう一度我になりてわが想いを叶えよ!」
 途端に絵の中のロベールに生気が宿った。彼は目を爛々と輝かせ、絵の中から抜け出てきたのだ。それと入れ替わるように壮年のロベールは絵の中へと吸い込まれていった。絵の中に納まった彼は暫らく密かな微笑を湛えていた。そして目を閉じてじっと動かなくなった。

  *  *

 よく晴れた日だった。ポプラの高木が天に届くほどに聳え立ち、柔らかな春の気配がロベールの足元に絡みついていた。大地から湯気のように立ち上る息吹を、爪先でかき分けて歩いていた。その若く艶やかな髪を持つ青年はポプラ並木を真っ直ぐに歩いていた。そう、フランソワの居るあの店に向かって……。

「やあ、フランソワ」
 彼は忙しそうに洗い物をしているフランソワに声をかけると、いつものように黒ビールを注文してゆっくりとカウンター席に座った。
「いらっしゃいませ」
 そう言ってフランソワが応じたが、最初は気がつかなかった。しかしロベールが薔薇の花を一厘カウンターに置くと不思議そうな顔になって彼を見つめた。
「フランソワ、僕がわかる? ねえフランソワ」
 彼女は無言で暫らく彼を見つめていたがやがて、はっとして足元が揺らいだ。
「フランソワ、僕はロベールさ。若返ったんだ。僕がわかる? ねえフランソワ」
「……」
「フランソワ、以前の僕は君にふさわしくなかった。あまりに惨めに歳をとり、塞ぎ気味で君に告白する勇気もなかったんだ。でも今は違う。今は自分に自信があるんだ。この張りのある肌を見てご覧よ、若さに満ちて輝いているだろう」
 フランソワはただ黙っていた。
「君は素晴らしい女性だ。フランソワ、僕は君を幸せにしてみせる」
 フランソワはいつものように笑わなかった。
「あなたロベールなのね。でもわたしは……」
「フランソワ。君を心から愛している」
 だがフランソワはまったく表情も変えずに毅然としてこう言った。

「あら、おあいにくさまロベール。あなたを見損なったようだわ、わたしの知るロベールは、そりゃ歳をとっていたけれど卑劣な人じゃなったわ、お金も名声も何も無かったけれどプライドと言う宝物を胸に秘めていたの。わたしの好きなロベールは売れない画家だったけれど、女々しい人では決してなかったの」
「な、なにを言っているんだいフランソワ……。 いったい君はなにを言ってる」
「あなたはわたしの知るロベールなんかじゃない! 帰ってちょうだい、帰って!」
「……」
 どうしていいかわからないロベールの落胆振りはあまりに痛ましく、見るに忍びないものだった。彼はそれ以上なにも語らず、まるで囚人が死刑の判決でも下されたように、肩を落とし神妙な顔をして店を立ち去った。
 フランソワは彼が出て行くまで毅然と立っていたが、彼がもう戻らないと知るとその場にしゃがみこんでしくしくと泣きだした。止まらない涙。
「ああ、ロベールあなたは馬鹿よ、大馬鹿だわ」
 彼女は誰にも聞こえないようにそう呟き暫らくすると、またせっせと洗い物をかたずけ始めた……。

  *  *

 だがフランソワは時が経つと、ロベールの事がとても気になって居たたまれなくなった。あの純粋なロベールの気持ちを思うと、あのとき自分は酷い事を言ってしまったのではないかと言う後悔が胸を締め付ける。

 ある夜フランソワは、一度だけ絵を見せてもらう為に行った事のあるロベールの家に行ってみることにした。とても古い大きな木造のロベールの家。でも今ではその家はあちこちが痛んで、床は歩くたびにギギーと音がした事を憶えている。玄関の扉の前に立ち、ノックをしたが静まりかえっていて、まわりに秋の虫の鳴き声が聴こえていた。ドアは鍵もかかっていなかったので、フランソワは中に入ってロベールの名を何度か呼んだが答えはなかった。
 そして地下のアトリエに降りて灯りをともすと、フランソワは息がとまるほどの衝撃を受けた。そこには年老いた冷たくなったロベールが床に仰向けに寝ていて、彼にはもう呼吸も脈も無いのだった。
「ああ、なんてことなの!!」
 彼女の悲鳴ももうロベールには届かない。泣き顔のフランソワが最後に観たものは、アトリエの壁に立てかけられた、大きなカンバスで、カンバスには若々しいロベールが描かれていて、とても優しい笑顔でフランソワを見つめているのだった。
「ああ、夢だったのね、ロベール。店に来たのはいつものあなただったのよ。それなのに……」
 フランソワはキラキラと光る涙を流しながら、静かにロベールに触った。




  *  *






 与えようとばかりして、貰おうとしなかった。
 なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。
 


    ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

                          FIN


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このストーリーに関するコメント

14/02/21 草愛やし美

YOSHIKI様、拝読しました。

人を恋することって悲しいですね。年を経ているのに相手のお方が若い女性ならば、なおさらでしょう。自分の現状を知るのは自分自身でありながら、それは主観的であって、客観的でなかったというのに……。彼女はきっと彼のそのままでよかったでしょうに、でも年をいくってそういうリスクを負ってしまうものです。

気持ちが痛いほどわかります。私も年を経た経緯を知っている人間ですので、たぶん若い方には想像もつかないような負い目があると思います。あの頃ならと奇跡を起こされた主人公は命を賭して絵を描かれたのでしょうね。悲しく切ない恋、ほんとうに恋をするには、年はとりたくないことかも。

14/02/21 朔良

yoshikiさん、こんばんは。
拝読いたしました。

ロベールのフランソワに対する思いの深さは、若いころの自分を蘇らせただけではなく、命まで落としてしまうほどだったのですね…。
フランソアの方も、偽りのないロベールを大事に思っていたからこそ、若返った彼に冷たくしてしまったのでしょうか。
ロベールの絵が生前一枚しか売れなかったというのも、ゴッホになぞらえてあるんですね。
最後の一文に考えさせられました。

14/02/21 泡沫恋歌

yoshikiさん、拝読しました。

結局、フランソワにとってありのままの彼が良かったのですね。
自分には若さが足りないと思いこんで、絵に若さを注ぎこんで
亡くなったロベールはなんか憐れでなりません。

読み応えのある作品でした。
ありがとうございます。

14/02/23 yoshiki

草藍さん。コメントありがとうございました。

歳をとると肉体的にはどうしても衰えてしまいます、精神もそれにつれて歪んでしまったりもします。いつまでも健全で若々しい気持ちだけは失いたくありませんね。やはり修養が大切なのかもしれません。恋は魔物(*^_^*)かも。

14/02/23 yoshiki

朔良さん。コメントありがとうございました。

フランソワはきっとロベールに好意を持っていたのですが、いきなり若返ったロベールを受け入れるには時間が必要だったのかもしれません。それで心にもないことを言ってしまったのでしょう。恋愛はタイミングも大切ですから。ゴッホは悲劇の画家のようが気がして、それをもとにして書いてみました。お読みいただきありがとうございました。

14/02/23 yoshiki

泡沫恋歌さん。コメントありがとうございました。

これはロベールの悲劇です。若いだけが人の魅力ではありませんよね。
と言いつつ。私若返りたいなあ。なんつって。いつもありがとうございます(*^_^*)

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