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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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とんかつ日和

12/05/28 コンテスト(テーマ):第六回 時空モノガタリ文学賞【 週末に。とんかつ伊勢 新宿NSビル店のモノガタリ 】 コメント:0件 そらの珊瑚 閲覧数:2449

時空モノガタリからの選評

最終選考

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 直子に割り当てられた場所は運良く窓際であった。新宿の病院とはいえ、窓から咲き始めた桜が見える。ひと通り下着やら湯のみやら身の回りのものを備え付けの小さなロッカーに納めていると、弟が、お世話になります、と同室の人にあいさつをしながらやってきた。
「わりかしいい眺めだね」
「桜はあんまり好きじゃないけど」
「まあ、そう言うなよ。寝ながら花見なんて贅沢な話だよ」
 五年前に末期の子宮癌と診断され、あっけなく母が逝ってしまったのも桜の季節だった。
「ねえさん、お昼とんかつ食べにいこうよ」
「えっいいの? 病院で食べなくても」
「さっき看護師に聞いたら、外出届けを出してくれたらいいですって」
「そうなんだ、案外病院も自由なのね」
「消化器系に病気があったらだめだろうけどさ」
 直子の子宮には先月見つかったばかりの癌があるらしい。手術はあさってを予定している。女に産まれたのに、一度もその機能を使わずに捨ててしまうのは、やはり哀しい。四十歳になるまで商社の総合職で頑張ってきたことに後悔はない。結婚を選択しなかったことにも後悔はない。けれど、あの時産まなかったことだけに対しては後悔している。
 子宮癌と診断され、医者に全摘を勧めらた時には動揺した。冷静になって考えれば、私に一番不必要な臓器ではないかと直子は笑ってみせた。実際のところ、母が同じ癌を患い亡くなったことは、いつか自分もそうなるのではないかと心のどこかで怯えてきたのだった。
 そしてそのことが紛れもない現実となって、不思議なことに、ほっと胸をなでおろす自分に気づいたのだった。いつか癌になるんじゃないかという不安から開放されたのだった。
 直子も年子の弟も父の顔を知らない。直子がまだ三歳のころ、交通事故で亡くなった。
「ねえ、誰かいい人いないの?」
「なんだよ、やぶからぼうに」
 直子は声をひそめる。
「だって、もしも、もしもよ、手術が失敗して私が死んだら、あんた、天涯孤独よ」
「大きなお世話だよ。そんなに心配だったら、死ななきゃいいじゃんか」
 弟はぷいっと横を向いた。そんなところは幼い頃とちっとも変わっていない、来年には四十(しじゅう)になる男を可愛いなんて思う女は私以外に現れないのだろうか。
 弟がネットで調べてくれた「とんかつ伊勢」は、病院からタクシーで十分ほどだった。新宿のNSビルの二十九階にある。ここでも運良く窓際の席に案内された。
「わー富士山が見えるよ。きれいね」
「今の時期は空が霞んで、こんなにくっきり富士山が見えることは少ないのに、ラッキーだよ、ねえさん」
「富士山、一度くらいは登ってみたかったな」
「退院して元気になったら、連れてってやるよ、いくらだって」
「私、ひれかつ定食ね」
「どうせなら上ひれかつにしなよ、奢るからさ」
「いいの? ありがとう。そういえば、運動会の前の夜は、母さんいつもとんかつ作ってくれたね」
「うん。験担ぎなんだろうね。今だからいうけどさ、あれ、嫌だった。俺、走るの苦手だったからさ」
「えっそうなの? いつも美味しそうにたべてたじゃない、あんた」
 小学生の時、弟は少々肥満体質だった。
「でもさ、勉強は私なんかよりよく出来たよね。母さんの自慢の息子だった」
 私たちはずいぶん遠いところまで歩いてきたようだ。いつのまにか。
 人生に勝ち負けがあるとしたら、私は買ったのか負けたのか。いいや、そんなこともういいではないか。一緒にとんかつ食べてくれる人がいる。それだけで幸せだ。
「そうか、手術に勝て、こと?」
「今頃気づいたのか? ねえさん、遅すぎ、ていうか鈍すぎ!」
 二人して肩を震わせて笑っていたら、ウエイトレスが注文を聞き歩いくるのを認め、直子は目頭に滲んだ涙を、人差し指でそっとぬぐった。
 


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